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昭和初恋物語  最後の手紙 [昭和初恋物語]

 今夜初めて虫の声を聞いたような気がします。いつの間にか秋なのですね。
私さっきまで谷口さんと一緒でした。彼はいつも優しくて男らしくて、私本当に
信頼していました。
 千春、谷口さんと結婚するって本当ですか。私にはどうしても信じられません。
私は谷口さんと付き合い始めたことを、誰よりも先に千春に話したし千春も
ずっと応援していてくれたのに。
 二年間の交際で、私ようやく谷口さんを愛しているという自信も出来て、彼
となら結婚してもいい、いやしたいと思うようになりました。
 その気持を今夜谷口さんに告げるつもりでした。そんな私の感情に気がつ
いたのでしょう。谷口さんの方から先に
「僕ももうそろそろ結婚しょうと決めた人がいる。」
と切り出されました。
 その時、私は胸が苦しくなるほど嬉しかったのです。彼の結婚相手が自分
だと確信していたから。喜びを抑えて谷口さんの言葉を待つ私に
「芳井さん、今まで楽しかったよ。本当に有難う。僕はこれからも君さえよけれ
ば友人として仲良くやって行きたいんだ。」
 私は耳を疑いました。今度は驚きで胸が苦しくなりました。
 結婚相手は私ではない。どうして、何故、私は全身の力を振り絞って聞きま
した。
「谷口さんは私ではない誰かと結婚されるつもりなのですか・」 
 一瞬彼は目を伏せて大きな溜息をひとつつきました。
「ごめん芳井さん、僕は宮田千春と結婚するつもりです。彼女も快く受けてく
れました。」
と苦しそうな表情で言いました。
 千春、その時の私を想像できますか。一瞬何がおきたのか私自身容易に
理解することは出来ませんでした。谷口さんの結婚相手が、こともあろうに
千春だなんて.....。
 言葉もなくこれ以上谷口さんと一緒にいるのは惨めで辛すぎた。そこに立
っていられない程動揺してしまった自分が哀れでならなかったのです。
 どのようにしてその場を離れたのかさえ思い出せません。
 千春、私本当は今夜こんな手紙を書きたくはなかった。でも少し落ち着い
て考えてみると、どれほど辛く悲しいことでも、それでも私は質したい。
千春の口から本当のことを聞きたい。
 今夜は一晩中、虫の声を聞き続けることになるでしょう。

  千春へ                                五月


 五月許して下さい。この返事を書きながら涙が止まりません。
私は何度も何度も祐司さんのことを、五月に話そうと思いました。
 私本当は五月より先に祐司さんと付き合っていたのです。五月に彼のこ
とが好きだと告白された時、どうしても自分のことが言えなかった。あの時
素直に話していれば....今更言っても仕方ありません。
 私は祐司さんを責めました。私のことが好きなら五月と付き合うのはやめ
て欲しいと。
「大丈夫、芳井君は友だち以上ではないのだから。」
祐司さんはそう言い切りました。それでも一度はそんな彼が信じられなくな
り、別れたいと言ったこともありました。すると祐司さんは
「僕が愛しているのは千春だけだ。信じてほしい。」
と私をしっかりと抱きしめてくれました。
 その時私より美しくて賢い五月、そんな五月より私を愛しているという祐司
さんを信じようと決めたのです。
 五月ごめん。私言い訳はしません。ただひとつ聞きたいことがあります。
五月は優しい言葉、きれいな笑顔の外に祐司さんが望んでいたものすべて
を知っていましたか。
 ただ愛して欲しい、愛されたい、五月はそう思い続けていただけなのでは
ないですか。五月自身が心底彼のことを愛していたと言い切れますか。
 私は彼の望んでいたものすべてをあげたつもりです。そして私は彼の心以
外何ひとつ望まなかった。自分のことなんか考えなかった。ただ一途に彼の
ことを愛し続けました。祐司さんの気持が、どんなに五月に近付いても目を
つぶって彼を信じました。デートなどしなくても平気だった。自分の全身全霊
をこめて彼を愛しているという自信だけはずっと五月に負けなかったつもり
です。
 私が祐司さんと結婚します。
ただ残念なのは、これで中学時代からの親友五月と私の友情も終ってしま
うということです。そして祐司さんが望んだという彼と五月の友情も.....。
 私たちが結婚した後も三人でいられるなんて、私はそれ程出来た人間では
ありません。
 さようなら 五月。
 私も一晩中虫の声を聞くことになるのでしょう。

 五月へ                                  千春

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故郷の詩  最終章 [昭和初恋物語]

 夏の終わりの海での新しい思い出を胸に、創は神戸へと帰って行き、彩子も
また元の生活に戻った。
 創からは時々外国から絵ハガキが来るようになった。「元気ですか、僕も...」
といつも同じことしか書いてないその便りを、彩子はいつしか心待ちするように
なっていた。
 秋の運動会も終わったある日、彩子は校長に呼びとめられた。校長室のソファ
に座ると、彼はにこやかに机の引き出しから、一枚の写真を取りだした。
結婚の話なんだよ。知人に頼まれたのだが、いい人いないかと言われて、即
座に彩ちゃんのこと話してしまった。一方的で悪いかと思ったのだけど、相手の
人を僕もよく知っていて、いい話だと思ってね。それにお母さんにも頼まれてい
たし。」
 校長はこの村の人で彩子の家のことは知りつくしている。皆の前では堤先生
と呼ぶのに二人になると彩ちゃんと優しい目で呼ぶ。
 差し出された写真を手に取りつつ、彩子は自分でも驚くほど動揺していた。
突然である上に、正直今まで具体的に結婚について考えたことは一度もなかっ
たから。母ともこういう話はしたこともなかったのに、校長先生にお願いしていた
なんて.....。
 「まあ急ぐことはないからお母さんとも相談してみなさい。そう、そのお婿さん
は僕が太鼓判押すよ。いい青年なんだよ。」校長は上機嫌で何度もそう言った。
 その夜食事の後、彩子が話を切り出す前に母が話があると言った。
「丁度よかった。私も相談したいことがあるの。」驚いたことに母の話も縁談で
こちらの相手は、彩子もよく知っている三歳年上の、幼馴染の進だった。彼も
隣町で教員をしていた。どうやら本人がずっと前から彩子に好感をもっていた
らしく、たっての願いだと言う。母は子供の頃から優秀で、人柄も申し分ない進
のことを、かなり気に入っている様子だった。
「凄いよお母さん。ホラ私も校長先生からお話があって....これ写真、中学の先
生だって。」母は驚いた様子で写真に見入っている。「何だか私急にもてちゃっ
てどうしたのかなあ。」「本当ね。彩子も年頃と言うことよ。そろそろ本気で考え
てみたら。創さんのこともね。」とぽそっと言って愛しげに彩子を見た。
はっとして 彩子もじっと母の目をみた。
 それから一週間、彩子は真剣に結婚について考えた。そしてそれは自分の
生涯で一番大切なことであり、その決断をするのも自分自身なのだと悟った。
 彩子は校長と母に、今は結婚のことは考えられないと、二つの縁談を断った。
 その日から彩子は時々考え込んでは溜息をつくことが多くなった。
土曜日の午後、一人でピアノを弾いているとき、夜窓にもたれて星を眺めてい
る時、何故か遠くの創を想った。忘れてしまっていたものが、次々と頭をもたげ
るように、彼女の中で創の面影が日増しに大きくなっていった。

 時折小雪が舞い冬休みも近いある日曜日、彩子に小さな小包が届いた。
創からだった。絵ハガキ以外貰ったことのない彩子は、驚いてそれを開けた。
 中にあった小さな銀色の小箱のリボンを解くと、飴色の地に白い少女の横顔
を浮き彫りにした、美しいカメオのペンダントだった。カードもあった。
「彩ちゃん元気ですか。僕は今ナポリにいます。十二月二十五日夜神戸に着き
ます。その時誰よりも一番に彩ちゃんに逢いたい。大切な話があります」
 彩子は思わずそのカードを抱きしめて、窓辺でペンダントをそっと首にかけた。
静かに嬉しさがこみあげて来た。そしてそれが創への想いとひとつになって溢れ
る涙にとなった。

 このペンダントをつけて創を迎えに行こう。

 雪雲の間から、かすかに射しこむ冬の陽が、幸せな彩子の顔を一瞬照らして
やさしく通り過ぎた。

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故郷の詩  4 [昭和初恋物語]

 梅の花が咲いて、山で鳴く鶯の声が聞こえ始めた春浅い頃、彩子が東京
音大を卒業して村に帰って来た。母の希望でもあったが、華やかな都会での
学生生活に満足しながらも、彩子自身が折りに触れて知った故郷への思いを
大切にしたかった。卒業したら、この静かな村の小学校の教員になろうと決め
ていた。
 彩子二十二歳。あの幼かった日の面影を残しつつ美しい女性になった。年
頃のこととて結婚話も色々あったが、彩子は勉強に専念し、恋も知らずにいた。
 創も希望の船会社に入り、今はもう船に乗っている。彼が想像していたより
遥かに厳しい仕事だったが、自分の選んだ道を必死に歩いていた。
 入社間もない頃には、彩子のことを想って切ない夜もあったが、いつかそうい
う余裕もない程忙しい日々の中で仕事に没頭してきた。
 
 その年の夏、創は兄の結婚式に出るため、久し振りに村に帰って来た。彩子
が帰っていることは、母から聞いて知っていた。四年前お互いの進路が決まっ
た時、しっかり頑張ろう! と話合って以来、会うこともなかった二人だ。
 創はこの機会にどうしても彩子に会いたいと思った。学生の頃のような胸の
痛くなるような想いは今はなくて、ただ懐かしい気持ちだった。
 創は思い切って彩子に電話をした。電話口で驚いたように「えっ創さん帰って
いたの」と大声で言うその様子は、高校生の時のままで創はほっとして、つもる
話も沢山あるので、是非会いたいと一息に言った。彩子は夏休みだし丁度よか
ったと、あっさり応じてくれた。
 約束の日二人は、創の母校の近くにある海水浴場に向かった。
 さすがに駅まで自転車で行くのは....とバスに乗った。パスがあの鎮守の森の
横を通りかかった時、彩子は思わず身を乗り出して窓の外に目をやった。蝉し
ぐれが降るように風に乗って聞こえて来た。突然彩子の胸に懐かしさがどっと
溢れて来て、そしてそっと創の顔を見た。彼も腕組みしてじっと目をつぶったま
ま思いにふけっているようだった。
 白砂青松、遠浅のこの海岸は美しいことで有名で、夏は大勢の海水浴客で
賑わったが、今はもう人影もまばらで、貸しボート屋が所在無げに店を開けて
いるだけだった。
 白地にブルーの縞模様の、スポーティなワンピースの彩子は、海によく似合
って何だかボーイッシュで、創はまた新たな彼女を発見たような気がした。
松林の間を抜けて行く風は、もう秋の香りがしてくるようで、二人は近くのベン
チに腰を下ろした。「こうして二人でいると、昔と少しも変わらない気がするなあ
でもあの神社で彩ちゃんと逢ってから、随分になるのだろうね。」懐かしそうに
言う創に「そうよ多分七年振り。だって子供だった私が、今や子供に教えてい
るのだから」笑いながら彩子はポンと創の肩を叩いた。もう大人の彩子なのに
そういう仕草は昔のままなのが、創にはとても愛しく思えた。
 創は彩子に聞きたいこと、自分も話したいことが、いっぱいあったのに、今こ
うして眼の前にいる彼女を見ると、そんなことより、無意識のうちに自分の胸に
閉じ込めてしまっていた彩子への熱い想いが飛び出してきそうで天を仰いだ。
「ねえ創さん、船で世界中多くの国に行ったのでしょう。」彩子の声に我に返っ
た創は「まあ船に乗るようになってからは、まだ二年余りだからね。」「いいなあ
いつか私も外国へ行きたいなあ。うん、やっぱりウイーンに行きたい。ねえウイ
ーンにはもう行った? 」彩子は子供のように目を輝かせて創を見た。創は思わ
ず笑って「ウイーンにはまだ行ってないよ。だって海から随分遠いもんなあ」と
冗談のように言う。
 「彩ちゃんボートに乗ろうか」「ええ?創さんボート漕げるの」「もう怒るよ。僕は
船乗りだよ。」はっはっはと彩子は豪快に笑って、ごめんなさーい忘れてたと!!
と舌を出した。
 民家のある一番近い島の辺りまで、潮の香りと海風の中を創は力一杯ボー
トを漕いだ。ボートから手を伸ばしてキャッキャッと海の水と戯れている彩子は
とても、二十二歳の大人の女性には見えなかった。

  
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故郷の詩  3 [昭和初恋物語]

 季節が移り二年の時が流れた。
 創も彩子も最終学年となり、それぞれの目的に向かって大切な年である。 この
二年都合をつけ合って、二人の金曜日は続いていた。そして会う度に創の彩子へ
の想いは深くなるのに、彩子の中では創は未だに信頼出来るお兄さんだった。
 二人は何度か話合って、これからの一年間は、それぞれの勉強に専念しょうと
決めた。考えて考えて決めたことだったが、創は彩子に会えない一年間に耐えら
れるだろうかと自信がなかった。同じ村に住み同じ道を通学するのだから、偶然
会うことだってあるかも知れない...などと女々しいことを考えたりした。
 今日は二人の最後のデートの日。行く先は汽車で二時間程の県庁のある街に
決めた。駅で待ち合わせることになり、創は一時間も早く来てしまった。
 朝からすっきりとした晴天になり、駅舎の広場に立てられた鯉のぼりが、青く澄
み切った大空を勢いよく泳いでいる。
 彩子は濃紺のワンピースに白い帽子で、約束の時間の少し前にやって来た。
創はいつも見慣れている制服の彩子とは別人のような、少し大人びたその姿に
一瞬息をのんだ。しかし「お早うございます。創さん早かったのですね。」にこにこ
と大声で挨拶する彩子は、やっぱりいつもの高校生だと創は少し安心した。
「ああ、何だか早く目が覚めてしまって。綾ちゃん今日はとてもきれいだよ。」彩子
は少し恥ずかしそうにうつむいた。
 汽車は広々とした田圃と、そこここに点在する農家が延々と続く中を走って行く。
しばらくすると、海が見えて来て、窓から手に取るように見える大小の島々は漁業
が盛んで、漁をする船が行き来している。
「私汽車に乗るの本当に久し振りよ。今日はいいお天気でよかったね。」彩子は創
の顔と窓の外を交互に見やりつつ、満足そうに言う。「今日のこと、お母さん何も言
わなかった?」「ええ、創さんと汽車で出かけると言ったら、お弁当作り手伝ってくれ
たのよ」屈託のない笑顔である。
 この二年間の二人のことを、双方の親たちも知ってはいたのだが、遠出をしたこ
とはなかったので、創は彩子の母がどう思っているのか、少し気になっていたのだ。
 窓の外に高い建物が見え始めて、やっと目的の終着駅に着いた。構内を出ると
つんと潮の香りが鼻をつく。「ああ海の匂い、そうでしょう」「そうだよ連絡船に乗れ
ば、もうそこは本州なのだから」その連絡船に乗る人たちが、足早に走るように二
人の横を急いで通り過ぎて行く。
 この街のたたづまいは、二人が暮らす村とは全く異なって、活気にみちていた。
そこにいる人々も、何やらみんな忙しそうに歩いている。
 駅から二十分程の道のりを、二人は目的の公園に向かってゆっくりと歩いた。
五月の陽と風は心地よくつい足取りも軽くなる。
 公園に着くと「うわあ素敵」彩子が歓声をあげた。「私こういう静かな所大好きよ」
 創は何度も来たことのある公園だったが、ここが好きで、彩子との一日はここしか
ないと決めていた。
 池と築山と橋が調和良く造られ、いつ来ても四季折々の花が美しい。今日は白や
紫の菖蒲の花が、水際にやさしい影を落としている。
 五月晴れの日曜日とあって、園内にはかなりの人がいたが、二人は辺りの景色
に見とれながら、ゆっくりと回遊路を歩いた。
「彩ちゃん、音大はどこに決めた?東京か大阪に出るしかないだろう。」「やっぱり東
京になると思う。お母さんは、ここの大学の教育学部も考えたら....と言ってるのだ
けど」「うん、音楽の先生になるならそれもありだね」「私は音大に行きたいの...学
費はかかるけど、そのことは心配しなくていいって。ただ私が遠くへ行くのが寂しい
らしいの。」「そりゃそうだ、彩ちゃんは一人っ子だもの。お母さん辛いんだよ。ずっと
二人で一緒だったのだから。」言いながら創は自分の寂しさを実感していた。
「創さんだって船に乗るのなら村から出て行く訳でしょう」創はもう自分の入りたい
会社は決めていた。商船大学を卒業した人たちも目指す大きな船会社だったから
、高専出の創は相当努力が必要なはずだった。後一年死に物狂いで頑張って、そ
の道では誰にも負けない実力をつけようと、固く自分に誓っていた。だからこそ彩
子と会うのも止めるという、辛い決心も出来たのだった。「うん、僕は多分自分の希
望が叶ったら、神戸から世界の海に出て行くんだ。」言いながら創はおかしかった。
まるで映画のセリフのようだ。ふっふっと彩子が笑った。「凄いね。そうなったら私た
ちもう会えないかもしれないね。」何気なく言った彩子の言葉が、創の胸に真っ直ぐ
突き刺さった。
 公園の芝生の上で彩子はお弁当を開いた。豌豆ご飯の海苔巻と、色とりどりの
おかずが、手際良く詰まったお弁当を仲良く食べた。かなり歩いていたので、本当
に美味しかった。
 街に戻った二人は喫茶店に入った。やさしい音楽が流れる窓際の席でコーヒー
を飲んだ。通路に置かれた観葉植物も、昼なのに少し暗い水色の照明も、彩子に
は初めてのことで、夢の国にいるような気持ちになった。「大人はこういう所で会う
のですね。」感心したような彩子の言葉に、自分たちの神社でのデートを思うと創は
笑いがこみあげて来た。「いつか僕も彩ちゃんも一人前になって、そうだね。静かな
夜、こんなお店で二人で話し合う日が来るだろうか。」としみじみと言った。
 彩子もその遠い遠い先のことに想いを巡らせているように、優しい目で創を見た。
 その日、故郷の見慣れた山の端に、夕陽が沈んで行くのを二人は自転車を止め
て、いつまでも眺めていた。
 


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故郷の詩  2 [昭和初恋物語]

 駅の桜が葉桜になり陽光が明るい若葉の季節になった。
あの日から気になりつつも創と彩子は会うことはなかった。その日創が
神社の前に来ると、自転車を止めて彩子が待っていた。「ごめんなさい
待ち伏せなんかして。よかったら少し休んでいきませんか。」創は驚い
てくったくのない明るい彩子の顔を見た。彼も彩子に会いたいと思って
いた。境内に何本もある大きなつつじの白やピンクの花が、いっぱい咲
いている。「おう」思わず声をあげる創に、彩子は笑って「きれいでしょう
。私この花が咲いたら、大森さんを誘おうと待っていたんです。」と思い
がけないことを言う。「あの時は本当に有難うございました。すぐにお礼
を言いたいと思ってもどうしていいか分からなくて。手紙を書くのも恥ず
かしいし、それに私六月にある文化祭の準備で帰りもいつも遅くなって
いたの。それならあのつつじの花が咲くまで....と。」彩子が喋っている
口元を創は何て可愛いのだろうと見つめていた。その彼女が僕のために
ここで待っていてくれたのだと思うと、嬉しさで胸がいっぱいになった。
「ごめんなさい、私ひとりで喋っている」「いいや、有難う。ここにこんな花
があるなんて知らなかったよ。本当にきれいだね」創はやっとそう言った。
 二人はいつかのように並んで神社の縁側に腰かけた。午後の木漏れ
日がほっそりと、足元にこぼれていた。
 「僕も何だかその後のこと心配で、気にかかっていたのだけどなかなか
会えなくて、大丈夫だった?」「実はあの前の晩、徹夜していて睡眠不足
だったんです。私わかっていたのだけど....」「何だ、それならよかった勉
強ですか。」「いつも怠け者のくせに、一夜漬けなんです。」彩子は明るく
言った。創はこれからも時々彩子と話がしたいと思った。いや、ちょっと
顔をみるだけでもいい...と。
 「ねえ大森さん週に一回ここで会いませんか。彩子の言葉に創は耳を
疑った。「私一人っ子だし気の合った友だちもいないんです。大森さんに
なら何でも相談できそうで...そうお兄さんみたいな感じがして。」彩子は
無邪気な瞳を真っ直ぐ創に向けて言った。創はわくわくする気持ちを抑
えながら「いいよ、いいですよ。そうしょう。僕金曜日が五時限まででいつ
もより一つ早い汽車に乗れるから。ごめん自分の都合を言って」と早口で
応えた。「はい金曜日大丈夫です。雨が降っても、取り敢えずここに来ま
しょう。」二人とも浮き浮きと、この日は横に並んで自転車を漕いだ。口笛
を吹きたい気持ちを創はじっとこらえた。
 家の前で「さようならまたね。」彩子はそう言って帰って行く創の後ろ姿
をいつまでも、見送っていた。
 待ち遠しかった金曜日になった。いい天気であちこちの麦畑が色づいて
辺りが明るく感じられた。
 「彩子はもう来ていた。「待たせたのかなあ。」創がそう言いながら縁側に
掛けると「私も今来たところです。」花のように彩子が応える。
 しばらく二人で座っていても話はとぎれがちになってしまう。創が突然「堤
さんは卒業したらどうするのですか」と聞いた。まだ二年も先のことだ。
「私音大に行くつもりです。小さい時からやっているピアノが好きだし、将来
は先生になれたらいいなあ」彩子は即座に応えた。その眼はきらきらと輝
いていて、創はまぶしい思いで彼女見た。「ピアノか、いいなあ。そう言え
ば中学の音楽会で堤さんのピアノ聞いたことがあるような気がする」「ええ
そうだったかなあ」彩子は思い出を探すようにしばらく黙っていた。そして
「大森さんは将来のこと、もう決めていますか」と言った。「僕は船乗りにな
るつもりです。通信士として船に乗りたいのです。」創も即座に応えた。
彩子にはすぐには理解できなかったけれど、ちょっと変わった職業だと思
った。そして颯爽とした制服姿の創を想像した。
 随分時間が経ったようにも思えたし、あっという間であったような気もする
ふたりだった。
 夕暮れが深く空が茜色に染まる頃二人は立ちあがった。自転車を走らせ
て村の入り口で見慣れた形の山が見えた時創はなんだかほっとした。少し
遅くなったかも知れないと気になった。「楽しかったわまたね」「本当に楽し
かったよ」創は大きい声で言って手を振りながら遠ざかって行った。
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昭和初恋物語  故郷の詩  1  [昭和初恋物語]

 小さな駅のホームの桜が満開で、白い花びらが汽車から降りた乗客の肩に
ひらひらと散りかかる。
 その中を大森創は足早に駅前の自転車置き場に向かった。ここから彼の住
む村まで三十分の道のりを、自転車で通っている。
 創は二駅先にある電波専門学校の三年生に進級したばかりである。
同級生たちは、この駅のある町の高校に進んだが、彼は躊躇なく五年制の高
専を選んだ。子供の頃から船が大好きで、船員になりたいと思っていた。
 駅を出ると村へ帰る高校生たちと一緒になる。知った顔に「やあ」と声をかけ
ながら、創は鎮守の森まで力任せにペダルを踏む。今日は吹く風も心地よくて
歌でも飛び出しそうだ。そこを通り過ぎようとした時、大きな松の陰で人の気配
がした。高校生たちはよくここで一休みするので、珍しいことではなかったが、
創は何故か気になり、自転車を下りて近づいて行った。
 そこにセーラー服を着た一人の高校生が座り込んでいた。
「どうかしましたか?」創は思わず声をかけた。その声に振り向いた顔を見て、
彼はあっと思った。二級下の堤彩子だった。「堤さんどうしたのですか。」「少し
気分が悪くなって....」驚いた顔の彩子が小さい声で応えた。「大丈夫ですか」
創は近付いて彩子の顔を覗き込んだ。心なしか青い気がした。「はい大分落ち
着いたので、もう少し休んで帰ります」と彩子。と言われてもこのまま放って帰
るわけにはいかない。
 創は彩子を神社の縁側まで連れて行き、少し横になるように勧めた。「別に
痛いところはないですか」彩子が頷く。「それなら大丈夫でしょう。僕がここに
いるから、少し休んで行きましょう。」彩子は言われるままに、体を横たえた。
 春の夕暮れ時は穏やかで、この神社の境内の桜も満開だった。高く聳える
松や杉の木の間を渡る風はやさしくて気持ちが安らいだ。
 創は少し離れて座り教科書を取りだした。ここでのんびりしていて大丈夫だ
ろうか、と心の中は不安でいっぱいだったが、即医者へ行くほどの状態では
なさそうだった。彩子は眼をつぶってはいたが眠っている風ではなかった。
 三十分程で起き上がった彩子は「有難うございました。少し良くなったので、
もう帰れそうです」顔にも赤味がさして、創が見ても気分が良くなったのが分
かった。「自転車乗れますか?」「はい大丈夫です。ゆっくり帰りますから。」「じ
ゃあ僕が後ろについて走りますから、駄目になったら言って下さい。」
 もう辺りには人影もなくて、二人は本当にゆっくりと自転車を漕いだ。創は何
だか浮き浮きしている自分に気かついて少し慌てた。
 村の中心にある彩子の家の前で「兎に角帰れてよかった。お母さんに体の
こと話した方がいいですよ。」と創は言った。「はい。有難うございました。」元
気な彩子の声を背に聞いて、村のはづれにある創の家まで、彼は力いっぱい
自転車をこいだ。「お帰り、今日は少し遅かったね」母が門口まで出て来て言
った。
 創の家は兼業農家で父と長男は、役場に勤めていて、母と兄嫁との五人暮
しで、創のすぐ上の兄は大学生で家を出ていた。
 家の周りは田圃が開けていて、今は小学唱歌そのままに、菜の花が風に揺
れ、今夜は月が美しい。その月を眺めながら、創は今日の彩子との数十分を
思った。あまり話はしなかったけれど、彼には忘れられないひとときになりそう
だった。
 彩子は自分の部屋で横になると、今日の事は母には言うまいと決めた。
彼女は昨夜、殆ど徹夜で勉強したことを反省していた。今日の体調の悪さは
睡眠不足だ、自分ではそうと分かっていて、創にそれを言わずに心配をさせ
たことを悔やんでいた。でもちょっと恥ずかしくて言いだせなかった。
 彩子は父を戦争で亡くして母は看護婦として働き、二人でここまで来た。
早朝や夜中に呼び出されて行く母を、小さい時から一人で頑張って寂しさに
耐えて来たので、しっかりした賢い娘に成長した。だからつまらないことで母
に心配をかけたくはなかった。いつのまにかぐっすり眠ってしまった彩子は、
夜にはすっかり元気になって、母の作った晩ご飯ををもりもり食べた。


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筒井筒~港の町で  最終章 [昭和初恋物語]

 窓から入って来る涼しい風を感じながら、淳と奈央は汽車に揺られていた。
 夕陽を見にやっぱりあの港の町へ行こう。二人の意見はすぐに一致した。
線路に沿って続く海は、夕波が穏やかで少し西に傾いた太陽が付いてくる。
少し赤味を帯びた水平線と藍色に点在する島影は、淳にはことさら懐かしく
側に奈央がいることで、心が弾んでいた。
 二時間程で街に着くと二人は駅前からまっすぐに、港に向かって街路樹の
大通りを歩いた。
 今日デパートで会ってから二人はお互いに想いの丈を伝え合った。
 奈央は淳がずっと自分のことを想い続けていてくれたことを初めて知った。
望んではいたが、思ってもみなかったことだった。
今頃やっと自分の気持ちに気付いた奈央が、一番気にかけていたこと。それ
は淳が自分のことをどう思っているだろうか。ただそのことだった。
 でもそれは取り越し苦労だった。あっけないほどに奈央の心配は吹っ飛んだ。
しかし、淳の気持ちを奈央がもっと早く知っていたらどうだったろう。
 今だからこそ奈央は、心の底から素直に淳の気持ちを受け入れることが出
来た様な気がした。奈央は自分の心の深い所にあった本当の淳への想いに
気づくまでに、七年もの歳月を要したのだから。
 淳の喜びはまた一入のものがあった。この恋が自分の一方的な感情だった
としても、奈央に絶対に分かってもらうまでは、と決意しての帰国だった。
 先に気持ちを伝えた淳に、奈央は素直に嬉しいといってくれた。奈央も淳の
ことが好きだ...と。奈央は多くを語らなかったが、真剣なそのまなざしが彼女の
心の真実をすべて映していると淳は確信した。

 港は夕暮れの慌ただしさの中にあった。出入りする船、行き交う人々。
 二人は港の喧騒から少し離れた波打ち際まで下りて、海に突き出た防波堤
の上を肩を並べて歩いた。その突端にある赤い燈台まで行くつもりだ。
 水平線を真っ赤に染めて陽が沈もうとしていた。夕凪にきらめく波は金色に
輝いて、防波堤に打ち寄せる波の音だけが、二人の耳に心地よかった。
 燈台の下まで来た時淳が立ち止まった。ポケットから小さな箱を取り出して、
奈央の目の前でリボンを解いた。奈央の誕生石ガーネットの、ほのかな紅色
がキラリと光る指輪だった。
 淳はそっと奈央の手を取り黙ってその白い薬指にはめた。
 奈央は突然のことに驚いて、直ぐには言葉もなく、ただ高鳴る胸と溢れてくる
涙をどうすることも出来ずにいた。
「奈央に渡せなかったら、この海に捨てるつもりだった。そしてその覚悟もして
来た。よかった奈央有難う」淳はほとんど叫ぶように大きな声で言った。
 奈央は黙ってそんな淳をみていた。心の底から湧きあがって来る喜びと胸が
痛いような感動。「ありがとう! 淳 ありがとう! 」言葉にならない奈央の心情は
海を渡る夕風に乗って、しっかりと淳の胸に飛び込んで行ったはずだ。
 暮れて行く海に立つ二人のシルエットは、少しづつ茜色に染まっていった。







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筒井筒~港の町で 決意 [昭和初恋物語]

 梅雨が明けると真っ直ぐに夏が来た。大通りの街路樹の濃い緑が、そこだけ涼
しい影を落としていて、ここでは皆ほっと一息つく。
 桜の花がいっぱいの春、丘の上の喫茶店で奈央と司朗が会ってから、もう三カ
月になろうとしていた。あの日奈央は心をこめて自分の気持ちを司朗に伝えた。
「好きな人がいるのか」と聞いた司朗の言葉を否定はしなかった。ただただ司朗の
優しさに甘えてしまった自分の非を詫びて「この話は無かったことにして欲しい」と
頭を下げた。司朗は残念そうに「僕も今直ぐ結婚を考えている訳ではないのでそう
結論を急ぐことはないのでは」と言ってくれたが、奈央は自分の気持ちに忠実であ
りたいと思った。
 奈央の話を聞いて叔母も両親もがっかりしたようだったが、「あなたももう若くは
ないのだから我儘を言ってはいけない」と言いつつ奈央の気持ちを理解してくれた。
 そんな中で建設中だった市の福祉会館が、六月に落成した。七月に入ってから
次々と始まる落成行事のことで、奈央は毎日を忙しく過ごしていた。仕事に没頭す
ることで、奈央は淳のことも司朗のこともしばらく忘れていたかった。
 そんなある日奈央は淳からの手紙を受け取った。
 昔から突然こういうことをする淳だったが、今の奈央には、いつもとは違う胸に
響くものがあった。
 八月に一年振りに帰国するので是非奈央に会いたい。今回は二人が生れ育った
街にも行きたいので、奈央も絶対に都合をつけて帰ってきて欲しい。とあって勿論
返事の有無など問うてはいない。
 奈央もその頃には仕事も一段落するので、ゆっくり淳と話したいと思った。
窓を開けると満天の星がいっぱい。淳と私まるで七夕さまみたい。ふっと笑いがこ
み上げて来た。

 淳はベルリンでは初めての海外勤務とあって、街や仕事に慣れて普通の生活が
出来るようになるまで随分時間がかかった。お陰で奈央のこともしばらくは忘れて
いられた。しかし、少し余裕が出て来ると休みの日など、やっぱり一人で異国にい
るのだと実感して寂しかった。
 そしてあの港の町に奈央を訪ねた時に、ベルリン勤務になったことを言えばよか
ったなどと後悔したりもした。今回は一年振りの帰国だ。出張だったが、一週間の
休暇も取った。どうしても奈央に会いたかった。奈央が自分のことをどう思っていよ
うと、奈央に対する自分の気持ちだけははっきり伝えようと決心していた。

 八月三日は晴天で朝から真夏の太陽がぎらぎら照りつけていた。約束の十一時
デパートの屋上庭園の、涼しい風が吹き抜ける木陰で、奈央は淳を待っていた。
お気に入りの白地に黒の小さい水玉模様のワンピースを着た奈央は若々しくて、
華やいで見えた。
 淳は昨夜夜行で東京を発ったはずだが、彼の両親は三年前に、長男と同居する
ためこの街を離れたので、ここに淳の生れ育った家はもうない。
 「奈央! 」大きい声がした。振り向くと白いシャツに紺の上着をきちんと着た淳が
立っていた。「こんにちは」奈央は胸がいっぱいになって自然と声が上ずった。
「約束通り来てくれて嬉しいよ。元気そうだね」「淳も」二人は思わず固く手を取りあ
った。




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筒井筒~港の町で  面影 [昭和初恋物語]


 年度末になり奈央は又港の町で忙しい毎日を送っていた。 春の色が日一日と濃
くなり桜の季節がもうそこまでやって来ていた。
 正月の見合いは、その日のうちに津野家から是非話を進めて欲しいと連絡があっ
た。と叔母の敏子が嬉々として電話をしてきた。
 奈央の両親も乗り気で、何より司朗が養子に入ってもいいと言ってくれたことが、
嬉しいようだった。
 奈央も司朗には好感を持っていたので、皆に勧められるまま二回程会った。
 結婚を前提としての付き合いなのだから、司朗はかなり積極的に、これからのこと
など話したい様子だったが、奈央はもうひとつ気が乗らないし心が弾まない。
 「まあ焦らず気長に行きましょう。」と言ってくれた司朗の言葉に甘えて何となく日が
過ぎて行った。
 奈央の気持ちの中にわだかまっているもの、それは淳である。あの見合いの日突
然、奈央の意識の中に現れた。
 結婚という二文字が具体的に自分に突きつけられた時、思ってもみなかった淳の
面影が浮かんだ。淳のことが気になった。
 幼馴染で兄妹のようにして育った。遠くに離れても、年一回の年賀状でお互いの
消息を知るだけで満足していた。それを寂しいとも何とも思わなかったのに。
 この三カ月、奈央はずっと淳の事を考えていた。
東京の住所に出した奈央の年賀状が返ってこない所をみると、多分淳には届いて
いるのだろう。ベルリンへ手紙を出すことも考えた。でも「突然どうした?」と訝しがっ
て大笑いされそうな気がした。
それに淳が奈央のことをどう思っているかも、皆目見当がつかない。淳が奈央を一人
の女性として見たことなんかきっとないだろう、と奈央は思った。

 奈央のアパートの前庭のさくらんぼの花が、淡いピンクのつぼみをいっぱいつけた。
新年度に入ると奈央の仕事も少し落ち着いてきた。司朗も今年は転勤もなく、奈央の
都合のいい日に一度会いませんか。と連絡が来た。
 もうこれ以上、中途半端な気持ちのまま司朗に会うのはよそう。このまま会い続ける
ことは、彼に対しても失礼で、大人の女性の取るべき誠実な態度ではない。
 奈央は決心した。
 春の一日をと桜が咲き始めた港の町に司朗がやって来た。
奈央は海の見える高台に最近出来た喫茶店に彼を案内した。司朗は淡いブルーの
ブラウスに濃紺のスーツを着た奈央を、本当に清楚で美しいと思い何だか嬉しい気持
で見つめていた。「この人と結婚したい」素直な自分の気持ちを奈央に分かって欲しい
と切に思った。
 開け放たれた窓から入って来る春の風は柔らかく、ロマンチックな香りがした。
「津野さん私今日お話しがあります。」奈央は思い切って話し始めた。「今日まであなた
のご厚意に甘えて、私の気持ちの定まらぬまま会って頂いて有難うございました。
津野さんのこと色々知ることが出来たし、私にはもったいない位好い方だとよく分かり
ました。でも結婚ということになると、何だか私の中で実感としてしっくりこないのです。
結婚を前提のお見合いをしておいて、無責任だと思われるかも知れないのですが....
ごめんなさい。」奈央は本当に申し訳ない思いで深々と頭を下げた。
 司朗はじっと奈央を見つめた。思いつめたような奈央の様子を、自分が悪いことでも
しているような辛い気持ちで見た。そして「誰か好きな人がいらっしゃるのですね」と低
いけれどはっきりとした口調で言った。
 

 
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筒井筒~  港の町で  初春 [昭和初恋物語]

 正月二日は雪になった。暖かいこの辺りでは珍しいことだ。
 若草色の総絞りの訪問着を着た奈央は、実家の座敷から庭を見ていた。
庭の樹や地面をにうっすらと白い雪が埋めていて、その下からこぼれている赤い
万両の実が愛らしい。
 積もったという程ではないが、このくらいの雪はしっとりとした情趣があり奈央は
大好きだ。
 今年は母の言う通り御用納めの日に実家に帰って来た。やっばりお見合いの
話で、叔母の敏子が持ってきたのらしい。「兎に角逢うだけでもいいから」と言わ
れて奈央も別に反対する理由もないし、いつかは結婚したいと思っていたので承
知した。そして今日がその日なのだ。
 美容院に行って着付けをしてもらい、帰って来た奈央を父はうっとりとした目で
眺め、「母さんなかなか良いじゃないか、うんきれいだ。」と何度も言う。
 奈央は色白で背も高く着物がよく似合った。一人っ子の奈央は生れた時から
両親に大切に大切に育てられた。
 ホテルに着くと先方はもう来ていた。敏子が飛んできて、じっと奈央を見て満足
そうにこっくりと頷いた。
 お見合いの相手の津野司朗は、高校の英語教師で年は三十歳。なかなかの
二枚目で背も高く、見るからに真面目そうな好男子だった。
 三十にもなってお見合いには両親も付いてくるのだ、と自分のことも含めて奈央
は可笑しかった。
 美しい奈央とはお似合いで、双方の両親も満足そうな様子で、和やかな会食と
なった。敏子が色々心遣いをしてくれて話も弾んだ。
 食事が終わってから、二人で街へ出かけなさいと敏子に言われたが、着なれぬ
着物で外を歩くのも少々窮屈で、奈央はよかったらここで話したいと申し出た。
 司朗は快く賛成してくれてふたりはホテルの喫茶室に場所を移した。
 二人だけになると奈央は緊張がほぐれて、体中の力が抜けてほっとしてしまった。
「これからが本番なのに!!」 司朗も同じ思いだったらしく、席に着くとふーっと大きな
溜息をついて「何だか肩が凝りますね。」と言ったので二人で思わず笑ってしまった。
 奈央は司朗という人物について、もっと知りたいと思っていた。
 運ばれてきたコーヒーを一口飲んで司朗が口を開いた。「奈央さんは着物よく似
合いますね、素敵ですよ。僕はどちらかと言うと静かで優しい女性が好きです。この
頃は女性と靴下が強くなったとか言われますが、僕はやっぱり日本古来の女性らし
い女性に魅力を感じますね。」
 奈央は改めて司朗の顔を見た。自分の考えをはっきりと相手に告げることの出来
る人だと思った。そう思いつつ、それなら私は不合格だなあ! と心の中でつぶやいた。
 司朗は話上手だったが、奈央の話も真剣に聞いてくれた。
 奈央は大切なことだと、将来も今の仕事を続けたいと思っていることを話した。
職業婦人ですか.....」司朗はしばらく考え込んでいたが「それもありですね」と自分
自信を納得させるように呟いた。司朗も教師という仕事に情熱と誇りを持っていて、
子供の頃から憧れていた仕事だと目を輝かせて言った。
 二時間程も話し込んでいただろうか。ホテルを出る頃には、すっかり雪も止んで日
暮れの街には華やいだ初春の空気が流れていた。
 家まで送るという司朗を断って、奈央は一人でタクシーで家に向かった。
 津野司朗は良い人だと思った。そして司朗も奈央のことを気に入ったのではない
かと思った。多分お互いの両親にも異存はなく、このお見合いは上手くいったのだろ
う、と流れ去る街の灯を見ながら奈央はぼんやりと考えていた。
 突然奈央の脳裏に淳の顔が浮かんだ。
 今朝受け取った淳からの年賀状、ドイツのベルリンから.....。そんなに遠い所に淳
がいたなんて。何も知らなかった。去年の五月に会った時淳は何も言わなかったの
に。何故! 
急に奈央の胸に熱いものがこみあげて来て遠く遥かな淳を想った。
 そしてその想いはいつの間にか不思議な感覚となって、奈央の中で少しづつ、少
しづつ静かに広がっていった。
 
 

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