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ぶらりと街に出てみたら

 早いもので一月ももう終わりです。

初旬の穏やかさとは打って変わり厳しい寒さに襲われた後半でした。

 留守の間の諸々がやっと終わり、少し疲れたけれど日常の生活に戻り

炬燵でふとジパング倶楽部の手続きがまだだったことを思い出しました。

 
 曇ってはいるけれど今日は少し暖かい。よーし行ってこよう。

バイクで走れば十分でJRまで行ける。でも今日は久し振りにバスにしょう。

 バスはぐずぐず走るので十七、八分はかかる。信号の加減では二十分か。


 手続きはすぐに終わったけど、その辺りにある大きなショッピングビルに

寄り道する気など毛頭ない私です。


 バスを待つ数分の間、私は駅前開発計画の大きな看板を見ていました。

今の県都とは思えぬ貧弱な駅舎の建て替えや、私鉄の電車の延伸など夢の

ような未来図が薄緑を基調にしたイラストで描かれています。

 この看板が掲げられたころ、嬉しくて熱心に見ていた私です。でも最後の

完成予定の年月日をみて「ふぇー私には関係ないわ。」
 
 工事期間  平成二十年~平成三十二年 


 それからこの看板に目をやることもなく月日が過ぎたのです。

 今日久し振りに、しげしげとこの看板を見て「えっ」びっくりポン。

 あれほど先のことだと思っていたのに後三年だよ。

 辺りの様子は何ひとつ変わってないのに何処で゛とんな工事をしているのかしら。

 「絵に描いた餅」

 駅前は地下街になるとあるから、見えないところで工事しているのかなあ。

 少し膨らむ夢。


 でも私は今生きているのです。夫に放って行かれて、側に行くことばかりを

考えていた頃、そうこの看板を初めて見たのはそんな時だったのです。


 もしかしたら、私完成した素晴らしいこの絵のような街並みを見ることが

できるかも知れません。

 うへへへ心の中で笑いました。そして私随分厚かましくなったよね....とつい夫に。

 バスに乗っても何となく浮き浮きしている自分にあきれ顔の本当の私がいます。


 そのバスの後ろの席でさっきから声高に話している女の人、

「ねえ、そこのけそこのけ蛙の子だったかね。あれ俳句かなあ。誰の句だった?」

 私は後ろを見たい衝動に駆られながら、何だかほんわかした気持でバスに揺られて

いました。

 そしてバスもいいなあ。世の中こんなに平和で穏やかなのだから、今年は子供たちに

心配かけながら、バイクでバタバタするのは止めようと思いました。

 「ただ今~」ご挨拶はつい、いつもより大きい声になりました。

 庭の水仙の花すっきりと、寄り添って咲いています。



 
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面影草  12 [短編]

 巡る季節をゆっくりと感じる暇もなく、私たち一家に時は流れた。
その間、皆が健康で仲良しで明るくて、それぞれが自分の道を思い通りに進む
ことが出来た。
ただ肝心の家計だけは想定内とはいえ、転職による厳しさが続いた。
それでも彼も私も頑張って子供たちの小学生時代はなんとか切り抜けた。

 娘が中学生になった時、私は家族の賛成を得てフルタイムの仕事に着いた。
 運よく昔の職場の子会社に入れた。私の仕事は最初から事務は全部引き
受けるというもの。でも昔の仲間が同じビルにいて、大らかな役所関係の下請
会社で、五時にはきちっと帰れるのが何よりだった。
 夜は食事が終わると、少しの間は皆でテレビをみたりその日の出来ごとなど
話合うがすぐにそれぞれが自分の部屋に入ってしまう。
 彼までが自分のやりたいことに熱中してしまうので、私はひとりリビングで
テレビをみることが多かった。

 この頃のことを思い出しては成人した子供たちに私は良く聞いた。
私の作る毎日の食事のこと、中学から持たせたお弁当のこと、彼にもお弁当を
作っていたかなあ。などと。
 彼と息子は気のない返事だが、娘は
「ご飯もお弁当も美味しかったよ。他の人のを羨ましいと思ったことなどなかったよ」
と優しい。
 そうかなあ。と忙しくしていたあの頃のことを懐かしく思い出す私なのだ。
 息子は私立中学へ、娘は国立の中学に進んだので、友だちは立派なお弁当では
なかったのかと、後になって気にかかったりしたのかもしれない。

 息子が大学進学のため東京に出た、その年彼が初めて単身赴任で家を出た。
 わが家は女二人、寂しかったけれど彼は赴任地の隣県から毎週のように帰って
来てくれた。

 三年後娘が大学進学で大阪に出て、とうとう私は一人でわが家を守ることになった。
 庭の木々や花たちもすっかり大きくなって、この家は愛しい自分たちの家になった。
私は家族のキーステーションのここで、随分頑張った気がする。

 そしてとうとう私も念願叶ってこの年、地元の国立大学夜間主コース文学科に入学
することが出来た。
 同級生に遅れること二十八年、念願し続けた大学だった。私たちの世代は高校進学
さえ女子はクラスで数人の時代、その当時弟三人が続くわが家の経済を考えると、
大学へ行きたいとは言い出せなかった。
 でも私は飽きらめてはいなかった。

 働く青年に門戸を、と各地の国立大学で夜間主コースが誕生し始めたからだ。
当地でも法学科、経済学科と開設されたが、私は焦る気持ちを抑えた。数年先に
文学科が開設されると聞いいてた。私は少しづつ勉強を始めていた。
 そしてわが家にたった一人になった時、偶然にも最高のタイミング、誰に遠慮もなく
昼は職場、夜は学校と最高の私の時代が来たと張り切った。
 受験したいと彼に相談した時、かれは即座に賛成してくれた。嬉しかった。
 その夏に彼は遠く筑後に転勤となり、わが家族はそれぞれ九州四国、東京、大阪と
別れ住むことになったのだ。
 当然のように家計は火の車、彼も私も力の限り頑張ったけれど、子供たちも最低の
仕送りに文句をいわず、アルバイトをしながら頑張ってくれたようだ。

 私の人生でこの四年間ほど充実した時はなかった。本当に楽しかった。
一番犠牲になったのは彼だと思う。ひとりで放っておかれたのだから。私が本当に
感謝していたことで許して欲しいと、心では思っていた。
彼は毎晩私が家に帰る九時半頃には必ず電話をしてくれた。「元気、今夜のご飯は何」
私は毎晩のように卵焼き、彼は料理が好きでこれが一番経済的と、よく鯛のアラ炊きを
作っていたみたいで、「電話線に括りつけて上げようか」と言ってくれた。
 私はポロポロ涙がこぼれるのを拭いながら「そんなもんいりません」と憎まれ口をきいた。
 兎に角激動の四年間があっという間に過ぎて、皆が社会人になりそれぞれの場所で
仕事に着いた。そして彼は六年振りに懐かしいわが家に帰り、約三十年振りの二人の
生活が始まった。

 

 
 

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雪がちらちら寒い日曜日 [日記]

 二十二日目にわが家に帰り、色々やるべきことをしてやっと落ち付きました。

遅ればせながらやっぱり年賀状を読むのは楽しいものです。

皆さんの変わらぬ様子に安心しつつ、正月気分にもどります。

 東京での三週間は締めくくりの別所温泉の雪景色の素晴らしさが象徴的

で満足なものでした。

 今年も頑張ろうと元気が出て来ました。気がかりな病気の友もいますが、

出来るだけ見舞って早く元気になりますように念じています。

 留守を頼んでいた弟夫婦も教は早速来てくれてスーバーで買い物もして

来ました。二人ともまだ週三日ほどは仕事をしていて生き甲斐だといいます。

 私もぼつぼつブログなど綴りつつ楽しい日々を過ごせたらいいなあと。

 帰った日にお墓にお参りして、東京での子供たちの様子や親友のことなど

報告を済ませました。

 久し振りの一人の家の中は少し寂しいけれどこれは仕方なし。

 雪の中の県別女子駅伝みてスポーツ好きの私の日常に戻りつつあります。

 少し薄日が差してきました。明日は晴れるのでしょう。
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穏やかな新年 心も優しく

 元日から続く晴天につい浮き浮きとしてしまいます。

何をするでもなく、ただ静かに過ぎていく日々もいいなあと。

東京滞在もあと少し。六十年来の親友とはもう三回もデートしたし

 元日は初めて娘夫婦も一緒にお雑煮を食べてにこにこの私。

今までみんなが仕事の都合もあってなかなか揃いませんでした。

後は温泉行を終えたら、東京でののんびりお正月も終了です。

今年の温泉は「真田丸」で盛り上がった様子の別所温泉

大雪の場合を考えて新幹線にしました。

 私はだいぶ前に夫と行ったことがあるので一入懐かしい気がします。

ひなびた静かな町のたたづまぃを思い出しています。

上田からの電車が風情があって、夫は子供のように喜んでいました。

 さて三週間も留守にする我が家はどうかしら。

毎年のことなのにやっぱり気になります。里心でしょうか。

 ああそうだ。誕生日が来る....今年はなんだか複雑な心境!! 
 
 私もう少し頑張って、トランプさんの政治手腕とやらを見届ける

ことにしましょうか。

 もうちょっとだけ待っていて欲しいのだけどいいですか。

 夫の苦笑い私には見えるのですが。
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