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秋めいて 教育と教養 [エッセイ]

 九月になった途端に涼しくなって心身ともにシャンとしたような気分です。

それでも気温は三十度以上。ただ涼しい風が一日中吹き渡りエアコンなしです。

 夜はまた一段と涼しくて、澄み切った深い藍色の空に「この月の月」が

少しづつ形を変えながら煌々と現れます。

 コオロギの声も軽やかに、とうとう秋が来たと嬉しくなります。

 今年の夏は本当に暑くて、ご近所さんとたまに会うとこのまま死ぬかもねと

妙に納得したものでした。

 まだまだ残暑は厳しいと予報されていますが、気にしないことにしました。

 こうなるとこの夏、のらのらと過ごしたことが悔やまれて、秋には何かやりたい

と思っていました。

 つい先日同世代の男ともだちがいいこと教えてくれました。


 年を重ねたら毎日「しんどい、しんどい」と、言ってもどうしょうもないことを

ぐちぐち言って、みんなつまらん老人になってしまう。

 少しくらい体の調子が悪いところがあっても、時間だけはたっぷりあるのだから

教育と教養」に精をだそう。

 私は「えっ」今更と思いました。

 でも話を聞いて大笑い、大賛成。

 「教育」とは  今日行くところがある。

 「教養」とは  今日用事がある。

 なるほどと思いました。家に篭って愚痴っている人に明るい未来はありません。

 それが病院であっても出かける予定や、どうしてもやるべき用事がある時は確かに

張り切って(笑)いるように見えるし、少々しんどくても行動します。


 私もなんだか元気が出て早速NHkカルチャーセンターの講座を考えています。

それともう一つМ大学の「コミニティカレッジ」でも興味ある講座を見つけています。

 今のところ元気だし、週に一回くらいなら大丈夫かなあと。

幸いどちらもバイクなら15分で行けます。勿論娘にはバスで行くと言うつもり。


 青く澄んだ空に浮いている鰯雲、涼しい風、この秋は何かいいことがありそうで

ちょっと浮き浮きのそんな土曜日の午後です。

 
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青空に太陽三つ [エッセイ]

 見上げると雲一つない真っ青の空です。

澄んだその色はもう秋色そのもの。でもそこにはギラギラ太陽が三つもあるかと

思うほどの強烈な陽の光。

 神様もうお許し下さい。人間も植物もこの暑さに頑張る力も限界です。

 暑さ知らずの二週間。夢のような東京から帰ってもう四日になります。

当地の暑さは毎日の天気予報で確認していたけれど、こんなに続くとは。

 涼しさに慣れた体にはこたえます。

 それでも帰ってからの諸々のやるべきことをいつも通りこなしました。

ただ体力の消耗はいつもと全然ちがいます。

 エアコンのきいてない部屋の廊下は足が熱いのですよ。想像出来ますか。


 今はやっと落ち着いて終日涼しい部屋でいつものノラの私に戻っています。

 高校野球も終わって、夜には虫の声もちらほら。

 もう秋もそこまで来ているでしょうと期待しつつ、ひと頑張りしましょうか。

 


 

 
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ああ涼しくて嬉しい

 私今東京にいます。

台風の間を縫ってやってきました。

 「東京は涼しいよ。そんなに暑いのなら、思い切って出ておいで。」娘の言葉に

ついその気になって急遽出てきました。

 実は他にも是非上京したい大きな理由があったのも事実です。

 それなのに東京の九日の37度の暑さには参りました。

 25日連続で30度から35度が続き最後に37、2度の観測始まって以来の最高を

記録したわが街で、暑さには慣れているはずの私でしたのに、東京も暑い!!

 ところがその後の涼しさはどうでしょう。今日などマンションの十二階ではエアコン

いらないのです。北から東から秋のような優しい風が入ってきます。

 やっぱり上京してよかった。予報によると明日からもそう暑くないようです。

 三連休とか夏休みとかがあって、どうやら私は一人ぼっちではないみたいだし。

後十日くらいは居候しようかなあ.....。なんて。

 これなら親友とどこかへ出かけられるかもと昨日も二人で話したことです。

 何だか嬉しくて久しぶりにブログ書くきになりました。

 わが街はやっぱり34度あると天気予報を聞いて、ついニンマリしてしまいました。














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猛暑の中の小さな楽しみ [エッセイ]

 猛暑 三十度以上の日が今日で二十五日、さすがの私ももうがっくり。

終日エアコンの冷気に助けられてごそごそと最低限の動きしかしません。

新聞と読みかけの本たちをちらちら。パソコンの前にもちょこっと。

 そして一人分の食事作り。買い物もかなりのまとめ買いで滅多に外に出ません。

 幸い今通っている病院もなく、薬も降圧剤を朝一粒のむだけです。

 庭の草もかなり伸びているし、玄関周りのランタナも暑苦しげに茂っています。

やろうと思えば仕事はあるけれど、熱中症になるよりはましと目をつぶっています。

 そしてただ一つ一日の終わりに私の楽しみが待っています。

 夕方六時半過ぎからのウォーキング。と言えば聞こえはいいですが、大したこと

ではなくて散歩程度約三十分ほど歩きます。

 その途中で見える夕日の美しいこと。汗だくなのに、これを見るために歩いている

ようなものです。

 М大学のグランドが本学から四キロほどの我が家の近くにあります。

野球、陸上、アーチェリーのグランド、管理棟などがあり夕方から大学生が大勢自転車や

バイクでやってきて、夜間も煌々とした照明の中で猛練習しています。

 この周囲にある樹齢五十年にもなる楠の並木が見事で、その向こうに真っ赤に燃える

夕日が沈んでいくのです。そこには海があるのですが残念ながら、そこまでは見えません。

 少しの時間差で、太陽の形や色も違います。

 赤でも凄味のある血の色のように見えたり、ただただ神々しい金色だったり、暮れ

落ちる寸前には濃い灰色の雲のなかに、真紅のまん丸いあどけないような太陽が

ゆっくりと沈んでいきます。

 眺めているとなんだか切ない気持になるけれど、でもいっぱい元気を貰った気がして

歩きはじめます。

 汗を拭きふき小さい声で「月の砂漠」なんか歌ってしまいます。

 健康的なことは一切しない私の唯一の「からだとこころ」に良いこと。

 帰ったら真っすぐに浴室へ。極楽です。ビールが飲めないのが残念だけど麦茶でも

本当に美味しい

 こんな時「寿命が延びた」というのかもしれません。

 さあ 今日も三十五度だったけれど、元気に愛しい夕日に逢いに出発です。



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孤独を楽しむ老後って.... [エッセイ]

 猛暑のなかの三連休です。
あ~あ小さな私のため息聞こえますか。
我が家の前の六十台前半のご夫婦。西隣の母娘はさっき相次いで車で出ました。
 私にもそんな時があったと懐かしく思い出しています。
それが当たり前の日常でした。 数十年の時を経て今じっくりと考えています。
 一人暮らしは自由でのんびりで、そう楽しいこともない代わりに辛いことも
ありません。ただ寂寥感は常に私にまとわりついています。
 私も母が一人でいた年になり、毎日のように訪ねる私に「寂しい」を連発して
いた母の気持ちがやっと今理解できるのです。
 
 でも考えます。
 私の友たちは皆さん旦那様がお元気で、私からみたら羨ましい限りです。
 ただ自宅では生活が無理となり、二人で施設に入った友。訪ねてもあまり
笑顔もなく会話も弾みません。
 「毎日どちらかが病院に行っているのよ」と少し耳が遠くなった友。もう長話も
出来ません。
「私もふらふらなのに主人があちこち痛いので、いつでも車を出せるようにしてる」
と本人曰く老々介護の友。
 旦那様をなくした三歳年上の友は足腰が駄目になり、とうとう施設へ。

 彼女らからみたら、多分何もせずに呑気に暮らしている私のこと「羨ましい」と
思うかもしれません。
 私の気持ちなど我儘だと思っているかもしれません。
 私もそうかもしれないと思いつつ、私が払った代償の大きさには気もつかない
彼女たちを、それなりに幸せなのだろうと思っています。
 
 失ってからでないと分からないこと。失ってからでは遅いということ。
 人間、死ぬまでは生きていくしかないということ。
 私実感し過ぎています。

 五木寛之著 「孤独のすすめ」 人生後半の生き方

  老年になって「前向きにポジティブに生きろ」などというのはむしろ残酷な
ことではないか。だとすれば後ろを振り返り、ひとり静かに孤独を楽しみながら
思い出を咀嚼したほうがよほどいい。回想は誰にも迷惑をかけないし、お金も
かかりません。繰り返し昔の楽しかりし日を回想し、それを習慣にする。
そうすると、そのことで錆びついた思い出の抽斗が開くようになり、次から次へと
懐かしい記憶がよみがえってくるようになる。はたからは何もしていない
ように見えても、それは実は非常にアクティブな時間ではないでしょうか。
 孤独を楽しみながらの人生は決して捨てたものではありません。
それどころかつきせぬ歓びに満ちた生き生きとした時間でもあるのです。

 私は感動にも似た共感を覚えました。
元気が出てきました。
 三連休暑いけどお天気はよさそうです。ちょっと出かけてみましょうか。
  
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赤いハイヒール

 朝から氷雨のふる寒い日新おじさんの訃報が届いた。
弟の順が一緒に葬儀に行かないかと和代を誘ってくれた。
 新おじさんは父の弟でもう七十歳近いだろう。
頭が良くて明るくて楽しい人で和代は子供の頃から大好きだった。
 今は遠くに住みもう何年も逢ってない。従妹に引き取られて幸せな老後を
送っていると聞いていた。
 和代の両親も亡くなっていて長男の順には親戚の交際という役目がある。
その順が葬儀に行くのはありかと思ったが.....。和代は考え込んだ。
「姉さんは誰よりもおじさんに可愛がられていたのだから、最後のお別れに
行こうよ。」
 順にそう言われて和代もその気になった。
三日くらいは留守になるのを夫は是非行っておいでと言ってくれた。
 その日の夜には船に乗った。
 翌早朝港に着いた。初めての大都会の港を震えながら歩いた。
雨は止んでいたが寒さと知らないところを訪ねていく不安で二人とも心細い
思いで、つい口数も少なくなってしまう。
 五十過ぎの大人が、まるで子供のようだと和代はふとおかしくなった。

 和代は初めておじさんのことを思った。今まで悲しい気持より寂しい
思いの方が強かったのに、お酒が大好きでいつもにこにこ笑っていた
新おじさんの顔が目の前に大きく浮かんで和代は立ちどまった。
 潮の匂いの混じった冷たい風がさっと体に纏わりついた。
突然涙が溢れてきた。ついに和代は立っていられなくなってしゃがみ込んで
泣いた。
順が飛んで来て黙ってタオルを渡してくれた。
 
 従妹の家はすぐに分かった。
 海の見えるマンションの部屋で新おじさんは穏やかな顔で眠っていた。
従妹たちとも何十年ぶりの再会で、おじさんは糖尿病と肝硬変を患っていた
けど最後までわりに元気で自分で「大往生」だと笑って逝ったという。
 いかにも新おじさんらしいと和代は思った。


 新おじさんは技術屋さんで船のエンジンに詳しくて最後はかなり仕事の手も
広げていたらしい。
 しかしそこに行きつくまでの波乱万丈の生涯は、ゆうに小説になりそうなほど。

 戦争にも二回も行ったのに負傷したり病気になったり、最後は無事に帰還した。
その時和代にだけにお土産があった。
 ボロボロにの臭いリュックから、何枚もの紙で包んだものを大事そうに取り
だした。そして中から出てきたもの
 和代はその時九歳、ビスケットかチョコレートか。かたずをのんで家族一同が
見守る中、新おじさんがおもむろに取り出したのは真っ赤なハイヒールだった。
 きれい! とは思ったががっかりした和代にみんなが履いてみよと言った。
恐る恐る足を入れたものの、ぶかぶかで高い。立っていられそうもなくよろめいて
泣きべその和代だった。
 あれは可愛い姪のために新おじさんがはるばる戦地から持って帰ってくれたのだ。

 全然嬉しくはなかったのに赤いハイヒールのことは和代のなかでいつもおじさんと
セットになって、大人になってかりらも時に懐かしく思い出した。

 こうして復員後は生まれた小さな村で、手を染めた仕事は子供の頃の和代が覚えて
いるだけでも竹工場、モーター屋、アイスキャンデー屋。どれもみな失敗。
おじいちゃんがいつも尻拭いをしていたらしい。
 戦後は村の素人芝居が盛んだったが新おじさんはいつも主役で女形でも子役でも
なんでも来い。村の人気者だった。
 和代はそんなおじさんが大好きだった。

 ほどなくして結婚して村を出たおじさんはエンジンの仕事で成功したと聞いた。

 何十年もたって和代の結婚式にも出てくれたり、父がなくなってからもふらっと
やってきては「義姉さんよろしく頼みます」と母にお酒を頼んでしばらく逗留する
ことがあった。母は嫌な顔ひとつ見せずいつも優しく接していた。
 「和代元気か」酒飲みは大嫌いだった和代だがなぜかおじさんのことは憎めない。
 そして時が過ぎて行き、いつかそのおじさんと会うこともなくなっていた。

 今日も冷たい風が窓をたたいている。エアコンの心地よい暖かさにふと微睡んだ。
 その時、和代の前にニコニコ顔の新おじさんが現れた。後ろ手に隠しているもの....。
 和代にはそれが、はっきりと見えてしまった。

 
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懐かしい父に逢えた! [エッセイ]

 梅雨の晴れ間に咲く紫陽花の花の色も、日増しに濃くなっていくようです。

ぼんやりと眺めていると花にまつわる昔のことを思い出したりして、時間が

ゆっくりと過ぎていきます。

 そこへ古い友人のHさんから電話がかかりました。本当に久しぶりです。

 お互いの近況を知らせ合い、ひとしきり話が弾んだのち

「古い話だけどね」とHさんが切りだしました。

 彼女は私より四歳くらい年上で、仕事関係で若い時知り合ったのです。

 私の父とHさんの会社の社長が親友で、仕事上も関連があってよく来たので父の

こともよく知っているというのです。


 さてHさんの話は昔、時々職場に来る父はいつもにこやかで静かなのに話しだすと

博識でユーモアがあって、ついみんなが仕事の手を止めて聞き入ったこと。

 事務所の看板を書き換えを社長が頼んだ時も突然のお願いなのに、太い筆に

たっぷりの墨で達筆で堂々と書いたこと。

 たまに娘の私の話をするときは「可愛くてたまらん」という顔をしていたこと。

 そうそうお昼の時間に来ることが多かったけどいつもアンパンをひとつぶらさげて

いたこと。

 最後にHさんが今でも残念に思っているのは忘年会風邪で出席できなかった時

翌日同僚たちが口をそろえて、父が躍った安来節がどんなに面白かったか、涙ながらに

話してくれたこと。そしてその踊りをとうとう見なかったこと。


 私は聞きながら涙が出そうになりました。

 家庭以外での私の知らない父がそこにいました。

大好きな父でした。元気だっ父は病に倒れ五十九歳で逝ってしまいました。

 私はこの時の悲しさ悔しさを今でも忘れられません。

 市内でも大きなお寺での会社葬、何百人もの会葬者、延々と続く弔辞。道路まではみ

出した花輪の列。

 立派な葬儀も私にとってはただただ恨めしいだけでした。

 私は父のことを書き留めて置きたいと何度もペンを取りました。

三行 五行 半べ―ジ でもどうしても書けませんでした。何年経っても駄目でした。

 涙の跡が沁みたノートは今でも手元にあります。


 Hさん有難うございます。今日は本当に嬉しかったし楽しかったです。

私は心から大きな声で言い受話器の向こうに最敬礼です。

 「私昨夜貴女のお父さんの夢を見たのよ。どうしてかしらね。」

 Hさんが最後にポツリと言いました。

 ええ私の所へもずっと来ないのに何故? 私 嫉妬に狂いそうです。
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桐の花 [短編]

 少づつ登っている感じがして道も狭くなった。 車がやっと通れるくらいだ。もうそろそろ目的地に着くころだと佐保子は目を凝らす。 辺りは生い茂った木々の緑が美しく、開け放った窓から森の香りも飛び込んでくる。  道路を大きく曲がったところで真正面に薄緑色の建物が見えた。やっと着いた。 駐車場に四五台の車も見えた。  車を停めると佐保子はゆっくりと建物に近づいた。三階建てのスマートなそれは、 老人ホームには見えない。窓も大きくて華やいだ感じさえする。 「とうとうホームに入ったよ」三日前に祥子から突然電話が来た。彼女は昔の職場の 先輩で佐保子とは三つ違い。しっかり者で頭がよくて信頼できる人だった。  お互い結婚しても付き合いは続いていて海外旅行にもよく行った。  長い年月が流れ二人とも年をとった。それでも元気で特に祥子は腰や膝が痛くなって からも、兎に角行動派で、誘われれば一人でツアーに入って旅もした。  佐保子はそんな祥子を見ながら、ただ感心するばかり、「旅の途中で足が痛くなったら どうするのだろう」とか、「杖をついてまでよく行くなあ」とか.....。  そんなに元気だった祥子が昨年の秋救急車で運ばれたという。肺炎と心不全で足がたた なくなったそうだ。  知らせを聞いて駆けつけたら、一週間前に会った時の彼女とは別人の祥子が、点滴の 管などいっぱいつながれて、酸素マスクまでしている。 意識はあるものの、何を言っても頷くだけで、その様子に佐保子は動顛してしまった。  結局半年も入院してどうなることかと心配していたのに、少しづつ回復して四月には 退院して、一時的にべつの病院に移った。  その病院がよかったのか彼女の生命力が勝ったのか、退院できることになった。  しかし一人暮らしの祥子は自宅に帰ることを断念してホームに入る決心をした。  それはずっと前から考えていたことだったが、思っていたより早くなってしまった。  広い廊下、明るいガラス窓、応対してくれた職員も感じがよくて佐保子は内心ほっとした。 もっと嬉しかったのはベットで迎えてくれた祥子が本当に元気になっていたことだった。 「ねえ、元気になったでしょう。」  挨拶よりも先に祥子が例の甲高い声で言った。 この声何か月振りに聞いただろう。口もきけなかった頃、頷くだけの時、電話をしてももそ もそと何を言っているのか分かり辛かった頃。  先生もこの年で半年も寝ていると寝たきりになる人が多いですと気の毒そうに言ったのに。  佐保子は思わず走りよって祥子に抱きついた。十五キロ痩せたという体は頼りなくて、つい 涙が止まらなくなった。みると祥子もぽろぽろ涙をこぼしている。  目が会った途端どちらからともなく笑顔になりはっはっははと笑った。  よかったよかった。  部屋はトイレとスマートな洗面台。その隣のベットとのちょっとした区切りに小さい障子 が二枚。作り付けのクローゼットもゆったりしている。 部屋の感じがなんとなく素敵で、佐保子は今までに行った何か所かの施設と違う暖かさの ようなものを感じて嬉しかった。  祥子の終の棲家となるであろうこのホームは佐保子の中では合格だ。  夫に先立たれて子供もいない祥子とはそんな話もよくしたが、それはもっとずっと 先のことだと思っていたのに。  現実はあまり考える余裕もなく、病院からの直結を余儀なくされた。    市内でも一等地にりっぱな自宅があり生活に余裕もあるのに。 病気をしなかったら、そして夫がいたら祥子の老後はもっと違っていただろう。  でもこれだけ元気になったのだから万歳ではないか。  佐保子の頭の中で複雑な思いが堂々巡りをしていた。  祥子は今車いすもいらない。小さな手押し車を押して食堂へも談話室へも行けるという。 寝たきりにならなくてよかった。  ベットに腰かけた祥子と本当に長い間話をした佐保子。  大きなガラス窓から柔らかな午後の日差しが差し込んで二人は幸せだった。    そのガラス窓の向こうに緑色に茂った大きな木がみえた。 佐保子は目を凝らした。その木の間隠れに薄紫の花が見えた。  桐の花。祥子は毎日この花見ているんだ。佐保子はそっと胸に手をおいた。  ふたりの大好きな花、この花が咲く頃、思いついたら車でよく山道を走った。  見つけると車を停めてしばし眺めた。 近くに行くことはできなかったけれど、遠くから飽かず眺めた。  そして祥子は俳句を佐保子は短歌を苦しみながらひねり出した。 「ねえあれ桐の花よね。」 「そうそう、このホーム決めた第一はあの桐の花がここから見えたことよ。」  祥子は自慢げに佐保子に笑顔を向けた。  佐保子は祥子のこの笑顔がいつまでも続きますように。  もっと元気になって来年はまたいつかのように、二人であの山の桐の花を見に行けたら どんなに嬉しいだろう。  窓の向こうの薄紫の桐の花がなんだか潤んで見えた。
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きょうだいって やっぱりいい! [エッセイ]

  先日姉弟が実家に集合して母の十七回忌法要を終えました。

みんなが揃うのは四年ぶりです。

 法要に関するすべては長男であり実家に住む弟が義妹と二人で奮闘してくれて

私の出る幕はありませんでした。

 長男夫婦、神戸から次男夫婦、横浜から三男夫婦、そして残念ながら私だけひとり。

 法要を終えてお昼は賑やかに老舗割烹で美味しい料理をいやというほどご馳走になり

酒豪の三男はこれも酒豪の甥と二人で随分のんでご機嫌でした。

若い頃に比べたら大分弱くなったと言うのですが、何故か兄弟でひとりだけお酒が強い。

 夜は実家でみんなで寝ました。

 私が夫と付き合い始めたころ長男が東京大学へ行くため家を出たので、下の弟たちは

すぐ夫と仲良くなりました。

 そんな昔の話や祖父母や父母と賑やかだったころのことなど、懐かしい話がいっぱいで

笑いが絶えません。

 三人の義妹が口を揃えて、結婚して最初に思ったことは、「ここの姉弟は気持ちが悪い

ほど仲がいいということ」だったと言ったのでまた大笑いになりました。

そう言えば夫も同じことを言っていました。彼は私の弟たちよりむしろそのお嫁さんたち

と仲良しでした。

 結婚して数年、転勤などでこの街を離れるまでみんな一緒のときもありました。

 今はみんな孫たちの話題で持ちきりで、孫のいない私は「おばあさん」でないと上を

向いていました。

 夜の更けるのも忘れて楽しい時間を過ごしました。

 翌日は次男夫婦が、次の日は三男夫婦が我が家に泊まってくれました。

「兄さんの話はするな、もう泣くな。」二人はそう言いながらも、長いこと仏壇に手を

合わせてくれました。  私やっぱり涙がでました。

 この一週間少し疲れたけれど私にとっては久しぶりの楽しい時間でした。

 次にみんなが集まるのは兄さんの十三回忌だと誰かが言って....。

 どうも東京オリンピックの年らしい。

 「私頑張ってみる」と秘かに決心しました。

 みんな帰って、今日も五月半ばだというのに夏日の二十七度。暑い夏がそこまで来ています。












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大好きわが街 [エッセイ]

 わが家に帰ってきて今日は二日目です。

昨日はとにかく留守の間のもろもろの処理。二週間足らずだから留守電は数件です。

親しい人には周知済みなのでたいしたものはないのだけど、今回困ったのが一件。

「帰ったら知らせてね。」

私が出かけたのを知っている人らしいけど声に心当たりがありません。

次は、心ばかりのお土産を届けた家で十分づつ話しても.....。ふふふ。

 家の周りの道路の継ぎ目から生え出た雑草が、留守の家を強調するように青々と

茂って?います。しゃがみこんで四、五十分。私のもっとも不得手な分野ですが仕方

ありません。でもすっきりきれいになりました。

 冷蔵庫もからっぼ。スーパー買い物いっぱい。

 一番大切なこと。バイクで一走り。

「帰って来たよ。子供たちも元気だったよ」お墓へお参りして報告を済ませました。

 早めにお風呂に入って昨夜はわりとぐっすり眠りました。

 今日は少し疲れた感じだけど予定があります。

昔夫が立ち上げた切り絵の会の展示会が、デパートで開催されていてその案内状が来て

いました。

 お昼過ぎに会場に行くと今年八十五歳になられた会長のNさんが笑顔で待っていてくれ

ました。懐かしい会員の方たちの名前と力作をみていくうちに涙が溢れてきて止まらなく

なりました。

 もう十七年、発足当時の六人は今もお元気で、新しい会員さんと会を続けています。

 夫もこの場にいたら、どんなにいいだろうと考えていたら、つい不覚の涙が....。

 気持ちを切り替えて、久しぶりの商店街をひとりで歩きました。

 途中に全国的にも有名な「鍋焼きうどん」の店があります。うどん玉がなくなったら

閉店という店でなのに今日はのれんが見えました。

 二時近くになっていてお腹もすいていたけれど、私は一人でお店にはいれません。

街に出てもごはん時でも飲まず食わずで一目散に家に帰る意気地なしなのです。

 でも今日は何だか勇気が沸いてきました。格子戸を開けると女性ばかり数人います。

そして初体験、一人で鍋焼きうどん食べました。五百八十円、おいしかったです。

 元気が出た私は電車通りから、堀端まで足を延ばしました。

堀の岸辺の若緑の木々や、つつじのピンクの花が水に映って、本当にきれい。

県庁の後には燃え上がるような緑いっぱいの城山、見上げると青空に映える白い天守閣。

 ああ私の大好きな風景。

 この堀端を若い時の私夫とよく歩いたなあ。ちょっとセンチになって。

 私はこの街が好き、だからどこにも行かない。一人でここで頑張りたいなあ。

終の棲家はこの街の我が家。家族の思い出がいっぱいいっぱい詰まったこの家。

 さあ明日からは少しのんびりと、東京での遊び疲れを取らなくては。

早くものらの本性が現れ始めた私です。





 

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