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春子さんの茶の間 その3 [短編]

 空梅雨気味の空を見上げてため息一つの春子さん。
自慢の紫陽花は葉っぱばかりがどんどん伸びて、少し前に一輪だけ寂しげに咲いた花が
そろそろ色褪せて来た。
 こんなのは初めて。
 毎年次々に大輪の花を咲かせてくれて雨に一入の感ありと、嬉しがっていたのに。
もしかして寿命?と不吉なこと考えたりする。
 
 もう二十年以上やっているシロアリ駆除の点検に業者が来た。五年毎に契約更改をして
毎年一回無料の点検に来て下さる。この辺りは湿気が多いということで太陽電池で動く
換気扇や扇風機も入れた。
 三十分ほど床下でトントン、ごそごそ作業して、汗みどろで出てこられるので、六月に
なって初めてエアコンを入れた。
 冷たいお茶を一口飲んで、早速タブレットに写してきた床下の状態を見せてくれる。
三年くらい前まではテレビに写していたから、これも進歩したのだなあと春子さん感服。
 「異常はありませんが所々湿気がひどく、土台のコンクリートにカビか来ています。」
はいはいと検査書に署名してすましている春子さん。いつまで住めるか分からないこの
家に余計なお金はかけないと決めている。
 「この団地で一緒に五軒くらいお宅と契約してた皆さんまだ続けていますか」
何気なく聞いた春子さんに
「あのそういうことはお知らせできないんです。個人情報になりますので。」
春子さんは呆れながらも黙っていた。
 これが?個人情報ってそんなに大したことではないのに。
近頃立て続けにこういう場面にであった。
 職場で社員の個人の電話番号を教えてくれない。歯科で春子さんの友人が治療に
来る日を聞いても教えてくれない。春子さんが紹介した人なのに。
 確かに電話に関わる詐欺など多いけれど、ここまでやるか。と笑えてしまう。
 
 世の中潤いなくなったなあ。人間を信じないということでしょう。少し方向性が
違う気がする。人間って本質的にもっと誠実で優しくて信頼していいものではないか。

 業者さんが帰ると、春子さんは茶の間のお気に入りの椅子にへたりこんだ。
何か空模様まで変な様子になり、じっとり汗も出てきて気分も悪くなって来た。
 
 平成も後一年足らず、ああ昭和はよかったと遠い遠い昔に思いを馳せる。

でもサッカーは素晴らしい、今ここに生きていてずっと応援してきた彼らの大活躍を
見られるだけでも幸せだ。
 ヨーロッパ旅行のフランスで、真夜中に着いたリオンの駅で春子さんが現地のガイド
さんに開口一番「サッカーどうなりました」と聞いたw杯フランス大会。
「負けたけど川口さんカッコよかったですよ。」
ニコニコ顔の美しいガイドさんのこと今もはっきり覚えている。

 やっぱり元気で生きているということは素晴らしいことかもしれない。
今夜は嬉しくて興奮して眠れない夜になればいいのに。きっとなる。

 冷たい麦茶を飲みながら春子さんの気持ちも大分穏やかに落ち着いて来ようだ。
 


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春子さんの茶の間 その2 [短編]

「きれいに咲いたねえ」「豪華だと言ってもいいくらい」「だってもう植えてから
四十年にもなるらしいよ」
 二階に行こうと階段を上がりか時、話声が聞こえた。
 春子さんはにんまり、玄関先のつつじの花に見入っている三人の顔が浮かんだ。
五月晴れの素敵な昼下がり、今出ていったら長くなるだろうと思いつつ、ドアを開けた。
「あら春子さんお出かけでなかったの」三人がにこにこしている。
「はい今日はお出かけの予定はありません」春子さんも少しおどけて応える。

 話題のつつじは直径半間はある大きさで、こんもりと傘を広げたようにブロック塀の
うえまで盛り上がって濃いピンク色の花がびっしり。
 春子さんも玄関の出入りについ立ち止まって見入ってしまうほど見事に美しいのだ。
南の道路に面していないのが残念なほど。
 春子さんの家は団地の東南のかどにあるので、東の玄関まで来ないと気づきにくい。
それでも気が就いた人がわざわざ見に来て、いろんな褒め言葉でこのつつじを愛でている
のを窓のそばで聞きながら、内心自慢たっぷり、嬉しくてたまらない春子さんである。

 このつつじは結婚した時、春夫さんの実家から小さな苗木を持ってきて二人で植えた
記念樹なのだ。
 なかなか大きくならなくて、花も咲かず毎年期待しすぎたからかなあ、などと話して
いた。長い年月にいつからか花が咲き木も少しづつ成長した。
 そして二人がこの木にばかり関わっていられない間に、こんなに大きく花が咲いた。
 特に春夫さんがいなくなってから一際きれいになった気がしている春子さんである。

 春子さんは上機嫌で三人を家に招きいれた。コーヒタイムにはもってこい。
三人は春子さんが心を許せる人たちだった。
 明るくて誰とでも付き合える人、とみんなはいうが、本当の花子さんはそうではない。
けっこう神経質で知らない人に話しかけることはまずない。
でも気心のしれた人となら、一人で喋っていると言ってもいいほど喋る。
 なぜか 春子さん自身にも理由は分からない。

 今日は三人いるからいつもの春子さんの茶の間ではなく、リビングへ案内する。

 

一人住いには大き過ぎるテーブル。真ん中にチューリップの花がガラスの花瓶に数本。
ゆったりした椅子が六脚。
 レースのカーテンも、海老茶色の地にオフホワイトの模様が美しいどっしりした厚手の
カーテンも、春夫さんが気に入って決めたものだ。
 大きな本箱には春子さんの本がびっしり。好きな古典の専門書から小説、最近奥の方から
前面に置きなおした「日本国憲法」かなり古びてみえる。
 ぼーっと座っているとき、前文と第九条を読み返している。
 ピアノの横の戸棚に控えめに家族の写真が数葉、一つの額にいれてたてかけてある
壁には春夫さんの淡彩画の額がいくつか掛けてあって、この部屋にしっくりなじんでいる。

「ここに来ると落ち着くよねえ。だから好き。」とМさん。五歳年下の優しい人。
「コーヒーも美味しいしね。」と同い年のSさんは一番長いお付き合い。
「前通るたびに春子さんいないかなあ」とつい思ってと笑うHさんは、ひとつ年上で陽気で
声が大きい。
三人とも春子さんが心を許しているいい隣人である。

 コーヒーが入って有り合わせのお菓子などつまみながら楽しい時間が過ぎて行く。
 春子さん以外は同居の子供さんがいるが、夫を亡くして遺族年金生活者の似たような
境遇だから、いいのかもしれない。
 でもみんなそれぞれ忙しくて、三人揃ってコーヒータイムなんて滅多にない。

 春子さんも一人になってもこういう隣人がいることはとても心強い。
いざという時頼りになる気がするのだ。

 それにしてもあのつつじの花は素晴らしい、人間で言えば花も恥じらう二十歳かと
誰かが言えば、いやいやあの妖艶さは....とまた花の話でもりあがる三人である。

 いつの間にか傾き始めたガラス越しの陽の光を気にしつつ、リビングに穏やかな
時が過ぎて行く。

 久し振りに賑やかで楽しい時間だと春子さんも幸せな気分の午後だ。

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春子さんの茶の間 [短編]

 激しい雨音が気になって眠れずにいると「ぽっぽ」古い鳩時計が一時をを告げた。
年のわりにはよく眠れるたちで、いままで寝付きが悪いと思ったこともない。
それなのにこの頃そうもいかなくなった。
 六十五歳を過ぎたころから友たちが眠れない話をするのを、よく聞くようになった。
そんな時春子さんは
「寝ようと思ったら三分で眠れるし眠ったら最後、朝まで目が覚めない」
と言って皆に呆れられたものだ。
 あれから何年過ぎたのだろう。

 目が覚めたらカーテンの隙間から明るい早春の陽が差し込んでいて、嬉しくなった
春子さんは飛び起きた。
「あらら朝ドラ終わってるよ」
 春子さんの日課は決まっていて、特に食事は規則正しく時間も決めてある。
 一人暮らしの気楽さで、のんべんだらりの生活はしたくない。
 それでも寒い冬は特別で、わりにのんびりラジオを聞いていてぎりぎり「えいっ」と
飛び起きる。

 朝食は茶の間で朝ドラを見ながら八時、昼食はニュースをみながら十二時、夕食は
ローカルニュースを見ながら六時。
 季節によって多少変わるけれど原則これを貫いている
 朝食の後片づけをしたら、一時間は新聞を読む。
経済面はざっと項目を見るだけで一面と三面記事は大見出しを見て関心のある記事には
さっと目を通す。
念入りに読むのは文化文芸とスポーツ。これでも結構頭の体操にはなる。
 本を読むのも心の通い合う友と長電話するのも、春子さんの好きなこの茶の間だ。

家事は最低限、必要不可欠以外は無理をしないと決めてある。元気が一番。

 若い時は友と連れ立って遊びに趣味に、たまにはカルチャースクールによく出かけた。
今はそれぞれ事情があって、お出かけもままならない。

 夫の春夫さんとも、彼が定年退職してからは、思いついたら即旅に出たし、絵を見たり
コンサートにも出かけた。
 それぞれの趣味にお互い干渉はしないが理解して、協力を惜しまなかった。
 
 子供たちも自分たちの思うままに、頑張っていたので春子さんたちに何の気掛かりも
なくこういうのを悠々自適というのかもと思ったり。

 夫の春夫さんと二人で過ごした約十年余は今考えると本当に 素敵な日々だった。
 春子さんは人が感心するほどさっと子離れできたし、心の片隅に「自分が一番大切」
という信念のようなものを若い時から持っていた気がする。
 我儘と言われても、それを春夫さんも子供たちも容認してくれていた....と思っていた。
 そして本当に自分の思う通りの人生が送れたと満足していた。
春子さん自身も心の底から幸せで、嬉しいことだと秘かに自慢に思っていた。
 でもそれは春夫さんという理想の伴侶がいたからこそだと一番良く分かっているのは
春子さん自身のはずだ。

 しかし、春子さんがそのことに気がついたのは、最愛の春夫さんが遠い遠いところへ
旅立った後だった。

 「思い知った」というべきか。「傲慢だった」というべきか。涙ながらの反省ばかり。

 春子さんのすべての景色が無色になった。
 ただ悲しさだけが虚しさだけが、寂しさだけが朝から晩まで、春夏秋冬春子さんに
ついて来た。

 長い時が過ぎて行った。
 この頃になってやっと、今でもいつもそばにいる春夫さんと春子さんは茶の間で
涙なしで昔話がいっぱいできるようになった。
 喋っているのはいつも春子さん。
 昔と変わらず、にこにこ優しい眼差しでその様子を見つめている春夫さん。

 一足飛びに桜が咲いて春がきた。

 茶の間の飾り棚に寄り添って嬉しそうな笑顔の春夫さんと春子さんの写真。
「おはよう」
 セピア色のそれに向かって毎朝春子さんは大きな声でご挨拶をするのが朝一番の仕事。

 今日も春子さんの茶の間から素敵な一日が始まりますように。

 このまま元気でいたいなあ。春子さんの贅沢な願望である。


 

 
 
 

 
 
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桐の花 [短編]

 少づつ登っている感じがして道も狭くなった。 車がやっと通れるくらいだ。もうそろそろ目的地に着くころだと佐保子は目を凝らす。 辺りは生い茂った木々の緑が美しく、開け放った窓から森の香りも飛び込んでくる。  道路を大きく曲がったところで真正面に薄緑色の建物が見えた。やっと着いた。 駐車場に四五台の車も見えた。  車を停めると佐保子はゆっくりと建物に近づいた。三階建てのスマートなそれは、 老人ホームには見えない。窓も大きくて華やいだ感じさえする。 「とうとうホームに入ったよ」三日前に祥子から突然電話が来た。彼女は昔の職場の 先輩で佐保子とは三つ違い。しっかり者で頭がよくて信頼できる人だった。  お互い結婚しても付き合いは続いていて海外旅行にもよく行った。  長い年月が流れ二人とも年をとった。それでも元気で特に祥子は腰や膝が痛くなって からも、兎に角行動派で、誘われれば一人でツアーに入って旅もした。  佐保子はそんな祥子を見ながら、ただ感心するばかり、「旅の途中で足が痛くなったら どうするのだろう」とか、「杖をついてまでよく行くなあ」とか.....。  そんなに元気だった祥子が昨年の秋救急車で運ばれたという。肺炎と心不全で足がたた なくなったそうだ。  知らせを聞いて駆けつけたら、一週間前に会った時の彼女とは別人の祥子が、点滴の 管などいっぱいつながれて、酸素マスクまでしている。 意識はあるものの、何を言っても頷くだけで、その様子に佐保子は動顛してしまった。  結局半年も入院してどうなることかと心配していたのに、少しづつ回復して四月には 退院して、一時的にべつの病院に移った。  その病院がよかったのか彼女の生命力が勝ったのか、退院できることになった。  しかし一人暮らしの祥子は自宅に帰ることを断念してホームに入る決心をした。  それはずっと前から考えていたことだったが、思っていたより早くなってしまった。  広い廊下、明るいガラス窓、応対してくれた職員も感じがよくて佐保子は内心ほっとした。 もっと嬉しかったのはベットで迎えてくれた祥子が本当に元気になっていたことだった。 「ねえ、元気になったでしょう。」  挨拶よりも先に祥子が例の甲高い声で言った。 この声何か月振りに聞いただろう。口もきけなかった頃、頷くだけの時、電話をしてももそ もそと何を言っているのか分かり辛かった頃。  先生もこの年で半年も寝ていると寝たきりになる人が多いですと気の毒そうに言ったのに。  佐保子は思わず走りよって祥子に抱きついた。十五キロ痩せたという体は頼りなくて、つい 涙が止まらなくなった。みると祥子もぽろぽろ涙をこぼしている。  目が会った途端どちらからともなく笑顔になりはっはっははと笑った。  よかったよかった。  部屋はトイレとスマートな洗面台。その隣のベットとのちょっとした区切りに小さい障子 が二枚。作り付けのクローゼットもゆったりしている。 部屋の感じがなんとなく素敵で、佐保子は今までに行った何か所かの施設と違う暖かさの ようなものを感じて嬉しかった。  祥子の終の棲家となるであろうこのホームは佐保子の中では合格だ。  夫に先立たれて子供もいない祥子とはそんな話もよくしたが、それはもっとずっと 先のことだと思っていたのに。  現実はあまり考える余裕もなく、病院からの直結を余儀なくされた。    市内でも一等地にりっぱな自宅があり生活に余裕もあるのに。 病気をしなかったら、そして夫がいたら祥子の老後はもっと違っていただろう。  でもこれだけ元気になったのだから万歳ではないか。  佐保子の頭の中で複雑な思いが堂々巡りをしていた。  祥子は今車いすもいらない。小さな手押し車を押して食堂へも談話室へも行けるという。 寝たきりにならなくてよかった。  ベットに腰かけた祥子と本当に長い間話をした佐保子。  大きなガラス窓から柔らかな午後の日差しが差し込んで二人は幸せだった。    そのガラス窓の向こうに緑色に茂った大きな木がみえた。 佐保子は目を凝らした。その木の間隠れに薄紫の花が見えた。  桐の花。祥子は毎日この花見ているんだ。佐保子はそっと胸に手をおいた。  ふたりの大好きな花、この花が咲く頃、思いついたら車でよく山道を走った。  見つけると車を停めてしばし眺めた。 近くに行くことはできなかったけれど、遠くから飽かず眺めた。  そして祥子は俳句を佐保子は短歌を苦しみながらひねり出した。 「ねえあれ桐の花よね。」 「そうそう、このホーム決めた第一はあの桐の花がここから見えたことよ。」  祥子は自慢げに佐保子に笑顔を向けた。  佐保子は祥子のこの笑顔がいつまでも続きますように。  もっと元気になって来年はまたいつかのように、二人であの山の桐の花を見に行けたら どんなに嬉しいだろう。  窓の向こうの薄紫の桐の花がなんだか潤んで見えた。
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面影草  終章 [短編]

 川岸の桜並木の花は蕾の先か゛膨らんで紅色が覗きかけいる。
水の流れは清らかな早春の日差しをいっぱいに流れている。
遥かな山の頂には、うっすらと残雪が見え、どこからか小鳥の囀りが聞こえる。
 まだ冷たい川風に頬をつつかれて我に返った。
 私はこの川原のベンチにどれ位座っていたのだろう。

 老後を楽しく思うままに....という私たち夫婦のやり方で自分流を満喫していた。
二人とも元気でまだまだ若いと思っていた。
 でも彼が生まれて初めての病に倒れた。それと気づかぬまま検査を受けた時には
もうなす術もなかった。
 だから苦しい検査も治療も何ひとつしなかった。
 彼は私の前では決して泣き言は言わなかった。いつも大丈夫そうな顔をして
逆に私を励ましてくれた。
 一か月で退院して自宅療養となった時も、気分のいい日は庭で簡単な剪定の仕方を
教えてくれたり、うどんの出汁を作ったり、私に看病という実感はなかった。
 私のしたことは、毎日の食事を心を込めて作ることだけだった。
 二人ですごした最後のあの大切な日々、もっと彼のために為すべきことがあったの
ではないか、今も私の心の底にその思いはずっと重く悲しく沈んでいる。

 その朝少ししんどいと言うので、急いできてくれた弟の車に自分で歩いて乗った。
そしてそのまま入院して様子を見ることになり、緊急事態ではなくてほっとした。

 その明け方先生も予測できないまま、突然彼は本当に安らかに旅立ってしまった。

 あの時彼の手をしっかり握っていた最後の別れから、私は一滴の涙も流していない。
いや涙は出なかった。人は本当に悲しい時、涙は出ないものだと身をもって知った。
 彼が逝って半年も過ぎた頃朝のお参りをして、何気なく彼の写真を見た時突然涙が
溢れた。
 少し笑っているあの眼差し。彼に関わった半世紀近く私は満足していた。
でも彼は.....私は彼の望んだような妻だったろうか。
 いいえ我儘で意地っ張りで、ちっとも優しくなかった。
私は後悔の念に苛まれた。今更もう遅いのに。
 彼がいなくなって初めて出た涙。止まらなかった。それから毎日泣いた。涙って
どの位あるのだろうと本気で考えた。
 食事もしない、眠れない、どこに居ても何を見ても彼の姿がついてくる。
 ある日ふと思った。彼が今の私のこんな姿を見て喜ぶだろうか。悲しいに違いない
どんなに心配しているだろう。

 私はうつ病の一歩手前で踏み止まった。
子供たちや兄弟、友人たちの励ましに支えられて少しづつ自分を取り戻していった。

 春が何度も巡った。
 毎朝一番に大きな声で挨拶をする「おはよう!」彼はいつもにこにこ現れる。

 遠い遠い日初めて二人がデートしたあの川原に座っている。
町の様子はすっかり変わった。でも自然は昔のままここにある。
 そして彼もあの日よりは少し年を取ったけれど、今確かに私の隣に座っている。
 「絶対に待っていてね。もうすぐ会えるから」

 淡い青い春の空、桜の花が川岸を桜色染める頃、私又ここに立っているのだろう。

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面影草  15 [短編]

彼と私のそれぞれの生活が始まった。理由もなく単身赴任してもらっていると
いう後ろめたさはいつしか消えて、私は一人を満喫していた。
 私の母が近くで一人暮らしをしていて、毎日のように様子を見にいっている
ことが私のなかでは少し心の負担を軽くしてくれていたのかもしれない。
 こういった生活について、彼も特に不満を口にはしなかったし、私も訪ねた
時の彼の仕事ぶりに安心していた。
 休暇が取れると二人でよく旅をした。私の母も連れ出して車で、列車でそして
飛行機で。
子供たちも東京に居を構えたので春や秋に誰からともなく話が出て、家族揃って
旅に出たこともあった。
 その合間を縫って私は古い友達と海外にも出かけた。
彼は外国は嫌だと笑って、一人で出かける私をのために空港までの送り迎えを
してくれた。
 私は結局彼が退職するまで彼と一緒に暮らすことはなかった。
二人ともその距離感の心地良さに慣れてしまっていたのかもしれない。
 
 彼は定年まで働いたら即リタイアして、のんびりと余生を送りたいといつも
言っていた。
少し早めに退職すれば後四年か五年関連事業に就職する道を殆どの同僚は選んだ。
 彼は言葉通りきっぱりと職を辞して嬉々として五年振りの我が家に帰って来た。
 本当にお疲れ様でした。家族のために頑張ってくれた、健康だったし離れていても
私たちに何ひとつ心配をかけることもなく、私は感謝の気持でいっぱいだった。
 二階の自室に運び込んだ荷物の多かったこと。彼が欲しがっていたものすべて
揃っていた。多趣味の彼がこれからここで過ごす日々には充分過ぎるほど。
 私は二人で頑張ったあの若かった日々、励ましあって切り開いて来た我が家の
歴史を胸が痛くなるような感動とともに思い起こしていた。
 彼は感傷に浸る間もなく乞われて町内会長を引き受け、あっという間に「浦島」
状態から抜け出て、いろいろな行事もこなして生き生きと毎日張り切っていた。
 私は何だか遅れてきた新婚気分で、今までの罪滅ぼしとばかりに頑張った。
 彼は自分流を貫き庭の手入れ、日曜大工、家の中の不具合は何でも修理できた。
趣味の切り絵も年に一回の東京上野での展覧会には大作を出品した。上京すると
一週間くらいは滞在して子供たちと温泉へ行ったり「命の洗濯」を忘れなかった。
 ハーモニカも教室の仲間と発表会に出たり、お年寄りを慰問したり楽しそうに。
若い頃から好きだったクラシック音楽や、演歌も好き、歌えば結構上手だった。
 版画、スケッチ、篆刻、まあなんて多趣味、私はただあきれ返ってみていた。
 穏やかな日々が静かに流れて、彼が夢に描いていた余生は永遠に続くものだと
私は信じていた。


 

 


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面影草  14 [短編]

  楽しく充実している年月はみるみる過ぎていくものなのだ。
 
 彼がまた転勤になった。今回は職場の責任者ということになり、家を離れる
寂しさよりも、彼が張り切っている様子が垣間見えて私は少し不満だった。
 この時これから後、七年間の単身赴任が続くことになろうとは思っても
みなかった。

 今度は瀬戸大橋を渡って岡山県の星の美しい町だ。車で三時間はかかる。
着任の時は私も一緒に行った。かなり高い山の上に忽然と現れた施設は立派で
広々として自然が大好きな彼はすぐ気にいるだろうと思えた。
「いいなあ。ここならちょっと歩けば野草や山菜が沢山ありそうだ。」
案の定彼はきらきらした目で私を見た。
 私はごめんだ、遊びに来るのなら楽しいだろうが住みたくはない。
宿舎も素敵でマンションのよう、一人で住むのは勿体ないくらいだ。
 彼が生活に必要な諸々のことを二人で準備したり、車で十五分町に出れば
何でもあって不自由なく生活出来そうなので私は少し安心して家に戻った。

 一日の仕事を終えて誰もいない家に帰るとやっぱり一人は寂しい。彼も同じ
思いだろう。新しい職場で張り切っていても家に帰れば「お疲れ様」の一言が
欲しいのではないだろうか。それとも案外うるさい私がいないのをいいことに
羽を伸ばしているだろうか。
 生活のために、子供たちの学費のために働いていた時は考えてもみなかった
ことを考えたりする。私に少し余裕ができたからか、それとも年のせいか
仕事が嫌になった訳でもない。

 私も二十年余働いた。老境に入りつつある二人が離れ住んでまで働くべきか。
仕事を辞めて彼のところへ行こうか。
 社長からは辞める時は半年前に言ってくれ、と冗談まじりに言われていた。
総務も会計も一人で引き受けて二十年、本当に居心地よく働いた会社だ。
辞めたいなど思ったこと一度もなかったのに私は決意した。
 突然の話に驚きつつも、彼や子供たちは「お疲れ様。これからは自分の
好きなようにしたらいいよ」と賛成してくれた。

 半年後の早春、職場のみなさんの暖かい拍手に送られて大きな花束を胸に
私は二十年余通い続けた会社を後にした。
 
 本当の自由を得て胸いっぱいに吸い込んだ空気、やりたいことやるぞ!
その気持ちも一か月経つと後悔に変わった。いろいろな手続きが終ると
何もすることがない。仕事がしたい、ああ会社辞めなければよかった。
 すぐにも彼の処へ行くはずだったのに、それもせずに悶々としていて私は
見つけてしまった。
 カルチャースクール。あったあったやりたいこと。
「時々様子見に行ったのでいい」私はここに居座り「亭主元気で留守がいい」
生活を満喫することになった。
 月二回ほど帰って来る彼と、彼が向うへ行く時車で一緒に行ってしばらく
滞在して主婦らしいことをやってお茶を濁していた私。
 ずいぶん我儘だったけれど老境の入り口で、呑気な私の青春がそこにあった
ことは紛れもなかった。
 

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面影草  13 [短編]

六年ぶりの転勤で彼は我が家に帰ってきた。
充実していたこのところの私の一人暮らし。まわりの人たちの声は
「大変になるよ。勝手気ままにやってきたことが癖になっているからね。」
私はそんな声を聞きながら、なんだか浮き浮きしいいる自分の気持を
大切にしたいと思っていた。

 ところが職場の決まりで管理職は自宅があっても、一応施設にある
宿舎に入らなくてはならないとのこと、結局市内別居ということに
なってしまった。
 彼は少しがっかりしたようで、知らなかったなあとつぶやいていた。   
ほほほ、やったね望むところだ。神様は私の味方私の自由は確保された。
 こうして彼は立派な3LDKにひとまず落ち着いた。
肝心の食生活も施設の食堂を利用すればいい。
 私は彼の世話など何ひとつすることもなく、いざという時には電話
一本で駆けつけてくれるほどの近く彼がいてくれるのが嬉しかった。
 本当は自分が楽することばかり考えていた私だったのだ。
 彼は休みになると帰ってきて庭の手入れに余念がなかった。
見捨てられていた木や花たちはみるみる元気を取り戻し、そんな庭を
見ている彼の眼は、優しくて幸せそうで、そんな様子の彼を見る私も
ずっと忘れていた心のゆるやかさのような、安堵感に充たされていた。
 彼が忙しいときには私が行って、ご馳走を作ったり、掃除や洗濯を
するのも楽しかった。
 ふとあの赤い屋根の小さな家で過ごした若い日々を思い出したりした。
 
 そして計画されていた彼の施設の二年をかける改築工事が始まった。
すっかり忙しくなった彼はほとんど自宅へ帰れなくなり、私が彼の処から
職場に行くこともしばしばあり、私もそうのんびりとはいかなくなった。
 東京で働いている子供たちとも、新年や夏休みに帰省した時に会う
くらいで、それでも充実していた頃て゜はなかったろうか。

 二年後施設は立派に出来上がり、盛大な行事が次々に行われ職員たちも
晴れ晴れと元気に笑顔で営業を再開することができた。
 彼も忙しかったけれど、大きな仕事をやり遂げたという満足感があった
だろうと私は内心彼に尊敬の念とともに、羨ましさも感じていた。

 そして人事異動がありやっと彼が我が家に帰ってきた。
この頃、仕事にも少し余裕ができたという彼を誘って休みによく出かけた。
 もともと旅好きだったから、相談はすぐにまとまっていつでも飛びだせた。
 「結婚以来初めてだね。お金のこと考えずに思ったことが出来るのは」
 思えば三十年近い厳しい月日を二人で歩いて来たのだ。
その間少なくとも私は大きな不安や不満をもったことはなかった気がする。
 今横にいる彼はすっかりおじさんになって鬢のあたりに白いものも見える。
私だって友人の中でどちらかといえば一番汚くなった。
 遠くに見える山、少し走れば穏やかな海の青い色。大好きなこの街で
自分の仕事があり、家族が健康で、こんなに素晴らしいことがあるだろうか。
 私は今この時を大切にしたいと心から思った。
  
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面影草  12 [短編]

 巡る季節をゆっくりと感じる暇もなく、私たち一家に時は流れた。
その間、皆が健康で仲良しで明るくて、それぞれが自分の道を思い通りに進む
ことが出来た。
ただ肝心の家計だけは想定内とはいえ、転職による厳しさが続いた。
それでも彼も私も頑張って子供たちの小学生時代はなんとか切り抜けた。

 娘が中学生になった時、私は家族の賛成を得てフルタイムの仕事に着いた。
 運よく昔の職場の子会社に入れた。私の仕事は最初から事務は全部引き
受けるというもの。でも昔の仲間が同じビルにいて、大らかな役所関係の下請
会社で、五時にはきちっと帰れるのが何よりだった。
 夜は食事が終わると、少しの間は皆でテレビをみたりその日の出来ごとなど
話合うがすぐにそれぞれが自分の部屋に入ってしまう。
 彼までが自分のやりたいことに熱中してしまうので、私はひとりリビングで
テレビをみることが多かった。

 この頃のことを思い出しては成人した子供たちに私は良く聞いた。
私の作る毎日の食事のこと、中学から持たせたお弁当のこと、彼にもお弁当を
作っていたかなあ。などと。
 彼と息子は気のない返事だが、娘は
「ご飯もお弁当も美味しかったよ。他の人のを羨ましいと思ったことなどなかったよ」
と優しい。
 そうかなあ。と忙しくしていたあの頃のことを懐かしく思い出す私なのだ。
 息子は私立中学へ、娘は国立の中学に進んだので、友だちは立派なお弁当では
なかったのかと、後になって気にかかったりしたのかもしれない。

 息子が大学進学のため東京に出た、その年彼が初めて単身赴任で家を出た。
 わが家は女二人、寂しかったけれど彼は赴任地の隣県から毎週のように帰って
来てくれた。

 三年後娘が大学進学で大阪に出て、とうとう私は一人でわが家を守ることになった。
 庭の木々や花たちもすっかり大きくなって、この家は愛しい自分たちの家になった。
私は家族のキーステーションのここで、随分頑張った気がする。

 そしてとうとう私も念願叶ってこの年、地元の国立大学夜間主コース文学科に入学
することが出来た。
 同級生に遅れること二十八年、念願し続けた大学だった。私たちの世代は高校進学
さえ女子はクラスで数人の時代、その当時弟三人が続くわが家の経済を考えると、
大学へ行きたいとは言い出せなかった。
 でも私は飽きらめてはいなかった。

 働く青年に門戸を、と各地の国立大学で夜間主コースが誕生し始めたからだ。
当地でも法学科、経済学科と開設されたが、私は焦る気持ちを抑えた。数年先に
文学科が開設されると聞いいてた。私は少しづつ勉強を始めていた。
 そしてわが家にたった一人になった時、偶然にも最高のタイミング、誰に遠慮もなく
昼は職場、夜は学校と最高の私の時代が来たと張り切った。
 受験したいと彼に相談した時、かれは即座に賛成してくれた。嬉しかった。
 その夏に彼は遠く筑後に転勤となり、わが家族はそれぞれ九州、四国、東京、大阪と
別れ住むことになったのだ。
 当然のように家計は火の車、彼も私も力の限り頑張ったけれど、子供たちも最低の
仕送りに文句をいわず、アルバイトをしながら頑張ってくれたようだ。

 私の人生でこの四年間ほど充実した時はなかった。本当に楽しかった。
一番犠牲になったのは彼だと思う。ひとりで放っておかれたのだから。私が本当に
感謝していたことで許して欲しいと、心では思っていた。
彼は毎晩私が家に帰る九時半頃には必ず電話をしてくれた。「元気、今夜のご飯は何」
私は毎晩のように卵焼き、彼は料理が好きでこれが一番経済的と、よく鯛のアラ炊きを
作っていたみたいで、「電話線に括りつけて上げようか」と言ってくれた。
 私はポロポロ涙がこぼれるのを拭いながら「そんなもんいりません」と憎まれ口をきいた。
 兎に角激動の四年間があっという間に過ぎて、皆が社会人になりそれぞれの場所で
仕事に着いた。そして彼は六年振りに懐かしいわが家に帰り、約三十年振りの二人の
生活が始まった。

 

 
 

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面影草  11 [短編]


 戦後二十年経って日本の国全体が活気に満ち、人々は頑張りさえすれば
夢に手の届きそうな時代だった。
 私たちの街にも新しいビルが次々に建ち始めたが、郊外のわが家の辺りは
まだまだ自然がいっぱいで、子育てにはいい環境だった。
 前の家から大切に持ってきた庭の木々や花たちは、私たちの家庭の歴史を
物語るように大きく成長していた。
季節ごとに咲く花は安らかな気持ちを、少しづつ伸びていくさくらんぼや梅や
松や椿には元気と勇気をもらった。
少しでも時間があれば庭にはいつも彼がいた。子供たちの声がした。
 しばらくは葛藤のなかに揺れていた彼も気持ちを切り替えて新しい仕事に
取り組み、彼なりの目標も見つけたようだった。
 
 娘が幼稚園に入るのを待ち構えて、私はパートに出た。やっと時間で働く
パートという職種が定着し始めたころではなかったろうか。
 昔勤めていた職場から声をかけられて家計の助けにもなると決心した。
彼はすぐ賛成してくれた。
子供が大きくなったら仕事を持ちたいという、私の気持ちをよく理解してくれて
いたから。
 入社にあたって社長にお願いしたこと。幼稚園のお帰りに合わせて時間を
調節して欲しいと。後で考えれば我儘だと思うけれど、その時は必死だった。
「パートだからそれでいいんだよ。」にこにこと社長は了承して下さった。
 私は昔の仲間や新しく知り合った仲間と楽しく働くことが出来た。仕事は
当然単純な補助作業だったけれど今はこれでいいのだと納得しいていた。
 
 一生懸命だったこの頃の思い出は、頑張った自分たちへのご褒美だと彼が
言いだして、家族で出かけた「大阪万国博覧会」
 息子の担任に遠慮がちに「万博に行くので学校休ませて下さい」とお願いに
行った時、若くて美しい先生がおっしゃった言葉が今も忘れられない。
「素晴らしいてすね。しっかり見てきて下さい。学校の勉強も大事だけど、それに
劣らない社会勉強が出来るでしょう。」
 若かった私は感激してこういう先生がこれからの教育界を引っ張っていって
くれるのだと頼もしく嬉しくなって、興奮して彼に報告したものだ。

 私たち家族の三泊四日の万博見物は、楽しくて珍しくて嬉しくて、疲労困憊。
今まで見たこともない人人人の波。
巨大で、でも魅力的な「太陽の塔」。
世界中の国々の展示館の壮大さと、美しい緑いっぱいの万博庭園。
押し合いへし合いチラリと見た「月の石」。
どこかの国のm教の展示館に引きこまれて、一時間も勧誘されたこと。
 体力もお金も使い果たしたけれど、それらに勝る大きな収穫があった素敵な
体験だった。
 

 
 
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