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春子さんの茶の間 その9 [短編]

春子さんが花絵さんと住田君のことを話し合ってから随分時間が経った。
 
 あれは十六夜の月が美しい秋の夜、もう半年も前のことだったのかと、大切なことを
放り出したままにしておいた自分に呆れてしまった春子さん。
 この間少し体調を崩してそれを花絵さんに知られたくなくて、つい長いご無沙汰になった。
住田夫人に不信を抱いたまま花絵さんの方からも、このことについては何の話もなかった。

 そうして春子さんも大分元気になり、気持ちの整理もできたので、やっと花絵さんとじっくり
話せると思っていた矢先に突然花絵さんの訃報が届いた。

 春子さんは愕然として悲しみのどん底に沈んだまま、浮き上がることが出来ずにいた。
冷たい雨が降りしきる夜に、花絵さんは心不全で一人で逝ったのだという。
だんだん事情が分かってきてもどうして?何故?あの元気だった花絵さんが。と彼女の死を
受け入れるのに随分時間がかかった春子さんだった。

 先日四十九日の法要が終わりましたと長女の奈美さんから丁寧なあいさつ状が届いた。

 庭の若葉が輝くように風に揺れているのを、それさえ恨めしい気持ちで春子さんは眺めた。

 もう住田君のことも住田夫人のことも終わってしまった。

 空っぽになった頭の隅で春子さんは考えた。
 花絵さんのことを住田君に知らせるべきか。答えは決まっている。

 遥かな青春の日に恋をした二人はもうこの世で逢うことはないのだ。
花絵さんが頑として思い込んでいたように、今も彼が元気で住田夫人の邪魔建てに合って
いたとしても、今は自由になった花絵さん。
いつか住田君が旅立って花絵さんの元に来た時、花絵さん本人が「真実」を質せばいい。


 春子さんはしょっていた荷物をひとつ下ろした気持になったが、胸の底にある悲しみは
一層深く濃く強く重く春子さんの体の中に沁みついて離れる気配もない。
 



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さくらんぼ日記八歳です [エッセイ]

 令和になってもたもたしているdanをあざ笑うかのようにはや半月。

 今朝がた夢をみました。なんだかやたら長い夢で夫を始め大勢の登場人物ががやがやと
海だか山だかで、楽しそうにバーべーキューなんかしています。

 少し離れた木陰でパソコンを膝に四苦八苦しているdanがいます。

 ああこの夢はすぐ記録しておかないと忘れてしまうからと枕元のメモ帳を探しているところで
目が覚めました。

 そして考えました。夢の中でも折角出て来た夫と話もせずにパソコンに向かっている私。
ブログ始めた頃は何も知らないから怖いものなし。
 だらだらと面白いように何でも書いていた。そしてそれを負担に思ったことなどなかったのに。

 そのうち種切れ、才能なしに気がついてあたふた。ブログのこともだんだんわかって来て少し
怖くなったのも事実です。
 でも書くことが嫌いではなかったし、素敵なブログ仲間に出会えて「生きる希望」おおげさに
言えば本気でそう思った時もありました。
 今でもその気持ちは嘘ではありません。
 
 でもあれから早八年。のろのろでも、ヒョロヒョロでも続けてきたのです。

 自分で思っていたより随分長く生きてしまっているdanですが、生きている以上は頑張りたいと
思っています。

 「さくらんぼ日記」一回でも訪ねて下さった皆様。
いつも訪ねて下さる心優しい皆様。
 
 有難うございました。これからも仲良くして下さると嬉しいです。

 よろしくお願いいたします。

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予定通りの二週間  [日記]

 平成から令和へ。
計画通りの二週間を終えて我が家に帰りました。
子供世代と行動を共にしたら、さすがに疲労困憊。
 今日はごろ寝を決め込んでいます。
 平成最後の日は娘と銀座の空気を胸いっぱい吸い込んで深呼吸。いい時代でしたと。

 令和の幕開けは皇居前広場をゆっくり歩いて二重橋まで。新天皇、皇后さまに最敬礼。
 午後からは、一別以来の親友に逢いに娘さんの案内でお墓参りに行きました。
お花をあげてお線香をたいて手を合わせると涙が溢れました。
美しくて賢くて元気な、私の自慢の彼女がすっきりとした立ち姿で目の前にいました。

 子供たちとの温泉行は甲府湯村温泉。新宿からスーパーあずさ号で二時間の快適な旅。
六十余年前、夫が出張で行って「とてもよかった新婚旅行ならよかったのに」と絵葉書をくれた
のを思い出して昇仙峡へも足を延ばしました。
甲府駅からタクシーで滝上まで、目も染まりそうな若葉の緑と青い空、奇岩清流ゆっくりと
四十分あまり歩きました。若い者に負けじと頑張りました。
 帰りもタクシーで。宿は白壁造りのちょっと風情のあるところ。
温泉も料理もよかった。親子水入らず。
 翌日は武田神社にお参りしてから帰りました。
 二日間好天の甲府でご機嫌ななめの富士山が恥ずかしがって目深にかぶった雲の帽子の恨めしかったこと。
 ある日は婿殿が近くの水元公園へ連れて行ってくれました。これがまた素晴らしくてよかった。
大木の並木、流れる水、緑 緑大勢の人と同じ数くらいのワンちゃんたち。
 しぜな満喫。人がいても広いから自然いっぱいの感じです。

 娘もよく泊まりに来てほとんど一緒にいてくれました。
 親友がいないからつまらんと嘆くと「私がいるから」と言ってくれてはいました。
 息子もうるさいと言いながらも優しくしてくれました。

 こうして私の平成から令和への旅も無事に終わり、大満足の私はにこにこと我が家へ。

 昨夜古い手紙を出してきて調べました。昭和三十三年七月二十七日
出張中の夫が昇仙峡を歩いた日です。私へのお土産は「水晶のお人形」でした。

 楽しかった二週間を振り返りつつ今は足も立たないくらい疲れています。

また明日からは元気をだして一人で頑張ってみようと思っています。
 
  


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平成最後の一日 [エッセイ]

 平成最後の日、この記念すべき日に東京に居るのです。どこかへに行こう。
皇居に近いところは人でいっぱいでしょう。ずっと一人で考えていました。

 私にとっての平成を思い返してみました。
もしかして人生で一番のんびりしていた頃だと思います。
 
 昭和に生まれて大人になり「この人でなれければ」と思う人と結婚して、二人の子供を育て
大学入学と同時に二人とも十八歳で家を出て行きました。
 私たちは子供の思うように彼らの人生を生きてもらいたいと、いつも話していたので
別に寂しいとも思わなかったし、卒業したら帰れとも言いませんでした。

 それでも長男は就職を決める時「帰らなくてもいいのか」と言ってくれました。
友人たちが家の都合で実家に帰るのを目の当たりにしたからでしょうか。
 で、そのまま二人とも東京に居ついてしまいました。

 私たち夫婦は二人して大好きな自分たちの街で、のんびりと思うように生きて来たました。
平成元年は私たちもまだ若かったから、仕事にも趣味にも精一杯頑張っていました。

 私にとっての平成は十九年までは、本当に若き日の貧乏生活を思い出しては、
「人生って上手く出来ているね。いつかはバランスが取れるようになっているんだ」
と二人で笑ったものです。

 ところが笑っていたのはそこまで。後の十一年を涙にくれて寂しく一人で生きて行く
ことになろうとは。
 でもその生活にもいつしか、年を重ねることで諦めと「仕方ないさ」という気持ちになり
 今では一人を満喫していると言ったらやせ我慢に聞こえるでしょうか。

 年末年始やゴールデンウィーク、秋が来た、夏もいいと東京へ来る私に、ご近所さんは
少し私の姿が見えないと、「東京へ行ってたんですか」と聞きます。
 私のこの生活パターンをいつまで続けて行けるのか、今のところ足腰も大丈夫だけど
寄る年波には勝てない気もします。
 
 まあもう少し新天皇と皇后のご活躍を見ていたい気もします。
何よりも上皇様が、激務から解放されてのんびりとお二人で歩まれる、これからの日々が
安らかにお幸せに長く続かれますよう、お祈りしたいと思います。

 さて私は考えた挙句平成最後の日、銀座を歩きましょう。
少しだけ贅沢して、美味しいお昼ご飯食べて、素敵な喫茶店でコーヒータイムを。
 小雨のぱらついていましたが、傘をさすこともなく楽しい銀ブラでした。
大好きな鳩居堂で買い物しました。木村屋のアンパンも買いました。
 快く一緒に歩いてくれた娘には、後日何か買ってあげよう。「内緒」


 そして今日は令和元年、五月一日。今から近場へ出かけてきます。
今度は息子が渋々一緒に行ってくれそうです。

 明るくて元気で戦争のない令和時代が続きますように。
 









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