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七月十三日 金曜日 [エッセイ]

 青い空も照り付ける太陽のギラギラした光もあの日と変わらない。
ただ流れた年月だけがいかにも長くて、こんなにもと今更のように思う。

 四十五年前の七月十三日金曜日、父が五十九歳で亡くなった。
三年前に初期の胃がんが見つかり「手術は大成功でした。」と執刀した医師が太鼓判を
押してからたった三年。
 職場の花見の宴席で倒れたが検査の結果貧血ということになり、入院をすることもなく
治療しながら仕事をしていた。
 私はこれですっかり安心して胸をなでおろした。
この世で誰よりも大好きで心から尊敬できる父だったから。
 六月の父の日のプレゼントのゴルフボールを持って行ったとき、何だか元気がなく
あまり嬉しそうな顔をしなかったことが、心にひっかかった。
 ゴルフ大好きでお世辞にも上手とはいえなかったが、弟や妹たちとよくでかけていたから。
 それから間もなく体がだるいと言い入院をすることになった。
一週間ぶりに見た父は車にのるのも辛そうに弱っているように見えた。
 それから三週間、入院してからは割に元気で、私たち一家は毎日のように様子を見に行った。
 七月十二日の夜見舞った時父が、
「今夜は泊まって行きなさい。」と大きな声で言った。
私は夫と顔を見合わせて
「泊まれと言っても四人も?お母さんもいるし」と言うと
「そしたらいいよ。」呟くように言って寂しそうに笑った父の顔を私は忘れることが出来ない。
 翌早朝父の様子がおかしいと、母からの電話に夫と二人で飛んで行った。
 その時何気なく見た日めくりカレンダーの七月十三日 金曜日という文字がとても嫌だった。

 母、私たち子供、孫が見守るなか十時五分父は安らかに旅立った。

 私が駆けつけた時「今朝は少し体がだるい」と話も出来たし先生も緊急事態とも言われず
弟たちと職場に「少し遅れます」と順番に公衆電話をかけたくらいだったのに。

 その日から私は十三日の金曜日が嫌というより恐ろしくなった。
このことを話題にしている友などに
「そんな迷信みたいなこと、馬鹿みたい」
 と、もともと迷信とかゲン担ぎをまったく気にしていなかった私だった。

 そうそうあの日「太陽にほえろ」の一番人気だった刑事も殉職したんだった。

 七月十二日の夜病室の付き添い用の和室、四畳半もあったのだし真夏のことでお布団も
いらなかったのだから、泊まればよかった。仕事や子供の学校のこと、自分たちの都合だけ
考えていた私。
 父の最後の願いを、それも簡単なことなのにそれを聞かなかったことが情けない。
毎日行っても泊まれなど言ったことなかったのに。
 ずっとこのことは私の中で悲しい思い出になっている。夫ともこの話はしたことがなかった。
きっと彼も私と同じ思いだったのだろう。

 四十五年目の七月十三日 金曜日 私の結婚式の日の父母と並んだ嬉しそうな写真を
朝から何回も見ている自分がおかしい。
 
 今頃天国で三人で私の話をしているのだろうと思うと心が逸る。ああ。
 



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卯月のこころ模様 [エッセイ]

 今年の桜はもう葉桜。
 卯月半ばだというのに目に飛び込んでくるのは、きらきらと若緑の輝き。
 我が家の゜庭も遅咲きの藪椿の一二輪が小さく赤く咲き残り、紫木蓮と花周防のほかは
初夏の感ありというところ。

 私の中で卯月は大切で嬉しい楽しい思い出がいっぱいつまっている季節なのだ。

 卯月の声を聞くとそわそわ、朝から晴れ渡り降り注ぐ太陽の光までが微笑みかけて
くれるような日は、思いははるかうん十年前に猛スピードで遡り、若かりし頃の自分を
みつけて満足だげと、我に返れば苦笑い。
 
 私のそばで勿論、彼もしっかり若返ってにこにこしている。

 今日は四月十一日。ふと閃いて確信にも似た想いで思い出のひとつを持ちだしてきた。
便箋の色も赤茶けて、何度も読み返した私の指紋と涙で薄汚れている彼との往復書簡

 少しドキドキしながら、そっと最後のページの日付を見る。
 「昭和三十五年四月十一日」私は大声を上げたい衝動にかられた。「やっぱり」

 「これがフィアンセとして貴方に贈る最後の手紙になるでしょう」
 心を込めて書いた私の万年筆の文字が、あの時の私の気持ちを鮮明に思いださせた。
 そこには離れ住んでいた結婚までの切ない三年の日々、いつも我儘で自分の思いを通し
続けた私を、優しく見守ってくれた彼への感謝と、結婚したらあなたが望むいいお嫁さんに
なりますと、可愛らしい?私の決意がしっかりと書かれている。

 三日後の彼からの返信には、こんな理想の家庭を作りたいという彼の三つの「信条」が
書いてあり、それは、若い二人で生きていくこれからの生活が容易でないことを、私に
知らしめるに十分な説得力があり、身の引き締まる思いがしたものだった。
 手紙の最後には私にたいする約束事が三つ、彼の優しさが溢れる言葉で綴られている。

 今日のこの手紙を読むことになった偶然を、私は彼からの贈り物だと信じている。

 そうそう「これから二人で生きていく歳月は長ければ長いぼといい」手紙に書いてあった
この言葉だけが唯一彼が果たしてくれなかった私との約束だ。

 彼が逝って十年余、時々取り出してみるこの手紙が、私に生きる元気をくれる唯一の
ものとさえ思えるのだ。

 卯月 うらうらと暖かで優しいのに、青い空をみているとふと胸が痛くなる。
 白山吹の花が、やさしい風にゆれている卯月の昼下がり、ひとりの私。
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春がそこまでやってきた [エッセイ]

 庭の白梅もいつの間にか満開になり、固い蕾だと思っていたさくらんぼの花も

薄紅に開いて朝の日差しをうけています。

 朝昼夜と食事をするだけでのらのらの私は、イマイチの体調のこともあって

まるで入院しているのと同じ、ただ違うのは自分で食事をつくることくらいだと

娘に言って苦笑されていました。

 でもこのところ急に暖かくなり、お雛様を出し桃の花を飾るとなんだか嬉しく

なって元気が出てきました。

 デパートへでも行ってみる気になって、二人のもっとも親しい友に電話してみました。

 「そうねえ久し振りに出かけようか」という返事を期待していたのにがっくり。

 同じ年の彼女は

「買いたいものもないし、昨日眼科へ行ったばかり、その上旦那の食事つくりも大変で」

 二歳年下の彼女は

「風邪がまだはっきりしないし、好きでもない犬の世話でくたくた出かける元気がない」

 ああ二年前までは月に二回カルチャースクールに行って、楽しいお昼ご飯食べてお茶を

飲んで喋って、夕方帰って来ていたのに。

 確かに年はとったかもしれないけど、寂しい気持ちが私を不機嫌にさせました。

 そして又他の友に声をかける元気もなくなりました。

 でもあまりに春らしい今日という日、私はちょっとおしゃれをれをして一人で街に

でかけました。

 といってもバスで二十分あまり、思いつきさえすれば何のことはないのです。

バスの窓からみえるお堀の水はゆったりとして、白鳥があちこちに羽を休めています。

岸の寒桜や紅梅白梅も美しく、私の好きなせんだんの大木には今薄黄色の実が鈴なりで

辺りの芽吹いてきた木々との調和は、ここでバスを降りたいと思うほど。

 そして見えてきた、青い空のした城山のてっぺんにそびえるお城の天守閣。

どこのお城より美しいと私は思っています。

 仰ぎ見るたたづまい、天守閣からの眺めも文句のつけようがありません。

 デパートも疲れるほどの人もいなくて、いつも行く店の彼女が歓迎してくれました。

予定にもなかった買い物もして、市内一の商店街を歩きます。

 半世紀以上も前からあるアーケード街も昔からある店は数えるほどしかありません。

でもなんだか気持ちは浮き浮きして、遠い遠い昔の思い出が胸をよぎります。

 街行く人はみな楽しそうで若い人が多い気がしました。

そういえばあまり年配の人は歩いていません。

 足がわるいのか、病院か、デイサービス?

 嫌だいやだ、自分の思いを打ち消して、私は必要以上に背中を真っすぐにして

さっさっと歩きました。    転ばないように細心の注意をはらって。

 一人ではダメな私。コーヒーも飲まずに二時間半後にはもう我が家にいました。

 それでも出かけてみれば一人でも結構楽しかったし元気もでました。

 暑さ寒さも彼岸まで、春がそこまでやってきました。





 

 

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夕暮れのわが街に雪が舞う [エッセイ]

 全国的な寒波襲来というのに東京は気温十六度、陽の光さえみえます。

それでも羽田空港でバスを降りた時、その風の強さにびっくりしました。

 北の方の便は遅れやら欠航やらの表示が見えたけれど、私は何の心配もなく

機中の人となりました。

 誕生日はみんなで祝うからという子供らの言葉も聞かず予定通りの帰宅です。

 ところが飛行機が滑走路に出たものの順番待ちとかで、かなり遅れました。

飛ぶ前に向かい風が強いのでかなり揺れ、定刻より遅れる予想だとアナウンスが

ありました。

 少し風邪気味で体調イマイチだった私は、やれやれと思ったものの仕方なし。

 やっと離陸すると本当によく揺れました。怖いほどでもないのだけどあまり

気持ちのいいものではありません。

 当地での着陸は普通は海側からはいるのに、今回は山側から降りたのでやっぱり

風はかなり吹いていたのでしょう。

 ふと窓から外を覗くと暮れなずむわが街には雪が舞っているではありませんか。

 タクシーの運転手さんが

「寒いでしょう。このところ六、七度なんですよ。雪が積もっている町もあるんですよ」

と教えてくれました。

 
 三週間ぶりの我が家は森閑として、雪は降っていませんでした。

 部屋に明かりをつけて暖房して、こたつに潜り込んで、暑いお茶をのみました。

 急に寂しさがこみあげてきました。鼻水が出て体がだるくて、やっぱり普通でない。

 ご近所にご挨拶にいくのもおっくうで帰って来たことだけ電話で伝えました。

 「楽しかった東京だけど、なんか疲れた。だって家にいる時より動くもんね。みんな

元気で頑張っていたよ」

 彼にはちゃんと報告をしました。

 テーブルの上には年賀状わ始めとする郵便物があり、部屋に入れた鉢植えもみんな

元気で新年を迎えたようです。時々留守宅を見にきてくれる弟夫婦にも電話しました。

 夜になるといよいよ本格的風邪症状、空港で買ってきた「京都巻き」はとても美味し

買ったので全部食べたし、お風呂だけはやめにしました。

 よるかかって来た娘からの電話では風邪の話はしませんでした。

 あれから六日もたって、時々雪のちらつくわが街、病院へ行くよりはと家に篭って

いたけれど、風邪は私が好きらしい。

 今日はやって来た弟たちとスーパーで美味しいもの沢山買ってきました。

 次の土曜日まででかける予定もないので養生します。

 明日からは少し暖かくなると聞いて、冬枯れの庭に優しくさいている水仙にやっと

気がつきました。

  冬来たりなば 春遠からじ 

  





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青春 人生花の時 回想  2 [エッセイ]

  三人娘もいつしか人生のうちで一番大変だけれど、そう花の時を迎えました。

それぞれ結婚して、家庭の事情は違っても一生懸命に生きていました。

私とМさんは当地に留まりHさんは遠く首都圏に居を構えました。子供も同学年で

二人づつ申合わせたようだと三人で笑いました。

 同じ街に住む私とМさんは幼稚園までは同じで、暇を見つけてはお互いの家を行き来

して、子育ての話などいい相談相手でした。

遠くのHさんとはたまに手紙のやり取りはあっても、会うことはできませんでした。

 高度成長期の日本の国がどんどんと発展し世界に進出していた頃でした。

 家庭の事情は違ってもそれなりに頑張って、私とHさんは下の子供が中学生になった時

 フルタイムの仕事に就きました。

それからは本当によく働きました。二人の子供が大学を出るまでの間、三人とも必死でした。

 人生花の時とは言いながら、三人で会ったのは数回で十余年の月日が流れていました。

ある時誰からともなく、私たち随分頑張って考えてみたらもう人生折り返し地点は過ぎたよ。

 この辺でまた昔に戻って三人旅の続きをしょうじゃないの、ということになりました。

そうなるとまあ実行に移すこと早い早い。旅の計画と旅行記は私の担当。写真はHさん

 社交家のМさんが、タクシードライバーさんや宿の女将さんの話相手です。


 そして三人旅第一回は若き日に三人で初めて旅した思い出の京都からと決まりました。


 それから毎年一回三人で二泊三日の旅はつづきました。

 木曽路妻籠から馬籠まで歩きました。恵那峡の赤い大橋がホテルからよく見えました。

 六甲山の山頂美しい夜景を堪能した半年後阪神大震災がありました。忘れられない旅でした。

 妙義山から、小諸 千曲川、軽井沢など憧れの信濃路はなんと素晴らしく人生観が変わった

くらいの感動でした。

 関西空港で待ち合わせ和歌山城から白浜、熊野古道を少し歩いて熊野本宮に参拝。

 奥の細道の雰囲気を味いたいと山中温泉、那谷寺、永平寺東尋坊から気比の松原まで。

 Tシャツにパンツで颯爽と自転車で巡った飛鳥路。


 合計七回、十回目はハワイ。などと楽しみにしていた矢先Мさんの病気がわかりました。

 残念でしたが、三人旅はここまで。

 一年頑張ったМさんが元気になり、二年過ぎた時、このままでは寂しい、旅の打ち上げを

しょうということになり、富士五湖へ、それぞれ違う姿の富士山に歓声をあげつつタクシーで

湖を巡りました。元気になったМさんと三人本当に楽しい旅でした。

 結構費用もかかったし、家も空ける主婦の旅、理解ある旦那様でよかったと感謝の気持ちを

毎日の生活でお返ししようと旅の終わりの夜三人で話したものです。


 あれから又十数年経ちました。先日Hさんのお兄さんが亡くなられHさんが実家へ帰って

きました。

 三人揃うのは何年ぶりかしら。食事をしてお茶を飲んで、話に花が咲きました。

中でもやっぱりあの楽しかった旅の話が....時間がいくらあっても足りません。

 私とHさんは一人になってしまったけれど、元気に明るくこれからも前を向いて行こうと

この友情を大切にと、しっかり手をとって誓いました。


 師走、新年私とHさんは東京で毎日でもデートしようと秘かに企んでいます。


 




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青春 人生花の時 そして回想 1 [エッセイ]

 私には中学二年から今に続く親愛なる友が二人います。自称三人娘?

結婚するまで働く職場は違っても、いつも行動を共にしていました。

 三人とも旅が好きで、年一回は二泊三日の旅を、季節ごとに花見、紅葉狩り

島巡り、時には凍った滝を震えながら見に行ったこともありました。

 そのころのエピソードで三人揃うと必ず出る話。

私は長女、Мさんは二人姉妹の姉、そしてHさんは末っ子。

 そのころ仕事が終わると誘い合わせてよく喫茶店に行きました。四十円の

コーヒー一杯で二時間はねばりました。

 映画や音楽の話、洋服や靴やバックなどを買う計画、職場のこと、話題は

尽きることはありません。

 そしていつか、いつも一緒に居たいという願望から、三人で暮らしたいと

思うようになりました。

 そこから夢のような話が具体的になり、そのころ出来たばかりの薄いピンクの

三階建てのアパートで同居しようということになりました。

 それから家賃はどうする、生活費は、家具は、カーテンは、三人の家事の分担はと

それぞれの家や、昼休みの公園で着々と計画は進んでいきました。

本当に嬉しくて楽しくて。 幸せいっぱい夢心地でした。

 そしてとうとう今夜はそれぞれの親の許可をもらって来るところまで漕ぎつけました。

 その夜私は得意満面、とうとうと私たちの計画を父母に話しました。

父が言いました。

 「貴女はこの家が嫌なのか、祖父母や弟妹たちとこんなに楽しく暮らしていると

いうのに。何か不満でもあるのかな。豊ではないけれど暖かくいい家庭だと私は

思うんだがなあ。」

 私は父の顔を真っすぐに見ました。笑っている優しい目の奥に厳しいもう一つの

目を見たような気がしました。

 私は何にも言えませんでした。照れ隠しに少し笑っていとも簡単にこの話を引っ込め

ました。

 翌日冴えない顔の三人が喫茶店に揃いました。

 Мさんはまず母親に話したら、全然本気で聞いてくれなくて

「お父さんには黙っていてあげるから馬鹿なこと考えるのは止めなさい。」

と軽くあしらわれたとべそをかいていました。

 Fさんはどうしても話出せなくて、一晩中もんもんとしたと。

 三人は顔を見合わせて笑ってしまいました。考えてみれば本当に他愛ない話で何故

あれほど熱中して夢のような夢を見たのだろうかと、少し恥ずかしい気さえしました。

 「机上の空論」まさしくそのもの。でもあんなに楽しいひと時はなかったと半世紀

以上過ぎた今も、三人寄るとこの話は必ず出て大笑いになるのです。

 
 恋をしたり、失恋したり、私以外は花嫁修業にも精出して結婚するまでの数年間は

本当に楽しく逞しく青春を謳歌した三人でした。

 

 




 




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十年ひと昔 [エッセイ]

 日暮れ時、東の空に白く十三夜の月が浮かんでいます。

暮れ残った青い空の月は美しいけれどはかなげにも見えます。

玄関先の秋明菊の夕風に少し揺れている風情にもふと寂しさを覚えます。


 今日で十年。四、五日前から私の頭はこのことでいっぱいでした。

彼と会えなくなって恨み言を言ったり、寂しがったり泣いたり、いえいえ感謝の

外に何がある、と思い直したり。

 そしてそして早くも十年の時が流れ去ったのです。

 あの時十年後の自分なんて想像もできませんでした。二年、三年、実際早く迎えに

来て、とそのことばかり考えていました。一人で生きることなどできるわけがない。

三年、七年、いつまでぐちぐち言ってるのと、はっきり言われたことも。

 でもひと昔とはよく言ったもので、ふと気が付いてみると確かに涙が出る回数は

減りました。一日とて彼のこと思わぬ日はないのに、悲しみや切なさの種類が少し

変わってきたのを実感しています。

 月命日にお墓詣りに行くときバイクで鼻歌を歌っている自分に気が付いてあれっと

おもったり。前が見えなくなるほど流れていた涙。墓石の前にしゃがみ込んで涙に

暮れていたのはついこの間だと思っていたのに。

 あれ以来バックに忍ばせて持ち歩いているお気に入りの二人の写真数枚。親しい

友に見せては、多分ひんしゅくをかっていたであろうのに、自分では満足して一人の

時、こっそり取り出してみては、あの時この時を思いよく泣いていたのに。


 あの頃と何が違ったのでしょう。

 時の流れ、そう自分の年齢も関係あるのではとやっと気付きました。

もうほろほろ泣いている年でもないんだと思うと笑えてきました。

 仏壇の前に座ると白い菊とカサブランカの影から私より十歳も若い彼の笑顔が見えます。

 
 十年ひと昔、姿はおばあさんになったけど、私の心は変わっていないこと彼に分かって

もらえるかなあ。

 私決めました。これからは自然に逆らわずに、しっかり前を向いて笑って生きようと。

そんな私を見ている方が彼だってきっと嬉しいに違いないのです。

 私が一生懸命に歩いて行けば、終着点ではきっと笑顔の彼が待っていてくれると

夢見る夢子さん信じています。

 とは言うものの次のひと昔、生きている私を想像せよと言ってもそれは無理なことです。

 


 


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家を売るということ [エッセイ]

 少し涼しくなったのでまた夕方のウォーキングをはじめました。

好きな時間に一人でぶらりと出かけます。こういうところは一人住いの気楽さ。

 二か月休んでいる間に季節は移り道端には野菊が揺れていて池には水鳥が

群れています。

 何も考えずにさっさと歩きます。ふと気が付くと私は小声で歌を歌っています。

好きな歌が次々に出てきます。童謡 抒情歌 流行歌 ロシア民謡だって。

 そして若き日に思いを馳せ、時には恋しい人を思いだすことも.....

好い気持ちで四十分、暮れかけた我が家近くに帰ってきて「えっ」足が止まりました。

 同じ班Yさん宅のブロック塀に「売り家」の看板がかかっているのです。

 半年くらい前一人暮らしのYさんを見かけなくなったなあとは思っていました。

キャリアウーマンで定年まで勤めて子供さんたちもいるのに。

 しばらくして施設に入られたと聞きました。

 ああ子供さんたちも独立されて、家はいらないのだ....と納得しつつも何故か寂しい

気持になりました。

 夜になって一人リビングに座っていると、つい最近姉とも思っている親友も家を

手放したことをつい考えてしまいました。

 彼女は夫に先立たれ子供もなく、仕事を辞めてからも本当に元気で、趣味に没頭し

旅行にもよく出かけていました。誘われた私がさあねえ~と躊躇するとさっさと一人で

行ってしまいます。

 それが八十三歳になってふとした病気から床に就き、施設に入ることになりました。

 もともと明るい性格で半年ほどで元気になり、ここを終の棲家に決めたとあっけらかん

と言いました。

 市内の一等地に立派な家もあって、私は内心家にいればいいのにと思いましたが

一度一人の生活以外を体験すると特に夜など心細く感じるのだと彼女らしからぬ言葉に

自分のことも考え併せて私もそうだなあと、納得したのです。

 しばらくして家を売ろうと思うと相談された時も、経済的にも余裕があるのだし

 そう急がなくてもと言いつつ、もう帰ることもないのだから、それも一つの方法だと

あえて反対はしませんでした。

 結婚してからずっと夫と二人住んだ家。彼女の人生の歴史。思い出の殆どが詰まった家。

こんなに簡単に手放せるものなのか。

 二か月もしないうちに「家売れたよ」と明るい声で電話がきました。

 私は飛んでいきました。「もう帰る処もなくなったよ」一瞬だけ寂しそうな顔をして

それでも信じられないくらい、すっきりとした顔をしていました。

 どんな人が買っていくらで売れたかまで詳しく話してくれる彼女に「高く売れてよかったね

でも誰にでもそんなに詳しく話したら駄目よ。」私は事務的にいいました。

 夜になって一人で彼女のことを考えていると涙が出てきました。

 若い時から何度も何度も訪ねた家。この間まで俳句の仲間や生花の生徒たちの笑い声が

絶えるなかった家。

 あの家にはもう二度と帰ることはないのだ。愛着がないはずはないではないか。やっぱり

売るのはまだ早いと忠告した方がよかったのではないか。

 明るい笑顔に隠された彼女の寂しさに気がついていたら、もっと他にかける言葉があった

のではないかと私は自分の思いやりのなさに、すっかり落ち込んでしまいました。


 みんな年を取ると思ってもみなかったことに直面することがあるのだと、自分のことも

考えつつ私は絶対に家は売らないぞ! と思ってにやり。

 とにかく元気でなければ、誰だって住み慣れた我が家で思い出に包まれて人生を全うする

のが一番幸せなのだから。

 我が家の玄関先には私たちの大好きな白い秋明菊が、季節外れの暑い日差しにもまけず

秋の匂いだけはする涼しい風に吹かれています。

 明日からまた元気を出して頑張らなくては、秘かな私の決心です。



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静かな雨の昼下がり [エッセイ]

 やっと秋の気配をあちらこちらで感じるようになりました。

夜の虫の声に気が付いて、もう随分日が過ぎた気がします。

そしていつの間にか「暑い暑い」と独り言を言わなくなっていました。

 いつしか彼岸花が燃え、時折通り過ぎる風もひんやりと心地よいのです。

 まだまだ二十七、八度とかいう日があってもさらりとした空気のせいでしょうか

暑さを感じることはありません。

 このところ少し忙しくしていてブログを書くのも読むのもご無沙汰でした。

 夏休みをとったと突然息子が帰省したり、台風で大雨が降ったり、友達がアキレス

腱を切って入院したり、孤軍奮闘の私でしたから。

 台風一過高く澄み切った初秋の空を飽かず眺めていると、何だか元気が出てきます。

ところが気持ちに付いていかないのが体、毎日しんどいーと意気消沈。

 友達もみんな「しんどい」そうで今年の異常な夏の暑さにやられた「夏バテ」だと。

 多分そうだと思います。別に悪いところもないのだから、もう少し様子を見てのら

のらしょうと決めました。

 本当は年のせいだとみんな思っているのです。くやしいっ!


 でも元気が出たら私十月から始めようとしていることがあります。

楽しみで今ちょっとそわそわしています。老骨に鞭を打つのではなくて、楽しく

のんびり、私なりのやり方で頑張りたいと思っています。


 九月の初めころ膨らみ始めた秋明菊のつぼみの先がやっと白い色をみせました。

 また大好きだけどなんとなく切ない、本当の秋がそこまで来ています。

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秋めいて 教育と教養 [エッセイ]

 九月になった途端に涼しくなって心身ともにシャンとしたような気分です。

それでも気温は三十度以上。ただ涼しい風が一日中吹き渡りエアコンなしです。

 夜はまた一段と涼しくて、澄み切った深い藍色の空に「この月の月」が

少しづつ形を変えながら煌々と現れます。

 コオロギの声も軽やかに、とうとう秋が来たと嬉しくなります。

 今年の夏は本当に暑くて、ご近所さんとたまに会うとこのまま死ぬかもねと

妙に納得したものでした。

 まだまだ残暑は厳しいと予報されていますが、気にしないことにしました。

 こうなるとこの夏、のらのらと過ごしたことが悔やまれて、秋には何かやりたい

と思っていました。

 つい先日同世代の男ともだちがいいこと教えてくれました。


 年を重ねたら毎日「しんどい、しんどい」と、言ってもどうしょうもないことを

ぐちぐち言って、みんなつまらん老人になってしまう。

 少しくらい体の調子が悪いところがあっても、時間だけはたっぷりあるのだから

「教育と教養」に精をだそう。

 私は「えっ」今更と思いました。

 でも話を聞いて大笑い、大賛成。

 「教育」とは  今日行くところがある。

 「教養」とは  今日用事がある。

 なるほどと思いました。家に篭って愚痴っている人に明るい未来はありません。

 それが病院であっても出かける予定や、どうしてもやるべき用事がある時は確かに

張り切って(笑)いるように見えるし、少々しんどくても行動します。


 私もなんだか元気が出て早速NHkカルチャーセンターの講座を考えています。

それともう一つМ大学の「コミニティカレッジ」でも興味ある講座を見つけています。

 今のところ元気だし、週に一回くらいなら大丈夫かなあと。

幸いどちらもバイクなら15分で行けます。勿論娘にはバスで行くと言うつもり。


 青く澄んだ空に浮いている鰯雲、涼しい風、この秋は何かいいことがありそうで

ちょっと浮き浮きのそんな土曜日の午後です。

 
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