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春子さんの茶の間 その11 [短編]

 今日も猛暑だと、とテレビ画面にはずっと高温注意報がでている。
それでも午前中は日によって違う方角から涼しい風が吹き抜けているので、エアコンはいらない。

 朝の家事を済ませると春子さんは新聞を持って茶の間に篭った。
庭のランタナの朱色の花と緑の葉っぱが風に揺れているのが、レースのカーテン越しに見えて
ついにんまりの春子さん。
 
 今春子さんには心配事がひとつある。 高校以来の友葉子さんのことだ。
 
 春子さんの友はみなさん旦那様がお元気で「共白髪」を満喫していらっしゃる。
で、食事をしましょう、とか買い物に行きましょうと、容易には誘えない。チャンスだと
思っても「朝にならないと体調がわからないから」と言われると後の言葉が出ない。


 そなん中でただ一人葉子さんは元気で車にも乗っているから、時々春子さんの茶の間に
寄ってくれてコーヒー飲んでお喋りが弾んで、「ああ楽しかった。元気が出た」と喜んでくれる。
 葉子さんは春子さんが誘わなくても向こうから来てくれるたった一人の友なのだ。

 旦那様も勿論お元気で、年もかなり上なのに食事だけちゃんと作ればそれでいいという。
一人で本を読んだりピアノを弾いたり散歩に出たり喫茶店でゆっくりしたり素敵な紳士なのだ。

 春子さんと葉子さんは高校の時数学が嫌いで嫌いで、世の中に数学がなかったらどんなに良い
だろうとよく話ていた。
 
 卒業後は消息も分からぬまま年月が過ぎ偶然街で会った時は四十歳は過ぎていた。
お互い歩いて十分くらいの近くに家を建てていたのにも驚いた。
 来し方を語り、何よりのびっくりは葉子さんの旦那様が大学の数学教授だったこと。
その時春子さんの言った言葉
「ええっ! 嫌よ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってことあるでしょう。」
これはいくら何でも失礼だったと何回も葉子さんに誤った。
葉子さんはそんな時もにこにこ笑っていた。

 二人はお見合いで素敵な相手に恵まれた稀有な一組だと春子さんは思っている。


 その葉子さんにもう十日も携帯が通じない。

「電波の届かないところか電源が切られています」無機質な声がするだけ。
こんなことはかってない事なので、どちらかが入院でもしたのかしらと悪い想像ばかりする。
 二人暮らしで東京に優しい一人娘さんがいて月に二回は様子をみに帰って来る。
春子さんは会ったこともないので連絡のしようもない。

 今日お昼食事の後片付けをしながら春子さんは呟いた。

「神様、葉子さんはどうしたのでしょう。今年私は花絵さんを失いました。これ以上私の大切な人に悪戯をしないでください」


 日が暮れかかり少し涼しくなったころインターホンがなった。

そこには素敵なグレーの帽子をかぶり、ににっこり微笑む葉子さん元気な顔が映っていた。









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心優しい人の家 [短編]

 美千代は接骨院の石段が苦手だ。
たった三段だけど一段が結構高い。そしていつもここで少し忌々しい気持ちになる。
 だってここに来る人は足や腰が悪い人が多いのではないか。と少し先生が恨めしい。

 美千代が膝を痛めて困っていた時、知人が好い先生だと紹介してくれたが、六十そこそこで
接骨院というと「年寄り」の行くところだと少し抵抗があった。
 それでも膝の痛さに負けて渋々やって来た。
 五十歳代の先生は腕が良いだけでなく、なかなかイケメンで優しくて話もよく聞いてくれるのに
無駄口をきいたり、他の患者の噂話などはしない。
 美千代はすっかり先生のファンなって膝が治ってからもご縁は続いている。

 あの頃は石段なんて気にもならなかった。

 あれからもう五年、美千代もりっぱな高齢者。この頃では腰も肩も時には体中が痛い。
そして石段が苦手になった。
 
 それでも今の季節になるとその石段が嫌でなくなる。
一番上で腰を伸ばして軒先を見てついにっこり笑ってしまう。

 小さな小さなお客様、小指の先ほどの濃茶色の頭が五つ行儀よくならんでいる。
「今年もはるばる来たんだねえ」
 チチチチ親鳥が帰ってくるとみんな顔中を口にして丸が五つ。美千代はつい大笑いしてしまう。

 しばらく見とれてから中に入ると
「畑中さんは燕が好きなんですね」と助手の水田さんが言って受付だけでも先にしたらと笑う。

 どうも先生と二人で、スリガラスのドア越しに美千代の様子を一部始終見ていたらしい。
中に入ると飾り棚の小さな白板には「今年も燕が三家族来ています。」ときれいな字で書いてある

 燕にはどうして「心優しい人の家」が分かるのだろう。忘れもせずに毎年迷わずやって来る。
誰に教えられたわけでもなく、家の造りだろうか、風の通り加減か。
 接骨院のコンクリートの天井と柱の狭い隙間に、何度も土や藁しべなど運んで来て器用に巣を作っている。

  美千代の家などその気配さえ見せないのに。

 それでも梅雨で気の滅入るこの季節、美千代は接骨院の燕家族に随分癒されて優しい気持に
なっている。
 
 もしかして、この気持ちがいつか燕に通じるかも。そして我が家にも。
  
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春子さんの茶の間 その10 [短編]

 梅雨入りした地方のニュースを見ながら、雨の気配もない空を見上げる。

二十数年前の地獄のような水不足を思い出して春子さんはゾクゾクっと身震いした。
退職したばかりだった春子さんを心配して全国の仕事仲間から、沢山の水を送って頂いた。
 今年もちらほら節水のお願いが行政機関から聞こえてくる。
 今のところこの茶の間から見える庭の木々は元気で、春子さんは散水もしていない。
まあそのうち降るでしょう。と一人住いの気楽さでボーと座っているとメールが来た。
 まあ珍しい息子からだ。余程のことがない限り彼の方から連絡があることなどないので、まず
心臓がバクバク。
 
「私旅に出ています。」たったこれだけ。
 
 確か今日はまだ金曜日休みでもないのにどうして? 何処へ?  何しに?
春子さんの頭の中で? がぐるぐる回る。
 もともと彼は旅行好きで、ぽっと出かけることも珍しいことではない。
つい先日の土曜日も
「プロジェクト終わって、また新しいのが始まるので、ちょっと伊豆に向かっています」
と報告があったばかりなのに。

 「どこにいるの?」まず居場所の確認。
「龍飛崎」
「どひゃあ青森県それも先っぽ」
 天気はいいのか、風は強いか、体調は大丈夫。聞きたいことは山ほどあったのに、それっきり。

 私も春夫さんも旅好きで少しのお金と時間が出来たらすぐ飛び出した。その血を引いている。
でもよく考えてみたら、彼も、もうおじさん心配する方がおかしい。可笑しくて一人で笑った。

 私も東北は大好きでツアーで若い時に仲良しと三人と。
 春夫さんとは行かなかったけれど息子とは義妹と二人八年前にも車で巡った。
初秋の十和田湖、奥入瀬、遠野まで四泊五日。美味しいもの食べて満足の旅だった。
 そう言えばあの時息子は龍飛崎へ行きたがっていた。暗くなるからと春子さんが反対した。

 どうやら今回は新幹線みたいだから、もう心配はやめた。
 一昨年の冬にも、突然「八戸どすえ」と大雪の中で立っている写真が来て腰が抜けかけたっけ。


 まあ独り者の気きままな人生、ひっそり落ち込んでいるよりはいいかも知れない。
 音楽と読書が好きで、マンションは様々な楽器と古いレコードでいっぱい。
壁面は書棚にびっしりの本。
 地震がきたら圧し潰される。と笑っている。

 それでも春子さんのやっぱりいい人と結婚して欲しかったという思いは今も変わらない。


 茶の間の飾り棚にある春夫さんと二人並んだ写真にふと目がいった。
彼はどう思っているのだろう。

 子供たちには「自分の人生は自分で目標を持って思い通りに生きなさい」といつも言っていた。


 春夫さんが今ここにいたらどんなにいいだろう。
 また春子さんの呪文が始まった。

 来週には梅雨入りするでしょうとテレビが報じている。息子はもう帰途についているだろうか。

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黄昏に佇む [短編]

 朝の家事が終わらぬうちに英子から電話が来た。
「何?また旦那様がお出かけしたの」
「なんでわかるの?」
「貴女は一人になるとすぐに私に電話かけて来るのだもの」

 他愛のない会話がはじまる。英子と私は青春時代を共に同じ職場で働いて同期の桜なのだ。

 元気な旦那様、キャリアウーマンの未婚の娘さんと優雅に暮らしている。
 近くには長男一家が住んでいて、幸せを絵にかいたような日常だ。

 「ねえ一度会いたいからお宅に行ってもいい?」
「大歓迎よ。今週は予定も無いからいつでもどうぞ」
旦那様は彼女を我が家に送ってくると自由にどこかへ行って、夕方迎えにきてくれる。
「コーヒーでもどうぞ」と進めて少しの時間を一緒に話すこともある。

私たちには積もる話はいくらでもある。
ただこの頃英子は耳が遠くなり、物忘れも年相応でたまにとんちんかんなのが少し寂しい。

 早速英子がやって来た。旦那様は夕方迎えに来るからと、すぐに消えた。
コーヒー飲んで、アルバムを見たり、友だちの近況など話すうち、昔の話になった。
 実は英子は昔熱烈な恋をして結婚まで考えていたkさんという人がいた。
 当時先に結婚してしばらく当地を離れていた私は、風のたよりに彼女の結婚を知った時、ああ
あのkさんとしたのだと思い込んでいた。

 でも違った。何故と聞く間もなく数十年が過ぎた。

 私はずっとそのことが気にかかっていた。半分真面目に半分野次馬気分で。
 「何故」「どうして」と。

 私は思い切ってその話を持ち出した。
英子は真ん丸な目をして、それから真面目な顔になったが、そう懐かしそうな様子でもない。
また昔のことをと言いつつ
「自分では彼と結婚するつもりだったし彼も同じだった。でもしなかった、どうしてなのかは
忘れてしまったよ。」
とこともなげに言った。
 私は唖然とした。そんな大切なこと、いくら終わったと言っても一度は一生の大事と二人で
話し合ったに違いないのに。
 私はそれ以上聞きたくはなかった。人それぞれなんだもの。
その日彼女は迎えに来た旦那様に連れられて上機嫌で帰って行った。

 もう一人の同期生のミハルさんは、美人で気立てがよくて優しい人で、私が夫を亡くした時も
黙って寄り添ってくれた。随分助けられた。でも彼女がホームに入ってもう四年にもなる。
 毎月のように訪ねていたけれど、もう今は私のことが分からない。
彼女は私より一つ若いのに。先日旦那様も同じホームに入ったと聞いた。

 私が尊敬して止まない二人の先輩も頭はしっかりしているけどホーム暮らし。

 人間齢を重ねると寂しいなあ。人生の黄昏って寂しくて残酷だとつくづく思う。

 勿論元気で頑張っている知人も沢山いるにはいる。
 
 でも私自身心のど真ん中に開いた穴は決して決してふさがることはない。
  
 夕暮れの入日の赤い色、昔は随分きれいだと感激して眺めたものだ。立ち尽くして。

 今はうつむき加減でちらちらっとみて、寂しい気持ちをどうすることも出来ない私。

 やれやれ折も折、テレビニュースが梅雨入りを告げている 


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春子さんの茶の間 その9 [短編]

春子さんが花絵さんと住田君のことを話し合ってから随分時間が経った。
 
 あれは十六夜の月が美しい秋の夜、もう半年も前のことだったのかと、大切なことを
放り出したままにしておいた自分に呆れてしまった春子さん。
 この間少し体調を崩してそれを花絵さんに知られたくなくて、つい長いご無沙汰になった。
住田夫人に不信を抱いたまま花絵さんの方からも、このことについては何の話もなかった。

 そうして春子さんも大分元気になり、気持ちの整理もできたので、やっと花絵さんとじっくり
話せると思っていた矢先に突然花絵さんの訃報が届いた。

 春子さんは愕然として悲しみのどん底に沈んだまま、浮き上がることが出来ずにいた。
冷たい雨が降りしきる夜に、花絵さんは心不全で一人で逝ったのだという。
だんだん事情が分かってきてもどうして?何故?あの元気だった花絵さんが。と彼女の死を
受け入れるのに随分時間がかかった春子さんだった。

 先日四十九日の法要が終わりましたと長女の奈美さんから丁寧なあいさつ状が届いた。

 庭の若葉が輝くように風に揺れているのを、それさえ恨めしい気持ちで春子さんは眺めた。

 もう住田君のことも住田夫人のことも終わってしまった。

 空っぽになった頭の隅で春子さんは考えた。
 花絵さんのことを住田君に知らせるべきか。答えは決まっている。

 遥かな青春の日に恋をした二人はもうこの世で逢うことはないのだ。
花絵さんが頑として思い込んでいたように、今も彼が元気で住田夫人の邪魔建てに合って
いたとしても、今は自由になった花絵さん。
いつか住田君が旅立って花絵さんの元に来た時、花絵さん本人が「真実」を質せばいい。


 春子さんはしょっていた荷物をひとつ下ろした気持になったが、胸の底にある悲しみは
一層深く濃く強く重く春子さんの体の中に沁みついて離れる気配もない。
 



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後ろ向きの青春 [短編]

 雨が小降りになるのを待って景子は家を出た。
駅への道は何となく気が重かったが、小一時間も電車に揺られている間に薄日がさし
窓の外に続く里山の霧が少しづつ消えると、あたり一面に咲く菜の花に春のやさしい光が
降り注いで景子の気持も少し軽くなったようだ。

 目的の駅に着いた。
何年振りだろう。辺りの様子はすっかり変っていたが、景子の胸にはあの日の深い絶望感が
昨日のことのように蘇ってきた。
 駅前の道をおぼろげな記憶をたどりつつ、ゆっくりと歩いた。


 二十三歳の春、吾郎と二人で歩いた道、喜びと不安でいっぱいの景子に吾郎の大きな暖かい
手が嬉しかった。この時二人は結婚を決め彼の両親に会いに来たのだった。
 吾郎はすでに両親の許しも得て、婚約者として景子を紹介するのだと。

 この辺りの旧家だとは聞いていたが、立派な門構えの家の前に立った時その立派さに
今更ながら景子はたじろいた。吾郎が笑ってつないだ手をしっかり握り直してくれた。
 廊下越しに噴水のある池がみえる広い座敷に座っている間、景子は緊張のあまり小刻みに
震えている自分を持て余していた。
 そんな景子の様子をみて吾郎はおかしかった。「景ちゃんでも緊張することあるんだ」と。

 程なくして現れた両親は和服を素敵に着こなし、いかにも旧家の主と言える父と美しい母だ。
挨拶が終わると
「こんな遠い田舎までよく来てくれましたなあ。」
父が低いけれはっきりした声で言い、母も
「本当に大変だったでしょう。寒くはなかったですか。」
優しい笑顔で景子を労ってくれた。

 景子も吾郎の両親に初めてのご挨拶。それも結婚の許しを得るために来たのだと固い決意は
していても、平静ではいられなかった。
吾郎が今日のことについては前もって了承を得ているのだから、何の心配もなかったのに
景子は胸の辺りがざわざわして、不安な気持ちが広がっていった。

 その時振袖を着た美しい女性がお茶を持って入って来てテーブルに置くと、そこに座った。
「えっ誰なのかしら。吾郎に女の姉妹はいなかったはずだ。」景子はじっと女性を見た。
年は同い年くらいか、物静かでいかにもお嬢様という感じだ。
「やあ千明さん、今日は又どうして」
吾郎が大声で言った。その言葉を遮るように父がもっと大きな声で言った。
「景子さんでしたな。紹介します。吾郎の許嫁の畑野千明です。私の遠縁に当たる娘で吾郎とは
千明が生まれた時親同士が決めた許嫁なのです」

 景子は動顛した。父の言葉を容易に理解することは出来なかったが「許嫁」という言葉だけが
景子の頭の中を駆け巡った。そしてぼんやりと千明を見つめていた。
「父さん」吾郎が言った。いや叫んだ。
「父さん、何て酷いことを。どういうことだ。僕はこの話初めて聞いた時に、はっきり断った
はずだ。そして父さんも千明さんも、叔父さんもこの話はなかったことにすると言ってくれた」

父は半狂乱になり髪を振り乱し泣き叫んでいる吾郎を冷ややかにみて
「吾郎落ち着きなさい。そんなに取り乱しては男らしくない。景子さんにも嫌われるぞ」


 吾郎は東京の大学を出ると故郷に帰り地元の銀行に就職した。長男が地元にいて家を継ぐのは
当然のこと、吾郎も何の抵抗もなかった。
 そこで景子に会った。景子は市役所に勤める父と教員の母、三人姉妹の真ん中でおっとりと
育った。銀行の図書室で出会った時に吾郎の一目ぼれ。交際三年で結婚の約束をした。
景子の両親は喜んで二人を祝福してくれたし、姉妹たちともすぐ仲良くなった。
 難物は吾郎の方だったが、彼は何度も話をしてやっと納得してもらえたのでとやってきたのだ。


  突然に降って沸いた不幸、二人にとってこんなに理不尽なことが許されていいはずはなかった
特に景子は今日こそ吾郎との結婚を喜んで貰えると、そのことばかり念じていたのに。

 景子の頭の中で思考するという機能が火花となって大きな爆発音とともに飛び散った。
「吾郎さん私帰ります。」
全身は震えていたが思ったより落ち着いた声が出た。両親にちゃんと挨拶も出来た。
後は何も分からなかった。吾郎の大きな声を聞いたような気もしたが、どこをどう歩いて電車に
乗ったのか、この数時間のことは景子の記憶から抜け落ちたままだ。
 
 景子は次の日銀行を辞めてこの街を出た。

 数年経って吾郎が千明と結婚したのを知った。
景子も心の通う人と出会い幸せな結婚をした。成長した二人の子供も家庭を持った。
夫と二人の間に穏やかな時が流れ、二年前に彼を見送った景子は姉妹のすむ故郷にもどり
静かな老後を送っていた。

 早春のきざしが見え始めた数日前、景子は新聞の「お悔み」欄で吾郎の名前を見つけた。
何十年もの間景子の胸の底の底にひっそりと留まっていた名前。
思いもかけず胸が苦しくなり涙が溢れた。

 あの時以来二度と会うこともなかった吾郎に会いたい。その気持ちだけでやって来た。
昔の記憶を辿り菜の花の咲く里山の道を歩いた。


 四十余年を経てたどり着いたそこには、大きな屋敷の跡形もなく更地になっていた。
あの日の辛い辛い思い出のかけらも、吾郎の面影さえもそこにはなかった。

 雨もよいの春の風がやさしく景子の髪を撫でて通り過ぎた。


 
 




 

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春子さんの茶の間 その8 [短編]

  今夜は十六夜の月が春子さんの茶の間から庭に出るとよく見える。
風が少しあり薄雲が流れて時折その姿がぼやけて見える。それもなかなか風情があっていい。
 
 春子さんは今日も住田夫人との電話のことを、花絵さんにどう告げればいいか朝から
家事をしながら考えていたのだけれど、まとまらぬまま夜になってしまった。
ありのままを言っても花絵さんが素直に受け取らないのでは.....とそんな気がして仕方がない。
それでもやっぱり事実をそのまま知らせるのが一番いいと思い至った。
何より彼が元気だったのが嬉しかったから万事OKだと。少し気が楽になった。

 いつもメールをする時間の十一時過ぎ春子さんは電話をした。
「もしもし私よ。少し遅いけど時間大丈夫?」
「いいよお風呂も入ったし後は寝るだけ」
二人とも気楽な一人暮らしだ。
 住田君元気だったよ生きていたよ。よかったね。一気に喋ると受話器の向こうで花絵さんが
ふっうーとに一息ついたように春子さんは感じた。

 春子さんは住田夫人との話をそのまま忠実に話した。
「嘘よ、私ついこの間まで電話していたもの。一か月も前から入院しているわけないわよ」
一番に元気だったことを喜ぶ言葉が聞けると思っていた春子さんがたじろぐ程の強い口調だった。

 長い付き合いの春子さんが知らなかった花絵さんの一面? だって二人の友情は半世紀物だよ。
一瞬のうちに春子さんは花絵さんと関わった少女時代、二十歳の頃、新婚の頃、子育ての頃、
子供たちが独立してからの、少しゆとりの出来た還暦の頃を思い出していた。
そのどの時にもこんなにきつい彼女の物言いは聞いた覚えがなかった。

 勿論二人は結婚してからは遠くに離れ住み会うこともままならなかったので、それほど親密に
付き合ったわけではなかったけれど、花絵さんのことが大好きだった春子さんは、だれよりも
彼女のことは理解していると自負していた。

 「恋をすると人格が変わる人がいる」いつか誰かに聞いたことがある。その時春子さんは
そんなはずはない。そんなのは本当の恋ではないと内心思った。
でも今考えると恋にもいろいろあるからなあ。幸せな恋ばかりではない。辛い恋や憎い恋、
汚い恋?や悲しい恋。もしかして人格変わるかも。

 花絵さんもその昔、もしかして住田君に失恋したのかしら。何も知らなかった春子さん。

 住田夫人は住田君が昔の友人と関わることを嫌がっている。きれいごとを言っても私には
わかる。携帯電話も持たせてない。電源は入っているのに応答はない。時々電話はしていた
のに突然音信普通になったのもおかしい。入院しているなんて信じない。ちゃんと面倒は見て
ているのだろうか。

「花絵さんよくわかったよ。どっちにしても彼が生きていることはわかったのだから、病気が
よくなったらまた連絡あるかもしれないよ。気長に待つことにしょうよ。良かったよかった。
今夜はお休みさい」

花絵さんが受話器の向こうでまだ何か言っていたけど春子さんは電話を切った。
 心が重く少し疲れを感じた。あの花絵さんがねえ。

 春子さんはただ誠実で、春子さんを信じてくれた春夫さんと恋をして、他のどんな恋も知らない。これはとても素敵な体験だったのではないかと、今更ながら懐かしい彼の好いとこばかり
思い出していた。

 少し日が過ぎて花絵さんの気持ちが落ち着いたら会いに行こう。
 そして今この年になっても恋する気持ちをなくさない純粋な花絵さんに、やっぱり貴女は素敵
だから私は花絵さんが大好き! と言ってあげよう。
 
 十六夜の月は今中天にあって今夜の二人のことどう思っているだろう。
 

 









 

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春子さんの茶の間 その6 [短編]

  春子さんの思い出はふと家事から解放されたときなど、つるつると繋がって出てくる。
今日は朝、東の窓を開けた時今年初めての金木犀の香りがした。もう秋が来たのだ。

 それにしても花絵さんからの手紙は春子さんを驚かせたし、考えもさせられもした。
 
 手紙によると、花絵さんの高校時代の恋が卒業と同時に終わったと思い込んでいたのは
春子さんの独りよがりだったようで恋は続いていたのだ。
 でも彼が大学を卒業する少し前には花絵さんは結婚して東京に住んでいた。
 彼からのプロポーズはなかったのだろうか。どうして結婚しなかったのだろう。

それでも彼が仕事で上京した時など、二人は喫茶店や公園で逢瀬を楽しんでいたというのだ。
 これはもう恋というより大人の友情というものだと今だからこそ春子さんも妙に納得した。
 
 当時このことをもし春子さんが知っていたらどうだろう。
「結婚していながら昔の恋人に逢うなんて何ということ。頭冷やしなさい。」
もしかしてそんな花絵さんとは絶交だ、ときっと喚いたに違いない。そういう時代だった。
 
 親友だと思っていた花絵さんの、こんな大切なことも春子さんは知らなかったことになる。
そして長い長い年月が過ぎて今花絵さんが春子さんに、心配な相談があるとの手紙だ。
 
 この長い年月、春子さんは彼のことを全然知らなかったわけではない。
二年毎の高校の同期会に彼は必ず出て来たし、花絵さん、春子さん、高子さんの三人旅で京都に遊んだ時など、定年になっていた彼が車で奈良の方まで案内してくれたこともあった。
 そんな時春子さんは「持つべきものは美人の友だち」とか言いつつ高子さんと徳した気持ちに
なって喜んでいた。花絵さんはにこにこと助手席で笑っていたけど嬉しかったのかなあ。

 花絵さんが旦那様を亡くした三年前に、春子さんは「彼と時々電話しているの」と聞いたことがあった。
 それもいいかなあ、と少し羨ましく思ったことを覚えている。
それっきり春子さんは彼らの電話のことなど忘れてしまっていた。
 
 彼からの電話は一週間に二回くらい夜遅く携帯にかかって来ることが多かった。
時々は花絵さんからかけることもあったようだ。それが一か月前からぷっつりかかってこない。
心配になって花絵さんからかけても、まったくつながらない。
 もしかして亡くなったのでは.....と思うと心配でたまらないどうしたらいいのだろうか。

 毎日メールを交わしているのに、何も言いだせなかったのだと思うと複雑な心境の春子さん。

 手紙を読んで春子さんは花絵さんの彼に対する気持ちが初めて本当に分かったような気がした。
そして今彼がどういう状態なのか。花絵さんのために知りたいと思った。 
 手紙だけではではわからない。春子さんはすぐに花絵さんに電話した。そして今までのいきさつを聞き、出来るだけ力になりたいと約束した。

 
 



 
 


 

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春子さんの茶の間 その5 [短編]

  彼岸花も色褪せて本格的な秋が来た。
窓を開け放ち風を入れる時、つい鼻歌でも歌いたい気分の春子さんだ。
待ちに待った短い秋、懐かしい思い出がいっぱいの秋。
 昔ほど元気ではないけれど、この青い空を見ていると電車に乗りたいと思う。
と言っても今は「はいっ」と道連れになってくれる人もいない。友もみな老いた。
 二時ごろ郵便が来た。その字に見覚えがあってつい嬉しくなって封を切るのももどかしい。
親友の花絵さん。美人で人柄もよくて中学時代からの友である。
 性格そのままの優しいきれいな文字。二三日前にメールもしたのに手紙なんてどうしたの?

 花絵さんは恋多き人で普段は静かで、どちらかと言えば引っ込み思案なのに恋をすると
元気になるのだ。それも自分から好きになるというのはなくて、いつも声をかけられる側。
 だが彼女にとってはそれが当然と思っているようにも見える。

 中学時代のお相手は同級の優等生で勉強もスポーツも万能。背が高くてかっこいい少年だった。
しかし、この幼い恋は彼が卒業と同時に父の転勤でこの街を去ることになって終わった。
 駅まで見送りに行きたいと頼まれて春子さんも一緒に行った。
ご家族も一緒だったので、春子さんは恥ずかしくて、彼にペコリと頭をさげるのが精一杯だった
のに花絵さんは、花束なんか渡して笑顔で話していた。本当は寂しかったと思う。

 高校に入ると新しい同級生は中学の倍以上の人数になった。
夏休み前には花絵さんには複数の男子生徒から声がかかり、春子さんも相談されてやっぱり
勉強の出来そうなハンサムな彼に決めた。
 
 今でも春子さんは不思議な気がする時がある。
 春子さんは花絵さんと同い年なのに、恋というより男子に関心がなかった。
勿論声をかけられたこともなかったのだが。
 花絵さんが恋に浮かれるだけの人だったら、春子さんは決して親友にはならなかったし、
相談にも乗らなかったと思う。
 彼女は真面目で勉強もよくできた。春子さんにとっては理想で自慢の友だちだったのだ。

 高校時代の花絵さんは、今までのように彼のことをあまり話さなくなった。
そのことを春子さんも気にもしてなかったし、知りたいとも思わなかった。
 でもある時私たち仲良し三人組のひとり高子さんが言った。
「私昨日の日曜日花絵さんに誘われて白浜に行ったら、彼と彼の友だちがいて四人でボートに
乗ったのよ。びっくりした~」
「えええ!彼の友だちって同級生?大きなボートやね」
「いいえ知らない人よ、彼の友だちらしかったわ。私はその人とボートに乗ったんだから」
だったら花絵さんは彼と二人でボートに乗ったことになる。
 春子さんは腰が抜けるくらい驚いた。
 花絵さんはなんて大胆なのだろう。高校生なのに恋人と二人でボートにの乗るなんて。
ちゃんと高子さんも誘って内緒じゃないものね。
 もしかして二人は本当の恋をしているのかも。こういうことに疎い春子さんでもそう感じた。
そして春子さんではなく高子さんを誘った理由も、花絵さんの気持も手に取るようにわかった。
もはや真面目過ぎて理屈ばかり言い、恋心の分からない春子さんはお呼びでなかったのだ。
 色々あったこの恋も二人が高校卒業して、彼が県外の大学に行った時終ったと春子さんは
思っていた。

 春子さんたち三人組は地元で就職して、今までと変わりなく楽しい青春真っただ中にいた。


 






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山桃追想 [短編]

 朝ゆっくりと新聞を読む。
とにかく全ページに目を通して政治も文化もスポーツに経済面も。
多少斜め読みの感じもするが、千秋の大切な日課のひとつである。
そして今日地方版の片隅に真っ赤な実をつけた山桃の木の写真をみつけた。

 千秋はとっさに母の実家にあった大きな山桃の木を思いだした。何十年振りだろう。
あの村を離れてもう半世紀近い。学生時代までは夏休みや冬休みを待ちかねて弟たちと
すっ飛んで行った。祖父母と叔母たちの優しさだけが待つ故郷へ。
 ただ屋敷の周りに何本もあった、柿やみかんや、杏にイチジク。畑にはトマトが食べ放題。
本当に食べるもののなかった終戦直後。これら何よりのご馳走だった。

 千秋はふと思い出した。あれは小学四年生の夏休みだ。赤黒く実った山桃は美味しい真っ盛り。祖母が食べごろだから、後で取ってあげるから待っていてねと買い物に出かけた。
 山桃の木は家の西側の小さな川の上に乗り出すように二階の窓近くまであり、あちこちに
張り出した太い枝が、ちょうどよい足場となって子供でも容易に登ることができた。
 千秋は誰もいない間にやりたいことがあった。とっさに登ろうと決めて決行した。
 そろそろと木に登り、そこから屋根に下りて窓から千秋より三歳年上の叔母の幸子の部屋に
入りり込んだ。
 カーテンの閉まった薄暗い部屋は余計に千秋の冒険心を掻き立てた。少し胸がどきどきした。
 幸子は女学生なのに末っ子だったせいか、なかなか気が強くて元気がよくて、いたずらっ子の
千秋は余り好かれていなかった。
 千秋は、幸子が机の引き出しに宝物のように大切にしまってある、押出しクレヨンを
取り出した。
 いつも幸子が自慢げに見せてはくれるけれど、絶対に触らせてはもらえなかった。
 そのクレヨンはまわりを厚手の紙で巻いてあり、ちょうど割りばし位の棒で少しづつ
クレヨンを押し出して使う仕組みになっているのだ。
 千秋は座り込んでわくわくしながら大好きな赤色のクレヨンをそっと押してみた。
少し硬い感じがしたので、エイッと力を入れて押したらすっと赤い色が出てきた。
 一回だけやってみるつもりだったのに、嬉しいのと面白いので千秋は我を忘れて次々に
いろんな色を押し出した。

 どのくらいの時間が経ったのだろう。ガラッと部屋の戸が開いて幸子が鬼の形相で立っていた。
それからのことは、思い出したくなかった。
 千秋に飛びかからんばかりの勢いで泣き叫ぶ幸子。祖父母や叔母も飛んで来て、なぜか千秋も
おーんおーんと大泣きしたのだ。
 結局遠来の客の千秋は叱られなかった。謝った記憶もない。
 可愛い初孫と愛しい末娘のこと。祖母はどんなに悲しかっただろうと、高校生になったころ
千秋はやっと悪いのは自分だったと気がついた。

 祖父母は晩年は、春や秋にはよく千秋の家にやって来て温泉を楽しんでいた。
でもこのクレヨン騒動の話が出たことはなかった。
 大人になった千秋と幸子は、遠く離れ住んでいたから、何かの時会っても笑顔で話し合えた。

 新聞写真の山桃が思い出させた、いたずらっ子千秋の懐かしくて苦い思い出だ。

 この山桃の木にはもう一つ千秋の心のなかに、今も優しく愛しい想いを抱かせてくれる
二人の面影がある。
 父母は幼馴染で結婚した。そして終生変わることない愛を全うしたと千秋は思っている。

 父母が亡くなってからのことだ。千秋が田舎に行って親戚たちが昔話をしていた時、母の
従兄の喜久治おじさんが笑いながら話してくれた。

 「実はおれ子供の時から千秋の母さんのこと好きじゃった。母さんはあの山桃の木に登って、
学校帰りの子供たちに次々山桃の実を投げつけて、みんなキャアキャア言って逃げ回った。
おれもやられた。おれにはバンバン投げるのに隣にいる父さんには絶対に投げなかった。
子供心にもすぐわかったよ。母さんは父さんが好きなんだと。
 大人になって父さんが俺に母さんが好きだと相談した時、話通したのはおれなんだよ。」

 話終わって、得意げに喜久治おじさんは千秋を真っすぐ見た。
「好い話を有難う。薄々は知っていたけどそんなに小さい時から.....」
千秋の胸はほっこり何とも言えない暖かさに溢れた。

 田舎の母の実家、緑色の葉と赤い山桃の実が空いっぱいに広がって、その空に優しくて
いつも仲のよかった父母の姿が千秋にははっきりと見えた気がした。

 

 
 


 





 


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