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朱色の路面電車に揺られて

 梅雨入りせぬまま夏至を迎えた。
紫陽花の紫が緑の葉の間からちらりと見えて、それでまた気持ちが和む。
 暑くも寒くもなく風は心地よくこんなに爽やかな六月を私は知らない。

 だから体調はまあまあでも、予定の講座には絶対に出かける。

 バイクを止めたので今まで十四、五分で行けたところへ今はバスと電車を乗り継いで
一時間もかかる。
 せっかちの私にとってこんなに悲しく悔しいことはない。都会と違って一電車遅れると十分は
待たなければいけない。
 
 そこで私は気持ちの切り替えをした。のんびりとその時間を楽しむことにした。
見渡せば高層マンションが次々に出来ている。どんな人が住むのだろう。一時私も憧れた。
 あれホテルの名前が又変わっている。新しいコンビニが出来ている。
電停のベンチだって楽しいではないか。私の中の野次馬百匹。

 今日は予定も無いのでぶらり出かけることにした。家から三分のバス停からバスで十分。
 さて市内電車に乗るとそろりそろり歩いたほうが早いくらい。信号と電停で止まっている時間の
方が長いのではないか。

 この電車がまた鮮やかな朱色で、この色に変わり始めた頃「ええっー派手~過ぎる」と思っていたのに、バスも郊外電車もすべてが朱色になってくると、のんびりとしているこの街に活気があふれ
若返った気がしたものだ。

 その窓からみえる景色は最高。旅好きの私は全国あちこち歩いているがどの街もみんな特徴が
あって素敵だった。だけど心のなかで呟く「絶対負けとらん」

 堂々とした白壁が美しいお城の天守閣、水を湛えた堀を巡る土手の桜、梅、松、柳、など
季節が代わる度にその色を変え姿を変えて市民を楽しませてくれる木々。

 この堀に向かっていくつもの小さなベンチがある。ここにはいつも彼の面影がある。

 亡くしたころはバスや電車でここを通る度に、自分でもびっくりするほど涙が出た。
人に悟られぬようにうつ向いていた。

 さすがに今は涙は外には出てこない。

 昔はベンチはなくて大きな石があり二人でその石に腰かけていろんな話をした。
結婚するまで離れ住んでいたので、月に一回くらいしか会えなかった頃。駅まで送る途中で。

 結婚してこの街に住んでもただの一回も二人でこのベンチに座ったこともなければ、あの頃の
ことを思い出して話したこともなかった。

 だから今私一人がその思い出に耽り、昔のこと彼ともっと話したかったと思うのだ。

 紅い電車に揺られて楽しいひと時を過ごせた私はデパートに行った。お茶碗を買うつもりだ。
 一人になってからは大好きだった食器にも関心がなくなり、新しいのを買う気にもならなかったのになぜかふとその気になった。

 小一時間もかかってやっと気にいったお茶碗。今風だけど古風な感じもするもの。
乳白色の地色に茶色の柔らかなやさしい枝が描かれ、緑の小さな葉っぱと同じくらいの大きさの
朱色の実がついている。
中も薄茶色の落ち着いた色合い。手触りが優しくて重さもちょうどいい。
 つい朱色の実のところだけがが薄水色の、もうひとつの大きめのお茶碗も買ってしまった。

 彼はきっと笑うだろうなあ。でも私の気持も分かって喜んでくれるような気がする。
 二つ並べて遺影の前に置いてみた。

 夕暮れの空は青く澄んで雲ひとつなく涼しい風が渡って来る。明日も雨は降りそうにない。


 


 




 
 


 
 
  
 
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春子さんの茶の間 その10 [短編]

 梅雨入りした地方のニュースを見ながら、雨の気配もない空を見上げる。

二十数年前の地獄のような水不足を思い出して春子さんはゾクゾクっと身震いした。
退職したばかりだった春子さんを心配して全国の仕事仲間から、沢山の水を送って頂いた。
 今年もちらほら節水のお願いが行政機関から聞こえてくる。
 今のところこの茶の間から見える庭の木々は元気で、春子さんは散水もしていない。
まあそのうち降るでしょう。と一人住いの気楽さでボーと座っているとメールが来た。
 まあ珍しい息子からだ。余程のことがない限り彼の方から連絡があることなどないので、まず
心臓がバクバク。
 
「私旅に出ています。」たったこれだけ。
 
 確か今日はまだ金曜日休みでもないのにどうして? 何処へ?  何しに?
春子さんの頭の中で? がぐるぐる回る。
 もともと彼は旅行好きで、ぽっと出かけることも珍しいことではない。
つい先日の土曜日も
「プロジェクト終わって、また新しいのが始まるので、ちょっと伊豆に向かっています」
と報告があったばかりなのに。

 「どこにいるの?」まず居場所の確認。
「龍飛崎」
「どひゃあ青森県それも先っぽ」
 天気はいいのか、風は強いか、体調は大丈夫。聞きたいことは山ほどあったのに、それっきり。

 私も春夫さんも旅好きで少しのお金と時間が出来たらすぐ飛び出した。その血を引いている。
でもよく考えてみたら、彼も、もうおじさん心配する方がおかしい。可笑しくて一人で笑った。

 私も東北は大好きでツアーで若い時に仲良しと三人と。
 春夫さんとは行かなかったけれど息子とは義妹と二人八年前にも車で巡った。
初秋の十和田湖、奥入瀬、遠野まで四泊五日。美味しいもの食べて満足の旅だった。
 そう言えばあの時息子は龍飛崎へ行きたがっていた。暗くなるからと春子さんが反対した。

 どうやら今回は新幹線みたいだから、もう心配はやめた。
 一昨年の冬にも、突然「八戸どすえ」と大雪の中で立っている写真が来て腰が抜けかけたっけ。


 まあ独り者の気きままな人生、ひっそり落ち込んでいるよりはいいかも知れない。
 音楽と読書が好きで、マンションは様々な楽器と古いレコードでいっぱい。
壁面は書棚にびっしりの本。
 地震がきたら圧し潰される。と笑っている。

 それでも春子さんのやっぱりいい人と結婚して欲しかったという思いは今も変わらない。


 茶の間の飾り棚にある春夫さんと二人並んだ写真にふと目がいった。
彼はどう思っているのだろう。

 子供たちには「自分の人生は自分で目標を持って思い通りに生きなさい」といつも言っていた。


 春夫さんが今ここにいたらどんなにいいだろう。
 また春子さんの呪文が始まった。

 来週には梅雨入りするでしょうとテレビが報じている。息子はもう帰途についているだろうか。

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黄昏に佇む [短編]

 朝の家事が終わらぬうちに英子から電話が来た。
「何?また旦那様がお出かけしたの」
「なんでわかるの?」
「貴女は一人になるとすぐに私に電話かけて来るのだもの」

 他愛のない会話がはじまる。英子と私は青春時代を共に同じ職場で働いて同期の桜なのだ。

 元気な旦那様、キャリアウーマンの未婚の娘さんと優雅に暮らしている。
 近くには長男一家が住んでいて、幸せを絵にかいたような日常だ。

 「ねえ一度会いたいからお宅に行ってもいい?」
「大歓迎よ。今週は予定も無いからいつでもどうぞ」
旦那様は彼女を我が家に送ってくると自由にどこかへ行って、夕方迎えにきてくれる。
「コーヒーでもどうぞ」と進めて少しの時間を一緒に話すこともある。

私たちには積もる話はいくらでもある。
ただこの頃英子は耳が遠くなり、物忘れも年相応でたまにとんちんかんなのが少し寂しい。

 早速英子がやって来た。旦那様は夕方迎えに来るからと、すぐに消えた。
コーヒー飲んで、アルバムを見たり、友だちの近況など話すうち、昔の話になった。
 実は英子は昔熱烈な恋をして結婚まで考えていたkさんという人がいた。
 当時先に結婚してしばらく当地を離れていた私は、風のたよりに彼女の結婚を知った時、ああ
あのkさんとしたのだと思い込んでいた。

 でも違った。何故と聞く間もなく数十年が過ぎた。

 私はずっとそのことが気にかかっていた。半分真面目に半分野次馬気分で。
 「何故」「どうして」と。

 私は思い切ってその話を持ち出した。
英子は真ん丸な目をして、それから真面目な顔になったが、そう懐かしそうな様子でもない。
また昔のことをと言いつつ
「自分では彼と結婚するつもりだったし彼も同じだった。でもしなかった、どうしてなのかは
忘れてしまったよ。」
とこともなげに言った。
 私は唖然とした。そんな大切なこと、いくら終わったと言っても一度は一生の大事と二人で
話し合ったに違いないのに。
 私はそれ以上聞きたくはなかった。人それぞれなんだもの。
その日彼女は迎えに来た旦那様に連れられて上機嫌で帰って行った。

 もう一人の同期生のミハルさんは、美人で気立てがよくて優しい人で、私が夫を亡くした時も
黙って寄り添ってくれた。随分助けられた。でも彼女がホームに入ってもう四年にもなる。
 毎月のように訪ねていたけれど、もう今は私のことが分からない。
彼女は私より一つ若いのに。先日旦那様も同じホームに入ったと聞いた。

 私が尊敬して止まない二人の先輩も頭はしっかりしているけどホーム暮らし。

 人間齢を重ねると寂しいなあ。人生の黄昏って寂しくて残酷だとつくづく思う。

 勿論元気で頑張っている知人も沢山いるにはいる。
 
 でも私自身心のど真ん中に開いた穴は決して決してふさがることはない。
  
 夕暮れの入日の赤い色、昔は随分きれいだと感激して眺めたものだ。立ち尽くして。

 今はうつむき加減でちらちらっとみて、寂しい気持ちをどうすることも出来ない私。

 やれやれ折も折、テレビニュースが梅雨入りを告げている 


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春子さんの茶の間 その9 [短編]

春子さんが花絵さんと住田君のことを話し合ってから随分時間が経った。
 
 あれは十六夜の月が美しい秋の夜、もう半年も前のことだったのかと、大切なことを
放り出したままにしておいた自分に呆れてしまった春子さん。
 この間少し体調を崩してそれを花絵さんに知られたくなくて、つい長いご無沙汰になった。
住田夫人に不信を抱いたまま花絵さんの方からも、このことについては何の話もなかった。

 そうして春子さんも大分元気になり、気持ちの整理もできたので、やっと花絵さんとじっくり
話せると思っていた矢先に突然花絵さんの訃報が届いた。

 春子さんは愕然として悲しみのどん底に沈んだまま、浮き上がることが出来ずにいた。
冷たい雨が降りしきる夜に、花絵さんは心不全で一人で逝ったのだという。
だんだん事情が分かってきてもどうして?何故?あの元気だった花絵さんが。と彼女の死を
受け入れるのに随分時間がかかった春子さんだった。

 先日四十九日の法要が終わりましたと長女の奈美さんから丁寧なあいさつ状が届いた。

 庭の若葉が輝くように風に揺れているのを、それさえ恨めしい気持ちで春子さんは眺めた。

 もう住田君のことも住田夫人のことも終わってしまった。

 空っぽになった頭の隅で春子さんは考えた。
 花絵さんのことを住田君に知らせるべきか。答えは決まっている。

 遥かな青春の日に恋をした二人はもうこの世で逢うことはないのだ。
花絵さんが頑として思い込んでいたように、今も彼が元気で住田夫人の邪魔建てに合って
いたとしても、今は自由になった花絵さん。
いつか住田君が旅立って花絵さんの元に来た時、花絵さん本人が「真実」を質せばいい。


 春子さんはしょっていた荷物をひとつ下ろした気持になったが、胸の底にある悲しみは
一層深く濃く強く重く春子さんの体の中に沁みついて離れる気配もない。
 



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さくらんぼ日記八歳です [エッセイ]

 令和になってもたもたしているdanをあざ笑うかのようにはや半月。

 今朝がた夢をみました。なんだかやたら長い夢で夫を始め大勢の登場人物ががやがやと
海だか山だかで、楽しそうにバーべーキューなんかしています。

 少し離れた木陰でパソコンを膝に四苦八苦しているdanがいます。

 ああこの夢はすぐ記録しておかないと忘れてしまうからと枕元のメモ帳を探しているところで
目が覚めました。

 そして考えました。夢の中でも折角出て来た夫と話もせずにパソコンに向かっている私。
ブログ始めた頃は何も知らないから怖いものなし。
 だらだらと面白いように何でも書いていた。そしてそれを負担に思ったことなどなかったのに。

 そのうち種切れ、才能なしに気がついてあたふた。ブログのこともだんだんわかって来て少し
怖くなったのも事実です。
 でも書くことが嫌いではなかったし、素敵なブログ仲間に出会えて「生きる希望」おおげさに
言えば本気でそう思った時もありました。
 今でもその気持ちは嘘ではありません。
 
 でもあれから早八年。のろのろでも、ヒョロヒョロでも続けてきたのです。

 自分で思っていたより随分長く生きてしまっているdanですが、生きている以上は頑張りたいと
思っています。

 「さくらんぼ日記」一回でも訪ねて下さった皆様。
いつも訪ねて下さる心優しい皆様。
 
 有難うございました。これからも仲良くして下さると嬉しいです。

 よろしくお願いいたします。

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予定通りの二週間  [日記]

 平成から令和へ。
計画通りの二週間を終えて我が家に帰りました。
子供世代と行動を共にしたら、さすがに疲労困憊。
 今日はごろ寝を決め込んでいます。
 平成最後の日は娘と銀座の空気を胸いっぱい吸い込んで深呼吸。いい時代でしたと。

 令和の幕開けは皇居前広場をゆっくり歩いて二重橋まで。新天皇、皇后さまに最敬礼。
 午後からは、一別以来の親友に逢いに娘さんの案内でお墓参りに行きました。
お花をあげてお線香をたいて手を合わせると涙が溢れました。
美しくて賢くて元気な、私の自慢の彼女がすっきりとした立ち姿で目の前にいました。

 子供たちとの温泉行は甲府湯村温泉。新宿からスーパーあずさ号で二時間の快適な旅。
六十余年前、夫が出張で行って「とてもよかった新婚旅行ならよかったのに」と絵葉書をくれた
のを思い出して昇仙峡へも足を延ばしました。
甲府駅からタクシーで滝上まで、目も染まりそうな若葉の緑と青い空、奇岩清流ゆっくりと
四十分あまり歩きました。若い者に負けじと頑張りました。
 帰りもタクシーで。宿は白壁造りのちょっと風情のあるところ。
温泉も料理もよかった。親子水入らず。
 翌日は武田神社にお参りしてから帰りました。
 二日間好天の甲府でご機嫌ななめの富士山が恥ずかしがって目深にかぶった雲の帽子の恨めしかったこと。
 ある日は婿殿が近くの水元公園へ連れて行ってくれました。これがまた素晴らしくてよかった。
大木の並木、流れる水、緑 緑大勢の人と同じ数くらいのワンちゃんたち。
 しぜな満喫。人がいても広いから自然いっぱいの感じです。

 娘もよく泊まりに来てほとんど一緒にいてくれました。
 親友がいないからつまらんと嘆くと「私がいるから」と言ってくれてはいました。
 息子もうるさいと言いながらも優しくしてくれました。

 こうして私の平成から令和への旅も無事に終わり、大満足の私はにこにこと我が家へ。

 昨夜古い手紙を出してきて調べました。昭和三十三年七月二十七日
出張中の夫が昇仙峡を歩いた日です。私へのお土産は「水晶のお人形」でした。

 楽しかった二週間を振り返りつつ今は足も立たないくらい疲れています。

また明日からは元気をだして一人で頑張ってみようと思っています。
 
  


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平成最後の一日 [エッセイ]

 平成最後の日、この記念すべき日に東京に居るのです。どこかへに行こう。
皇居に近いところは人でいっぱいでしょう。ずっと一人で考えていました。

 私にとっての平成を思い返してみました。
もしかして人生で一番のんびりしていた頃だと思います。
 
 昭和に生まれて大人になり「この人でなれければ」と思う人と結婚して、二人の子供を育て
大学入学と同時に二人とも十八歳で家を出て行きました。
 私たちは子供の思うように彼らの人生を生きてもらいたいと、いつも話していたので
別に寂しいとも思わなかったし、卒業したら帰れとも言いませんでした。

 それでも長男は就職を決める時「帰らなくてもいいのか」と言ってくれました。
友人たちが家の都合で実家に帰るのを目の当たりにしたからでしょうか。
 で、そのまま二人とも東京に居ついてしまいました。

 私たち夫婦は二人して大好きな自分たちの街で、のんびりと思うように生きて来たました。
平成元年は私たちもまだ若かったから、仕事にも趣味にも精一杯頑張っていました。

 私にとっての平成は十九年までは、本当に若き日の貧乏生活を思い出しては、
「人生って上手く出来ているね。いつかはバランスが取れるようになっているんだ」
と二人で笑ったものです。

 ところが笑っていたのはそこまで。後の十一年を涙にくれて寂しく一人で生きて行く
ことになろうとは。
 でもその生活にもいつしか、年を重ねることで諦めと「仕方ないさ」という気持ちになり
 今では一人を満喫していると言ったらやせ我慢に聞こえるでしょうか。

 年末年始やゴールデンウィーク、秋が来た、夏もいいと東京へ来る私に、ご近所さんは
少し私の姿が見えないと、「東京へ行ってたんですか」と聞きます。
 私のこの生活パターンをいつまで続けて行けるのか、今のところ足腰も大丈夫だけど
寄る年波には勝てない気もします。
 
 まあもう少し新天皇と皇后のご活躍を見ていたい気もします。
何よりも上皇様が、激務から解放されてのんびりとお二人で歩まれる、これからの日々が
安らかにお幸せに長く続かれますよう、お祈りしたいと思います。

 さて私は考えた挙句平成最後の日、銀座を歩きましょう。
少しだけ贅沢して、美味しいお昼ご飯食べて、素敵な喫茶店でコーヒータイムを。
 小雨のぱらついていましたが、傘をさすこともなく楽しい銀ブラでした。
大好きな鳩居堂で買い物しました。木村屋のアンパンも買いました。
 快く一緒に歩いてくれた娘には、後日何か買ってあげよう。「内緒」


 そして今日は令和元年、五月一日。今から近場へ出かけてきます。
今度は息子が渋々一緒に行ってくれそうです。

 明るくて元気で戦争のない令和時代が続きますように。
 









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飛んで東京 [日記]

 爽やかな風とまぶしい陽の光。
やっと相応の季節の中に落ち着いた日々が過ぎて行きます。

 ゴールデンウイークを東京で! 例年のことなのに今年は一つの感慨があります。
 だって、私平成に発って帰ってくるのは元号が改まって令和なのですから。
ちょっと自慢に思う自分がいて、いつもより少し浮き浮きしています。

 一人で過ごす長い休みが切なくて、ゴールデンウィークと年末年始は半ば習慣のように
子供たちと過ごすため上京するようになって、早十二年になります。
 ご近所の皆さんからも、もうそろそろ行くのではと声をかけて下さったり羨ましがられたり。
でも人様が思うほど楽しみなわけでもなく、へそ曲がりの私は素直ではありませんでした。
 でも行ってみると結構楽しくて、年を経るほど前よりは嬉しがってる私がいます。
ただ今年は「いつ来るの。待っているからね。」と言い続けてくれて彼女がもういません。
先日もそのことを息子に愚痴った時「それは言わない約束でしよう」と一言。
ああ昭和、平成と手をつないできた彼女と令和をゆっくり歩きたかったです。
 今日は少しづつ準備に入りました。持って行く洋服など出してきても、また「つまらん」と
呟いてしまいます。

 椿が散った庭はピンクのつつじが満開になり、白い山吹やアイリスも風に揺れています。
朝夕の寒暖の差も少なくなり本当に最高の季節になりました。

  やっぱりいつもとは違う、浮き浮きした私のゴールデンウィークになりそうです。
 
 












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故郷の桜の花に包まれて

 朝から晴れ渡った青い空、浮き浮きと足も軽やかに駅に向かう。 私の生まれ故郷の街に近い駅まで特急で約二時間、のんびりゆるゆる走る。  早い春が来たのにそこで足踏みし続けて、桜もさっとは咲かない。 毎日一人で座っていると春とはうらはらに、何だか寂しくて病がちの友の消息など聞くと 余計に気分が滅入る。  そんな時ふと古い写真を見つけた。 おかっぱの髪に赤い鹿の子の布の入った髷をつけ、赤い着物を片袖脱いで下から空色の 襦袢の袖が見える。 それぞれのポーズでにっこり笑った七人の少女たち。  一人一人の顔を指さし名前を声に出して言いながら、懐かしくて私は涙が出そうになった。 これは小学校五年生の時の学芸会の劇中「紅葉おどり」の写真だ。  それぞれの役はこなしつつ、この踊りは別にしっかり練習をした。  学芸会が終わった翌日 隣町の写真館で摂ったもの。一里の道をどのようにして行ったのか 自家用車などない時代。 父兄や先生方も当然一緒だったのだろうが、その辺の記憶はまったくない。  バックの花の写真が美しい、写真館の広間でそれぞれのポーズを取るまで大変だった。 小一時間もかかつたろうか。子供心にも疲れ果てた思いは今も思い出すことが出来る。  写真は勿論白黒だ。でもこの衣装のことだけは、はっきり覚えている。 赤い着物と空色の袖、しっかり締めた銀色の帯。嬉しかったし得意だったから忘れていない。  しばらく眺めていると皆に逢いたくなった。この中の三人とは今でも年賀状で繋がっている。  十年前夫に逝かれて落ち込んでいた私を故郷の街に呼んでくれた。 四人で一緒に泊まって、涙にくれる私を慰めてくれた。  私は思い切って一番の仲良しだったFさんに電話をかけた。 少し前Sさんも夫を亡くしたが、Tさんにも声をかけてくれてみんなで逢ってくれるという。  話はとんとん拍子に進み一週間の後、桜も満開の時、今日私は電車に乗った。 きらきら光る瀬戸内海は波も穏やかで、いくつも浮かぶ島影も春の真ん中に。  山側の窓からはその色を変えて高く低く連なる山々。一番高く頂上に雪を頂くのは 西日本一高い霊峰石鎚山。  ここは私にとって生涯の思い出がいっぱい詰まっている大切な懐かしい路線なのだ。 あちこちに見える満開の桜が車窓を飛んでいく。あっという間の二時間。  約束の時間に約束の駅で十年振りの三人が笑顔で手をふって、私を迎えてくれた。 ここから三、四十分のそれぞれ別の町からみんな車できてくれた。  三人の、とてもとても元気そうな若々しい?笑顔に、私はもうそれだけで満足だった。 花見弁当を買ってから桜を見に行った。とにかく全山桜桜、吉野山にも引けを取らない。 人は大勢いるのに、どこからでもどこに座っても、風に散らない満開の桜が見えるのだから みんな余裕でのんびりしている。これが田舎のいいところだとつくづく思う。  大木の下に陣取ってご馳走もそこそこに、まあよく喋ること。    それぞれ家庭の事情もあったろうに、私の思いつきに快く皆が来てくれたこと、その気持ちが 嬉しくてやっぱり幼馴染はいい。それに家族の人たちの優しさ。 私たちの結んで来た七十年の友情は本物だったと、私は心の底から三人にお礼を言った。 三人もこういうチャンスは大切にしたかったと喜んでくれたのもまた嬉しかった。  二時間も花の下で、そうそうあの写真や学芸会の話も出た。 みんな覚えていたけど見たことはないと笑った。家のどこかにはあるよねえと。  夜は宴会に温泉に楽しい時間が続いた。十年前の写真を持っていったので皆に見せた。 「あれえ私らこんなに若かったのねえ」と今更顔を見合わせた。 「あのときはみんなで泣いたねえ。慰めるために集まったのにみんなで泣いてしまって」 Fさんがしんみりと言った。 あれから十年早いねえ。これからの十年のことはみんな考えたと思うが、誰も何も言わなかった。  次の日も快晴。車で街中の桜を巡り、ごはんを食べ喫茶店で喋り、心ゆくまで故郷と友情を 堪能した私を、夕方の駅でホームまで出てきて三人が手を振って見送ってくれた。  帰りつくまでの二時間、二日間の楽しかったことばかりを思い続けて嬉しがってた私。 十年前は涙が止まらず思い出のこの路線を二時間泣きながら帰ったのに。  これからも又時々逢って、みんなで元気で幸せな余生を送りたいものだと切に思った。        
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桜に雪 新元号の春が来た [エッセイ]

 暖冬だ、今年は暖かいと喜んでいました。
本当に朝起きるとき寒くて辛いと思ったことはありませんでした。
 特に二月と三月は体調も良くて、毎日好きなことのし放題。
 お出かけはなく、訪ねてくれた友と我が家でゆっくりとコーヒータイム、それなりに好い日を
送ることが出来たました。
 
 ところが春分の日が過ぎて「暑さ寒さも彼岸まで」などとお花見の相談やら、たまには美術館で
覗いてみましょうと、予定を立てたころから寒い日が戻って来ました。
 
 開花宣言したまま桜の花が咲きません。楽しみにしていたお花見も花がなくては話にならない。
しまったセーターやコートまたで出してきたり。

 今年は庭のさくらんぼも、梅も白山吹、アイリスまでが随分早く花が咲きました。
そしてずっと遅れて紫木蓮、蘇芳、利休梅が今やっと咲いています。

 足踏みした春にいら立っているうちに四月が来ました。

 そして新元号の発表。耳にも優しい感じの「令和」

 これは嬉しかったです。
まさかその典拠が万葉集だなんて。ひとしきりテレビにかじりついてほんわかしていました。
大好きな万葉集、高校時代からずっと結構読んだと思っていたのですが、「梅花の宴」を
すぐに思い出せたりはしませんでした。

 夜になってから万葉集巻五、「梅花の歌三十二首 併せて序」じっくりと読みました。
 ついにやにやしている自分に呆れつつ、でも少しは自慢げな気持ちが沸き上がってくるのを抑えながら。

 大宰府天満宮へは梅の季節以外にも何回か行きましたが、いつも道真や万葉人に思いを馳せて
悦に入っている私がいました。

 そして四月二日、日本列島すっぽりと寒波に覆われ、時ならぬ雪が降りしきりました。

テレビで見る満開の桜に降り積もった雪は、本当に幻想的で夢の世界にいるようで、これなら
少しくらい寒くてもいいか、と思ってしまいました。

 この寒波も明日の朝までとか、三寒四温少しづつ本当の春は近づいています。

 明後日、私は生まれ故郷の街に出かけます。小学校から中学校二年までを共に過ごした仲良しと
四人で楽しい一泊旅行です。電車で行く私を三人が駅で出迎えてくれます。
 十年振りの再会です。あの時もみんなで私を励ますために集まってくれたのでした。
でもこの十年で、どんなおばあ様が揃うか怖いような嬉しいような。
 また一つ楽しい思い出を作ってきます。
 
 さあ年相応に頑張って昭和 平成 令和とゆっくり歩いて行きましょう。

 平和が続くことを信じ祈りながら。




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