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自分らしく思う通りに [エッセイ]

 今日も朝から気持ちの良い青空です。
 ついに春が来た! と声に出して言ってみてにっこり。
 風は時折冷たいし、冬に戻りそうに寒い朝はリビングの温度計を日当たりのいいところへ。
 私は天気予報を見るのが好きで、だいたい一週間分は覚えておきたいのです。
 これは私の行動の原点といっても過言ではありません。
 このところ体調もよくて、どうしたことか「のら」の私はどこかへ消えてよく動いています。

 先日は突然にキッチンの戸棚の整理を思いつきました。
 欲張りの私が出来る限り壁面いっぱいに取りつけて、何でもかでもしまい込むのだろうと夫に
笑われたしろものです。
 あるある、不用品はとっくに処分していたつもりだつたのに、箱に入ったままの大鉢や
輪島塗のお椀。備前の湯飲みセット。今更IHに対応しない鍋などなど、笑ってしましました。
気に入って買っても「よそいき」と言ってすぐに使わない私に「よそいき」って。と大笑い
していた夫のこと思い出しました。

 ある日は玄関まわり、ドアはいつも開いている方しか開かないと五年くらい知らなくて、それ以来掃除もしてなかったのを思い出して、片方の細い部分を開けてみました。
 細かい隙間に貼っている蜘蛛の巣かごみを取り除き、水で洗い直してきれいになりました。

 その間いつも通りお雛様も飾ってひと安心。椿の花も満開です。

 あれほど毎日しんどいと落ち込んでいた一月が嘘のようで嬉しい誤算です。
親友を失った悲しみは、意識して胸の奥に封じ込んでいます。

 こんなにいい毎日、先日小学校時代の故郷の友人から久し振りに電話がありました。
つもる話が弾んで桜でも咲いたら会いたいねということに。また楽しみが増えました。
 最後に彼女が言いました。
「今は元気で一人でいるけど最後はどうするの?誰に面倒みてもらうの」
 私が今まで考えたことなくて、このところ眠る前に毎日考えていることをずばり。

「ずっと一人でいて最後は施設に入る」
 この考えは数年前施設に入った友を訪ねた帰りに捨てました。どこがどうという訳でも
なくて本能的に嫌だと思い自分でも納得したものです。

 もしまだ数年生きることになったら.....

 止めた止めたケセラセラ。

「息子も娘もいること忘れないでよ」という娘。ほんの少し「そうよね」と思っている私。
威勢のよかった私も年相応のばあさんになったかと思うと悔しい。

 いえいえ私、気を若く持って今まで通り最後まで自分らしく思う通りに生きていきたい。
 ずっとずっと昔夫と約束したように。

 三月の透き通るように青い空、今日もとても優しく穏やかな風が吹いてます。


 

 
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後ろ向きの青春 [短編]

 雨が小降りになるのを待って景子は家を出た。
駅への道は何となく気が重かったが、小一時間も電車に揺られている間に薄日がさし
窓の外に続く里山の霧が少しづつ消えると、あたり一面に咲く菜の花に春のやさしい光が
降り注いで景子の気持も少し軽くなったようだ。

 目的の駅に着いた。
何年振りだろう。辺りの様子はすっかり変っていたが、景子の胸にはあの日の深い絶望感が
昨日のことのように蘇ってきた。
 駅前の道をおぼろげな記憶をたどりつつ、ゆっくりと歩いた。


 二十三歳の春、吾郎と二人で歩いた道、喜びと不安でいっぱいの景子に吾郎の大きな暖かい
手が嬉しかった。この時二人は結婚を決め彼の両親に会いに来たのだった。
 吾郎はすでに両親の許しも得て、婚約者として景子を紹介するのだと。

 この辺りの旧家だとは聞いていたが、立派な門構えの家の前に立った時その立派さに
今更ながら景子はたじろいた。吾郎が笑ってつないだ手をしっかり握り直してくれた。
 廊下越しに噴水のある池がみえる広い座敷に座っている間、景子は緊張のあまり小刻みに
震えている自分を持て余していた。
 そんな景子の様子をみて吾郎はおかしかった。「景ちゃんでも緊張することあるんだ」と。

 程なくして現れた両親は和服を素敵に着こなし、いかにも旧家の主と言える父と美しい母だ。
挨拶が終わると
「こんな遠い田舎までよく来てくれましたなあ。」
父が低いけれはっきりした声で言い、母も
「本当に大変だったでしょう。寒くはなかったですか。」
優しい笑顔で景子を労ってくれた。

 景子も吾郎の両親に初めてのご挨拶。それも結婚の許しを得るために来たのだと固い決意は
していても、平静ではいられなかった。
吾郎が今日のことについては前もって了承を得ているのだから、何の心配もなかったのに
景子は胸の辺りがざわざわして、不安な気持ちが広がっていった。

 その時振袖を着た美しい女性がお茶を持って入って来てテーブルに置くと、そこに座った。
「えっ誰なのかしら。吾郎に女の姉妹はいなかったはずだ。」景子はじっと女性を見た。
年は同い年くらいか、物静かでいかにもお嬢様という感じだ。
「やあ千明さん、今日は又どうして」
吾郎が大声で言った。その言葉を遮るように父がもっと大きな声で言った。
「景子さんでしたな。紹介します。吾郎の許嫁の畑野千明です。私の遠縁に当たる娘で吾郎とは
千明が生まれた時親同士が決めた許嫁なのです」

 景子は動顛した。父の言葉を容易に理解することは出来なかったが「許嫁」という言葉だけが
景子の頭の中を駆け巡った。そしてぼんやりと千明を見つめていた。
「父さん」吾郎が言った。いや叫んだ。
「父さん、何て酷いことを。どういうことだ。僕はこの話初めて聞いた時に、はっきり断った
はずだ。そして父さんも千明さんも、叔父さんもこの話はなかったことにすると言ってくれた」

父は半狂乱になり髪を振り乱し泣き叫んでいる吾郎を冷ややかにみて
「吾郎落ち着きなさい。そんなに取り乱しては男らしくない。景子さんにも嫌われるぞ」


 吾郎は東京の大学を出ると故郷に帰り地元の銀行に就職した。長男が地元にいて家を継ぐのは
当然のこと、吾郎も何の抵抗もなかった。
 そこで景子に会った。景子は市役所に勤める父と教員の母、三人姉妹の真ん中でおっとりと
育った。銀行の図書室で出会った時に吾郎の一目ぼれ。交際三年で結婚の約束をした。
景子の両親は喜んで二人を祝福してくれたし、姉妹たちともすぐ仲良くなった。
 難物は吾郎の方だったが、彼は何度も話をしてやっと納得してもらえたのでとやってきたのだ。


  突然に降って沸いた不幸、二人にとってこんなに理不尽なことが許されていいはずはなかった
特に景子は今日こそ吾郎との結婚を喜んで貰えると、そのことばかり念じていたのに。

 景子の頭の中で思考するという機能が火花となって大きな爆発音とともに飛び散った。
「吾郎さん私帰ります。」
全身は震えていたが思ったより落ち着いた声が出た。両親にちゃんと挨拶も出来た。
後は何も分からなかった。吾郎の大きな声を聞いたような気もしたが、どこをどう歩いて電車に
乗ったのか、この数時間のことは景子の記憶から抜け落ちたままだ。
 
 景子は次の日銀行を辞めてこの街を出た。

 数年経って吾郎が千明と結婚したのを知った。
景子も心の通う人と出会い幸せな結婚をした。成長した二人の子供も家庭を持った。
夫と二人の間に穏やかな時が流れ、二年前に彼を見送った景子は姉妹のすむ故郷にもどり
静かな老後を送っていた。

 早春のきざしが見え始めた数日前、景子は新聞の「お悔み」欄で吾郎の名前を見つけた。
何十年もの間景子の胸の底の底にひっそりと留まっていた名前。
思いもかけず胸が苦しくなり涙が溢れた。

 あの時以来二度と会うこともなかった吾郎に会いたい。その気持ちだけでやって来た。
昔の記憶を辿り菜の花の咲く里山の道を歩いた。


 四十余年を経てたどり着いたそこには、大きな屋敷の跡形もなく更地になっていた。
あの日の辛い辛い思い出のかけらも、吾郎の面影さえもそこにはなかった。

 雨もよいの春の風がやさしく景子の髪を撫でて通り過ぎた。


 
 




 

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嬉しい春の訪れ [エッセイ]

 思ったよりずっと早く春が来た。
今朝見たらもうさくらんぼの花が五つ六つ開いている。それなのにえひめあやめもまだ次々に
優しい紫の花をつけている。
 花たちをみて、つい笑顔になる自分の単純さに呆れつつ、それでも嬉しくて心が躍る。

 代わり映えのしない毎日が過ぎて行く一人の生活。何かしているので退屈をすることはないが
楽しいとか嬉しいとかいう感情とはほど遠いところにいる私。

 お茶を飲んでほっと一息ついても、思い浮かぶ友たちの顔は....
老々介護、病院通い、そしていくつかの高齢者施設の一人の部屋。春になっても二つ返事で
付き合ってくれそうな人はいない。年を取るということは寂しいことだと今更のように思う。

 それでも春めいた日差しに誘われていつもの散歩道を歩いていて立ち止まってしまった。
固まって生えている一面の枯芝の中に、淡い薄水色のいぬふぐりの花が、星が降って来たように
辺り一面に咲いている。

 私はつい胸の辺りが切なくなり、なにやら懐かしい想いがあふれた。
あれはもう半世紀以上前の話。
 毎年この花を見る度に思い出しては少し嬉しがっている私。そしてこの花が咲くのを心待ち
しているのに、今年は思いがけなく早く見つけた。
 
 夫は無類の花好きで、デートの時など花屋さんの店先で、道端で野原で、よく花の名前を教えてくれた。それなのに私が高校の時作って、先生に褒められたとぬふぐりを詠んだ俳句の話をしたら
いぬふぐりを知らないという。どこの道端にもいっぱい咲いていたのに。

 数か月経って二人で初めて行ったお城跡の草むらで、いぬふぐりの薄水色の花を見つけた。
そしてとても得意げに私はこれがいぬふぐりだと教えた。
何だか嬉しくて、いつも教えてもらってばかりいたので、少し態度も大きかった気もする。
 そしてその日から夫もこの花が大好きになった。二人の家の庭も早春には薄水色になった。

 春めいた風が私を現実に引き戻し、私はもう一度しゃがみこんでいぬふぐりの花をみた。

 春が来たのだから、もっと前向きに楽しい毎日を過ごそう。寂しがっても泣いても笑っても
一日は一日。
 事情のある友にも一度声をかけてみよう。みんなで楽しいこれからを歩こう。
 早春の光を全身に受けて上を向いて歩きだすと、なんとなく力が沸いて来た。

 もうすぐ弥生三月、お雛様を飾って花は桃の花。ちょっと嬉しくなってきた。













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雨水 春へ一足づつ [日記]

 久し振りの雨。それも終日降り続くという。
別に出かける予定もないので、気持ちもゆったりして自由だ。(いつも自由ではありませんか)

 庭の白梅が小さい花を開き始めた。お隣の白梅はもうとっくに咲いてとてもきれい。
種類が違うのだろう。我が家のはいかにも小ぶりで五つ六つなる梅の実も可愛らしい。

 さくらんぼの花も少し膨らんで春を待っているようだ。水仙はまだまだしっかり咲いているし
嬉しいことに今年も早々とエヒメアヤメの紫が優しい。

 夕方の一人歩きの時は道の端の草花たちと話をしながら一人笑い。
一日中口をきかない日の方が多いのだから、慣れたと言っても侘しい一人住いではある。  

 当市には独居老人で、福祉の恩恵に(例えば緊急時電話など)預かっていない人で希望すれば
週二回ヤクルトが頂ける。生存確認も兼ねていて「こんにちわ!お元気ですか」とヤクルトを
手渡してくださるのだ。
民生委員さんから進められ半年ほど前から私もその恩恵によくしている。

 私の担当の方はいつもにこにこと大きな声で「お元気ですか」ととても気持ちがいい。
大体約束のお昼頃。私も元気が出て玄関で少し立ち話をすることもあった。
小学生と保育所、二人も子供さんがいると聞いて若いの頑張っているなあと感心していた。
 ところが二月になって突然辞めることになりましたと、ご挨拶に見えた。
「ええ、残念ね、暇なときコーヒーでもと言っていたのに、また急にどうして?」
彼女はにこにこと
「三人目出来ちゃったのがわかって」
「素晴らしい。それならおめでとうと言うしかないね。」

 突然のことでお礼の何かと思っても.....小さなチョコレートのひと包みしかない。
それでも彼女は嬉しいととても喜んでくれた。私も
「有難う。元気でいい赤ちゃんが生まれますように」
短い間だったけれどこういう人たちが、訪ねてくれたら独居老人もきっと嬉しいと思う。

 その時次に来て下さる人も一緒で、これからは午前中に来て下さるという。

時間は特に気になる私だから気を付けているのだけどその時以来私は一度も彼女に会っていない。
「あれえ遅いなあもう十一時半だよ」と牛乳箱開けてみたらヤクルトが入っている。
一度だけ仕方なく留守にしたら手書きのメモは入っていた。
 
 昨日「みなさんお元気ですか」という福祉協議会とヤクルト販売が作ったらしい葉書くらいの
メモ用紙が入っていた。
これは月に一回配達証明のようなもので印鑑を押していた用紙だ。

 私は年甲斐もなく腹が立って来た。前の彼女とは話しながら感謝の気持ちをこめて印鑑を押していたのに。
これでは生存確認どころか顔もみたことがない。これでいいのだろうか。
配達する人によってこんなに違っていいのだろうか。
社会福祉協議会やヤクルト販売会社の真意は届いているのだろうか。

「ヤクルト貰っているのだから文句言わないでください」
悩ましい私がいる。

 雨は降り続いている。嫌なバアサン。こんなこと書くつもりなかったのに。
  
 雨音は春が来るよとささやいているように聞こえて嬉しいはずの私なのに。





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春立つ日 ひとつのさようなら [エッセイ]

 視界から銀色の車体が消えた。
思ってもみなかった感慨が体の中心からじわじわと全身に広がった。
 
 立春と聞いてもまだまだこんなに寒いのに。と毎年思ってきた。
今年は違った。朝からうらうらと優しい日差しがいっぱい降りそそぎ風もない。

 こんな日に愛用のバイクとお別れできるのは良かったと思う。
十三年間お世話になった。買い物にカルチャーに命日のお墓参り、毎日の乗らない日はなかった。

 しかしここ二、三年は遠出は止めて近くの電停まで五分とかスーパーまで五分とか。
それに弟たちや子供たちに「バイクは止めろ」耳にたこが出来る程言われ続けたし、自分でも
もう潮時だと思えた。
 今年は免許更新の年だったので昨年秋に更新しない決心もした。


 このバイクは私にとって三台代目、必要にせまられ免許をとって三十六年無事故無違反を
通していたのに、五年くらい前初めての道で、一時停止の標識を見落とし白バイに。
 あの時の悔しさ、自分のミスを棚に上げにこやかに応対する若い警官を憎んだ。
それからは知らない道でも「一時停止」の標識はすぐ目につくので、捕まるのもいいか。


 バイクとの別れがつらい訳がもう一つある。

 このバイクは夫が亡くなる前年二人で買いに行ったものだ。ケチの私はもうそう遠くまでは
乗らないのだから、安いのにしょうと決めていた。
 彼は違った。「命を預けるものだから」とその時の最新型のホンダに決めた。
どれでもいいと言う私にヘルメットも一番いいのを選んだ。
 あの時の夫の顔は今でも覚えているが、私より満足げで嬉しそうだった。


 翌年夫が病気になり、入院していた四十五日間、私はこのバイクで毎日病院に通った。

 昨秋バイクは廃車を考えて買った店の店主にもそう伝えていた。

ところがたまたま訪ねて来た知人とバイクの話になり
「大切にきれいに使っているし、距離を乗ってないからまだまだ乗れる。うちのはもう時々
エンジンもかからないので、よかったら譲って欲しい」

 廃車してどこでどうなったかより、知人が乗ってくれたら私も嬉しいと思った。
そして二月に譲り渡す約束をしていた。

 一月東京から帰ってから暖かい日に少しづつバイクの掃除をして、保険証や防犯登録
キーも予備の真新しいのと揃えて、いつ知人が来てもいいようにしておいた。

 昨日待ちかねて電話をした。知人はあまり早々に行くのもとためらっていたらしい。


 そして今日ご夫婦で見えて、諸手続きの準備も終わり、ゆっくりとお茶を飲みながら
「どうぞよろしく」と私。
「有難うございます」と知人。

 颯爽と私のバイクに乗った奥さんが軽快なエンジンの音を残して帰って行った。


 バイクが見えなくなった途端何故か切なくて苦しくて胸がいっぱいになった。
気がついてはいなかったが、私にとってはやっぱり大切なもの。夫との思い出のバイク。

 蝋梅のかすかな香りが風にのって漂っている。庭の寒あやめも愛らしい紫を見せている。
 
 穏やかな春立つ日のさようなら、私の優しい思い出がまたひとつ。








 

 

 


 



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最後のメール「おやすみなさい またあしたね」 2

この冬一番の冷たい朝、昨日はひと時雪も舞った。

 窓から見える白い水仙の清らかな花にHさんの姿が重なる。

 彼女からの最後のメールを貰ってから二日間どうしても連絡が取れず心配していた。
こんなことは初めてだったし浅草寺へ行く詳しい約束も出来ていなかったから。
 一人暮らしだったけどすぐ近くに次女のAさんと大学生のお孫さんが住んでいて、
毎日のように行き来していることは知っていた。

 でもHさんはリビングに横たわり一人で旅立ってしまった。

 私は警察署からの電話で事実を知った。私からのメールで色々分かったのだと。

 今思うと私はこの時落ち着いていたと思う。

 胸は早鐘を打つような動悸で今にも破裂しそうだったし、携帯を持つ手は震えていた。
多分血圧は200は超えていただろう。

 それでも私は取り乱してはいけなかった。
話を聞いている間Hさんの愛しい笑顔が私を支え続けた。

 涙は出なかった。


 23時22分最後のメールをして間もなく亡くなったということが分かった。
原因は心臓病だった。そういえば心臓の薬は飲んでいた。

「こんなに元気なのに心臓のどこがどうなの」
何回かきいたことはあったけど
「よくわからない」
と呑気な答だった。

ここ何十年もの間会うと二人で東京の辺りを歩きまわった。
それでも一度も彼女が疲れたとか胸苦しいとか言ったことはない。

 
 子供たちの前ではもういつもの私ではなかった。取り乱し放題。
 娘が
「ママ今東京にいてよかったね。すぐにHさんに会いに行こう。きっと待っているよ」
こう言われたとき初めて涙が溢れて止まらなくなった。

 Hさんの長女Nさんからも連絡を頂き一人で大丈夫という私に、しっかり娘がついて来た。
駅まで車で出迎えてくれたNさんとは中学生の時以来の再会である。


 Hさんは私が最後に逢った時そのままの美しい顔で眠っていた。
少し微笑んでいるような安らかな、今にも起き上がって「来てくれたのね」と言いそうな。

 私は顔を撫で肩に腕に胸にもそっと手をおいた。自慢の黒髪にも触れた。
どこもかも冷たくて、あの駅での最後の手のぬくもりが突然蘇り涙がながれた。

「安らかにおやすみなさい。娘さんやお孫さんのことは心配いらないよ。貴女の自慢の人たちでしょう。旦那様きっと待っているよ。最後に私のことも忘れないでね。」


 私はHさんに最後の手紙を書いた。

十五歳で逢ってからもう一人の友と仲良し三人の高校、娘時代、子育て中の何年間か会えなかった
頃のこと。
子供たちが成人してからの三人が毎年旅をしたこと。

 そして昨年十月Hさんが里帰りした時十年ぶり三人がにホテルで泊まり温泉に入り楽しい
一日を過ごしたこと。

 Hさんにというより最愛の母を亡くした二人の娘さんに、いっぱいいっぱいお母さんのことを
教えてあげたかった。
 手紙はお母さんに書いたけれど二人に読んで欲しいと。そして最後にはお母さんと一緒にと。

 
 私は我が家に帰った翌日もう一人の親友に逢った。

「また東京へ行って来るよ」
「Hさんに逢えるね、よろしくね」年末の電話で。


 私は久しぶりとニコニコ顔の友にこんな辛い悲しいことを告げなければ、それも突然に。
ずっとずっと考えていた通り、
「大切な悲しい話をするよ」

彼女の肩をしっかり抱えて一息にМさんが亡くなったことを話した。
その時の彼女の表情は決して忘れない。優しい優しいこの人がどんなに驚いただろう。

 暫らく言葉はなかった。そのあとしっかり二時間余り三人の思い出話は尽きなかった。


 悲しい一月ももう終わった。

毎晩電話をくれる娘に
「大丈夫、彼女でいっぱいだった頭の端の方にこの頃またパパが出てき始めたよ」
「それは良かった、ごちそうさま」


 「二月になったから頑張るよ」
週に一回だけする息子へのメールに
「頑張らなくてえーよ。自然体が一番」と返信来た。


 


 

 

 
 












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最後のメール「おやすみなさい またあしたね」 1 [エッセイ]

 私が唯一無二の親友Hさんから最後のメールを受け取って三週間が過ぎた。
 
 その間自分が何をしてどうなったか、今でも夢の国をさまよっているような頼りなさで
毎日の生活を普通にしているのが不思議な気がする。

 年末年始やゴールデンウイーク そして思いついたら子供たちのいる東京へ飛ぶ。
本音は十五歳からの友であるHさんに逢える、待っていてくれるそれが何よりの楽しみ
だったからだ。
 そして今回も毎日のメールや電話で「いつ来る?」「あと二日ね」「待ち遠しい」と。

 上京して四日目やっと十二月二十五日十一時半に会えた。私が風邪気味だと知って
「それなら私がそちらに行くよ」
 にこにこといつものHさん、改札口で待っている私。いつものように固く手を握って大笑い。
 色白で本当に綺麗な彼女とそうでなくても汚い上に、今回は帯状疱疹の跡が顔の右半分に
ああ私の顔。
 毎日メールで報告はしていたけれどきっと驚いたと思うのに
「あらもうほとんど分からないよ」
くどくど説明する私に笑顔が反って来る。あくまでも優しいHさんだ。


 デートコースは決まっているいつものお寿司屋さんで二人の好きな握りずし。
メールでは足りないあれやこれ話はいっぱいある。でも喋っているのは私だけ。
彼女は聞き役で相槌をうちつつたまにぼそりと一言。
 街を少し歩いてこんどは喫茶店ホットコーヒとモンブラン、これもいつも通り。

 それがあの日は恋の話になった。美しくて性格がよくて成績優秀なHさんがモテない
訳がない。中学高校と好きな人がいた。私はこの頃男子なんか眼中になかった。
恋など学生のするものではない、そんな人は不良だと思っていたのにHさんだけは許せた。

 珍しく彼女がよく喋った。優しい人だから「来るもの拒ばまず」だったのかなあ。
 中学の時のO君には後日談もあって初めて聞く私はまあ、とあんぐり。
 高校の時はN君М君二人いた。М君は古希の同窓会の時、隣の席にいた私がからかったら
「結婚したかった」とはっきり言った。彼とのことは私も少し覚えている。欠席していた
彼女に早速報告したら、ふふふと笑って「結婚なんて....」あっさり言った。

 ともかくこれらの話は、真剣な恋ではなくて彼女のなかではきっと青春の素敵な
思い出なのだろう。

恋多きМさんも大人になって結婚した素敵な旦那様と五十余年を添い遂げて、二年前に見送り
私と同じ一人暮らしになった。
 
 今度会う新年はいつものように上野公園をぶらぶらしてから浅草寺にお参りする約束をした。

 四時四十二分、駅の階段の上と改札口で二人は手を振って別れた。

 この時の別れが二人の永遠の別れになるなんて。

 いつでもМさんは私が死ぬ話をすると怒っていた。夫を亡くしてもうこの世に未練はないと
言った時も
「何言ってんのよ、旦那様の分まで生きなくては」
と強い口調で怒こったし、私たちもういつ死んでもおかしくない年になったと友だち同士で
話していても
「馬鹿なこと言わないの」と叱られた。

 彼女にとってはまだまだ素敵に生きる自信があったのかもしれない。
 
 涙はほとんど流してない私が、あっメールしなくてはと思い出してはもう彼女はいない
と胸が痛くて悲しくてつい涙が溢れてしまう。
 
 二人のこのメールは毎日もう十年以上続いている。最初の頃はああした、こうしたと四、五回
行き来していたのにこの頃では精々二、三回
「私ら年取ったんかねえ」とついこの間も笑ったところだったのに。

 そしてつい今夜もつい「おやすみなさい またあした」のメールを開けてしまう。
 

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清楚な庭の水仙のお出迎え

 三週間振りの我が家。
初春の余韻そのままに静かに私を待っていてくれました。

 カーテンを開けると嬉しい。
庭には緑の葉とすくっと伸びた茎の先には真っ白い花びらと花芯の春らしい鮮やかな黄色。
水仙の花が並んで、お帰りなさいと私には聞こえました。

 今回の東京は残念なことにみんなが次々とかぜを引くし、私も体調芳しくなくて病院にまで。
 
 でも帰ったら元気出て不思議なほど頑張れています。待っていてくれた友やご近所の人たちも
「ああよかった、やっぱり電気付かないと寂しいよ。」と笑顔です。
有難いこと ひとつ年をとってまたおばあちゃんになったのに「おめでとう」だって。

 今日はまだまだやることが沢山あって張り切っています。

 今年のモットー 人より前を歩かない.....年相応に何をするのもゆっくりと。
         遅すぎると思うぐらいで丁度いいのだから。しんどい時は休むこと
 
娘から言い渡された私への言葉です。         

さあこの言葉かみしめて子供たちに心配かけないように頑張りましょう。
 昨日お墓にお参りした時、彼にもおなじことを誓いました。
 今日も冬とは思えない暖かい日差しがそそいで、水仙の花は輝いています。


 今年もいい年になりますように!!
                  
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切ないよろよろ新年 [日記]

 2019年も早くも六日となりました。

 遅ればせながら明けましておめでとうございます。

 こんなにも穏やかな新年、毎朝光輝く太陽を感謝の気持ちで眺めています。
それなのに上京して以来、一日として元気いっぱいの日がなくて、娘が来て
何もかもやってくれるのをいいことにマンションに籠っています。

 心配してくれる子供たちには悪いけど、寝込んでいるわけでもありません。
ただ前に帯状疱疹のあと貧血になったことがあったのでそうかも知れないと
少し風邪気味でもあったので病院へ行きました。
二時間半待って貧血の検査をしましたが先生曰く「ヘモグロビン13もありますし
貧血ではありません」

 途端に元気になって帰ってきて「明日は豪華な食事に行こう」と張り切っていました。
ところが夜になって風邪の症状が少しづつひどくなって微熱も出てきました。

 そして今日で三日目少しよくなりつつあります。

 横浜の弟が来てくれるというのも断りました。
 温泉もキャンセルしました。
 親友とのデイトもまだ一回。

 ああなんと切ないよろよろの新年なのでしょう。

 後四日で又一つ齢を重ねるdanの寂しい2019年の始まりです。

 それでももう一回元気を出して行ましょう。頑張れ!

 皆様今年もよろしくお願いします。

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平成三十年も後二日 [日記]

  穏やかに明けた平成三十年でしたが、様々な自然の力に脅威を感じた一年でもありました。

 それでも何とか細々と「さくらんぼ日記」を続けられたことを嬉しく思っています。

  子供たちと迎える新年を昨年より、ちょっと喜んでいるのも年のせいでしょうか。

 上京して十日、体調イマイチで折角の温泉行もキャンセルしました。

 でも今日のように澄み渡った空、冷気のピンとしたベランダに出ると、元気がでます。

  来年の夫の十三回忌の法要を終えるまでは頑張らなくてはなりません。

  明日はみんなで賑やかに楽しく年越しそばを食べて、お正月には初詣に行きます。

 
 一年間本当に有難うございました。

 新しい希望に燃えた時代が始まります。

 みなさん良いお年をお迎えください。

 

 
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