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春子さんの茶の間 [短編]

 激しい雨音が気になって眠れずにいると「ぽっぽ」古い鳩時計が一時をを告げた。
年のわりにはよく眠れるたちで、いままで寝付きが悪いと思ったこともない。
それなのにこの頃そうもいかなくなった。
 六十五歳を過ぎたころから友たちが眠れない話をするのを、よく聞くようになった。
そんな時春子さんは
「寝ようと思ったら三分で眠れるし眠ったら最後、朝まで目が覚めない」
と言って皆に呆れられたものだ。
 あれから何年過ぎたのだろう。

 目が覚めたらカーテンの隙間から明るい早春の陽が差し込んでいて、嬉しくなった
春子さんは飛び起きた。
「あらら朝ドラ終わってるよ」
 春子さんの日課は決まっていて、特に食事は規則正しく時間も決めてある。
 一人暮らしの気楽さで、のんべんだらりの生活はしたくない。
 それでも寒い冬は特別で、わりにのんびりラジオを聞いていてぎりぎり「えいっ」と
飛び起きる。

 朝食は茶の間で朝ドラを見ながら八時、昼食はニュースをみながら十二時、夕食は
ローカルニュースを見ながら六時。
 季節によって多少変わるけれど原則これを貫いている
 朝食の後片づけをしたら、一時間は新聞を読む。
経済面はざっと項目を見るだけで一面と三面記事は大見出しを見て関心のある記事には
さっと目を通す。
念入りに読むのは文化文芸とスポーツ。これでも結構頭の体操にはなる。
 本を読むのも心の通い合う友と長電話するのも、春子さんの好きなこの茶の間だ。

家事は最低限、必要不可欠以外は無理をしないと決めてある。元気が一番。

 若い時は友と連れ立って遊びに趣味に、たまにはカルチャースクールによく出かけた。
今はそれぞれ事情があって、お出かけもままならない。

 夫の春夫さんとも、彼が定年退職してからは、思いついたら即旅に出たし、絵を見たり
コンサートにも出かけた。
 それぞれの趣味にお互い干渉はしないが理解して、協力を惜しまなかった。
 
 子供たちも自分たちの思うままに、頑張っていたので春子さんたちに何の気掛かりも
なくこういうのを悠々自適というのかもと思ったり。

 夫の春夫さんと二人で過ごした約十年余は今考えると本当に 素敵な日々だった。
 春子さんは人が感心するほどさっと子離れできたし、心の片隅に「自分が一番大切」
という信念のようなものを若い時から持っていた気がする。
 我儘と言われても、それを春夫さんも子供たちも容認してくれていた....と思っていた。
 そして本当に自分の思う通りの人生が送れたと満足していた。
春子さん自身も心の底から幸せで、嬉しいことだと秘かに自慢に思っていた。
 でもそれは春夫さんという理想の伴侶がいたからこそだと一番良く分かっているのは
春子さん自身のはずだ。

 しかし、春子さんがそのことに気がついたのは、最愛の春夫さんが遠い遠いところへ
旅立った後だった。

 「思い知った」というべきか。「傲慢だった」というべきか。涙ながらの反省ばかり。

 春子さんのすべての景色が無色になった。
 ただ悲しさだけが虚しさだけが、寂しさだけが朝から晩まで、春夏秋冬春子さんに
ついて来た。

 長い時が過ぎて行った。
 この頃になってやっと、今でもいつもそばにいる春夫さんと春子さんは茶の間で
涙なしで昔話がいっぱいできるようになった。
 喋っているのはいつも春子さん。
 昔と変わらず、にこにこ優しい眼差しでその様子を見つめている春夫さん。

 一足飛びに桜が咲いて春がきた。

 茶の間の飾り棚に寄り添って嬉しそうな笑顔の春夫さんと春子さんの写真。
「おはよう」
 セピア色のそれに向かって毎朝春子さんは大きな声でご挨拶をするのが朝一番の仕事。

 今日も春子さんの茶の間から素敵な一日が始まりますように。

 このまま元気でいたいなあ。春子さんの贅沢な願望である。


 

 
 
 

 
 
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春がそこまでやってきた [エッセイ]

 庭の白梅もいつの間にか満開になり、固い蕾だと思っていたさくらんぼの花も

薄紅に開いて朝の日差しをうけています。

 朝昼夜と食事をするだけでのらのらの私は、イマイチの体調のこともあって

まるで入院しているのと同じ、ただ違うのは自分で食事をつくることくらいだと

娘に言って苦笑されていました。

 でもこのところ急に暖かくなり、お雛様を出し桃の花を飾るとなんだか嬉しく

なって元気が出てきました。

 デパートへでも行ってみる気になって、二人のもっとも親しい友に電話してみました。

 「そうねえ久し振りに出かけようか」という返事を期待していたのにがっくり。

 同じ年の彼女は

「買いたいものもないし、昨日眼科へ行ったばかり、その上旦那の食事つくりも大変で」

 二歳年下の彼女は

「風邪がまだはっきりしないし、好きでもない犬の世話でくたくた出かける元気がない」

 ああ二年前までは月に二回カルチャースクールに行って、楽しいお昼ご飯食べてお茶を

飲んで喋って、夕方帰って来ていたのに。

 確かに年はとったかもしれないけど、寂しい気持ちが私を不機嫌にさせました。

 そして又他の友に声をかける元気もなくなりました。

 でもあまりに春らしい今日という日、私はちょっとおしゃれをれをして一人で街に

でかけました。

 といってもバスで二十分あまり、思いつきさえすれば何のことはないのです。

バスの窓からみえるお堀の水はゆったりとして、白鳥があちこちに羽を休めています。

岸の寒桜や紅梅白梅も美しく、私の好きなせんだんの大木には今薄黄色の実が鈴なりで

辺りの芽吹いてきた木々との調和は、ここでバスを降りたいと思うほど。

 そして見えてきた、青い空のした城山のてっぺんにそびえるお城の天守閣。

どこのお城より美しいと私は思っています。

 仰ぎ見るたたづまい、天守閣からの眺めも文句のつけようがありません。

 デパートも疲れるほどの人もいなくて、いつも行く店の彼女が歓迎してくれました。

予定にもなかった買い物もして、市内一の商店街を歩きます。

 半世紀以上も前からあるアーケード街も昔からある店は数えるほどしかありません。

でもなんだか気持ちは浮き浮きして、遠い遠い昔の思い出が胸をよぎります。

 街行く人はみな楽しそうで若い人が多い気がしました。

そういえばあまり年配の人は歩いていません。

 足がわるいのか、病院か、デイサービス?

 嫌だいやだ、自分の思いを打ち消して、私は必要以上に背中を真っすぐにして

さっさっと歩きました。    転ばないように細心の注意をはらって。

 一人ではダメな私。コーヒーも飲まずに二時間半後にはもう我が家にいました。

 それでも出かけてみれば一人でも結構楽しかったし元気もでました。

 暑さ寒さも彼岸まで、春がそこまでやってきました。





 

 

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悔しくて少し切ない節分の夜 [日記]

 このところの寒さはただ事ではありません。

天気予報は毎日平年よりかなり寒くて雪がふります....と。

 最高気温が五度とか六度と聞くだけで寒くなってしまいます。

まあ出かける予定もないままにエアコンとコタツを全開にしてのんびりしています。

 でも今朝ふと見た庭のいつもの場所にはあの可憐な寒あやめの紫が三輪。

どんなに寒くても時期を違わず咲くけなげなさに、少し心が温まります。

 日暮れになって食事の支度をしょうと台所でテーブルの上の節分の豆を見つけました。

えっ! 今日が節分だということすっかり忘れていました。

 ずっと一人の豆まきは続けていて、翌朝近所の奥さんに

「豆まきしたのですか。」と玄関先から道路にまで飛んでいる豆を見つけられて、ちょっと

恥ずかしかったりしたものです。

 私は季節を先取りする暦の言葉が好きで、それに伴う行事にも関心がありました。

だから節分を忘れていた自分に腹を立てて、これも年のせいにして。

日がすっかり落ちてから、いつものように豆まきをしました。

「鬼は外 福は内 」小さい小さい自分にだけ聞こえる声でひっそりと。

 玄関にも庭にも勝手口にも。道路へは少し少なめに。

 ああよかった今年もいい年でありますように。

福は来なくても絶対に鬼は来ませんように。

 そして年の数だけの豆をコタツで食べはじめました。二十くらいはさっと食べて

あれ、後が続きません。テレビを見ながらぼつぼつ食べても一向にはかどりません。

 去年まではすいすいと食べられたのに、固いのはダメといちばん上等の豆だのに。

柔らかくてすぐ噛めてふっくらと美味しいのに。

 ふっと泣きそうになりました。元気そうに意地をはって若いと思っていても、

節分に年の数の豆がさーと食べられないなんて。悔しくて切なくて。

 確かに豆たくさんあるもの、昨年より一個増えただけよ。

 でも無理は禁物、考えた末今流に「分割」で食べることにしました。

 改めて自分の年を思いました。

 仲良しの同級生はみなさん元気で旦那様のお世話もしながら自分が死ぬことなど

考えてもいません。いいえ夫より先には死ねない。と信念をもっています。

 その点。私は....

明日は立春、この言葉を聞くだけでも元気が沸いてきます。

 それにしても分割食べ? 何日かかるかなあ。

考えているとおかしくなって、声をあげて笑ってしまいました。

 
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決意 へっぴり腰なれど母は強し [日記]

 今日も鉛色の空から今にも白いものが落ちてきそうです。

ああ~と朝から又ため息ひとつ。とりついていた鼻風邪はやっと退散してくれたようなのに。

 それなのにこのところ体調イマイチ。先日行った定期健診ても全く異常なしで、このところ

感じているふらふらは、今日の所見からは原因は考えられないと先生。

 まあ全く専門外の先生も困っておられる。

「後考えられるのは頭だと思うのだけど怖くて病院へ行くのは嫌です。」

 すがる目で訴える私に先生も気の毒そうに、じっと私を見ているだけ。


 今朝こんなに悶々とするよりいっそう脳神経外科に行こうか、と考えました。

幸い歩いて行けるところに評判の病院があることはネットで確認してあります。

 いやいや怖い怖い止めた....。

 そして思い出しました。今日は息子の誕生日です。「おめでとう」のメールを

したら、珍しくすぐ返信がありました。

 こんなに寒い日に私は母になった。夫と二人で歓び合った遠い遠い日のことが

鮮やかによみがえってきました。

 そして二人で頑張った若い日のことを、次々と思い出しました。

 ポロリ目からうろこが落ちました。

 ようし、母は強し??

母になったあの日はあんなに強かったのに、うん十年経た私はなんて弱虫。

 不安がっているより決着をつけよう。そしてもし悪い結果が出ても、あの日の

勇気と元気で乗り切ろう。

 今日がいい記念日になるように。


 すぐに病院にいきました。CT検査はすぐに終わって先生が画像を見ながら

「異常はありません。脳梗塞も、脳出血もないですよ。ふらふらの原因はここでは

ないですね。風邪をひいたり年末年始忙しかったので少しお疲れなのでしょう。」


 よかった。もっと早く来ればよかった。

 すっきりした嬉しい気持ちで小声で歌を歌いながら、シャンシャンと歩いて

帰りました。 でもやっぱりふらふらはしていたけど、元気なふらふらでした。

 母は強し!! 

 明日からは頑張ろう。なんでも年のせいにするのもやめよう。

 病院がとても怖い私が頑張った息子の誕生日でした。
 




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夕暮れのわが街に雪が舞う [エッセイ]

 全国的な寒波襲来というのに東京は気温十六度、陽の光さえみえます。

それでも羽田空港でバスを降りた時、その風の強さにびっくりしました。

 北の方の便は遅れやら欠航やらの表示が見えたけれど、私は何の心配もなく

機中の人となりました。

 誕生日はみんなで祝うからという子供らの言葉も聞かず予定通りの帰宅です。

 ところが飛行機が滑走路に出たものの順番待ちとかで、かなり遅れました。

飛ぶ前に向かい風が強いのでかなり揺れ、定刻より遅れる予想だとアナウンスが

ありました。

 少し風邪気味で体調イマイチだった私は、やれやれと思ったものの仕方なし。

 やっと離陸すると本当によく揺れました。怖いほどでもないのだけどあまり

気持ちのいいものではありません。

 当地での着陸は普通は海側からはいるのに、今回は山側から降りたのでやっぱり

風はかなり吹いていたのでしょう。

 ふと窓から外を覗くと暮れなずむわが街には雪が舞っているではありませんか。

 タクシーの運転手さんが

「寒いでしょう。このところ六、七度なんですよ。雪が積もっている町もあるんですよ」

と教えてくれました。

 
 三週間ぶりの我が家は森閑として、雪は降っていませんでした。

 部屋に明かりをつけて暖房して、こたつに潜り込んで、暑いお茶をのみました。

 急に寂しさがこみあげてきました。鼻水が出て体がだるくて、やっぱり普通でない。

 ご近所にご挨拶にいくのもおっくうで帰って来たことだけ電話で伝えました。

 「楽しかった東京だけど、なんか疲れた。だって家にいる時より動くもんね。みんな

元気で頑張っていたよ」

 彼にはちゃんと報告をしました。

 テーブルの上には年賀状わ始めとする郵便物があり、部屋に入れた鉢植えもみんな

元気で新年を迎えたようです。時々留守宅を見にきてくれる弟夫婦にも電話しました。

 夜になるといよいよ本格的風邪症状、空港で買ってきた「京都巻き」はとても美味し

買ったので全部食べたし、お風呂だけはやめにしました。

 よるかかって来た娘からの電話では風邪の話はしませんでした。

 あれから六日もたって、時々雪のちらつくわが街、病院へ行くよりはと家に篭って

いたけれど、風邪は私が好きらしい。

 今日はやって来た弟たちとスーパーで美味しいもの沢山買ってきました。

 次の土曜日まででかける予定もないので養生します。

 明日からは少し暖かくなると聞いて、冬枯れの庭に優しくさいている水仙にやっと

気がつきました。

  冬来たりなば 春遠からじ 

  





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上京一週間 ほっ 

:今朝も真っ青の空の向こう、はるかに小さな富士山が見えます。

例年のことながら少し早めに息子のマンションにやって来て一週間になります。

 我が家は一応年末のもろもろを片付けて「行ってきます。」と彼にご挨拶しました。

こうして子供たちと迎える新年も十一回目になります。

 さあ昼間一人になるとじっとしていられません。

まず片付けなくては。娘にも「何もするな」と言われてもこれでは落ち着きません。

 一日目はさすがに疲れておっくうで、さらさらっと上辺の片付けだけしてごろごろ

していました。

 やっぱり年のせい? 前は着いたら座ることもせずすぐお掃除を始めたのに。

 でも遊ぶのはしんどくなくて、前から二日目はデ―トと決めていた親友と街へ出かけ

お昼ご飯を一緒に、続いていつもの店でチョコパフェににっこり。

 久しぶりの再会を楽しみました。

 デパートは見るところあまり欲しいものもないねえと。

 少し疲れているんじゃないのと心配そうな彼女に、大丈夫と言いながらもちょっと

疲れ気味の私でした。

 年末年始二十日余りも家を空ける訳だから、それなり忙しくて随分動いたのが、ここに

来て出てきたのでしょう。

 でもでも昔の話や今の話、毎日メールしているのになんでこんなに話が尽きないの。

 今回はほとんど座り込んで話に花が咲いたデートでした。何しろ二人には六十五年の

友人としてのキャリア?があるのですから。

 日暮れ近くふらふらになって帰ってきました。

 次の日は仕事が終わってから娘があ泊まりがけでやって来ました。

 翌朝早々と掃除を終え、買い物もさっさとしてきて、食事の献立もできたところへ

婿さんもやって来て、四人揃って楽しい食事となりました。

 後は恒例の麻雀大会、もう楽しくてあの疲れはどこへ飛んでいったのでしょう。

夜が更けるまで頑張りました。勿論最後に勝つのはいつも私です。

 子供たちをやっつけてそんなに面白いか、親のくせに! なんと言われようと

勝負に温情はありません。
 
 頭も手も体力も総動員する麻雀はシニアの遊びとしては最適だと誰かも言ってます。

 ああ私思い出してしまいました。

 勝ち負けに全然こだわらずに、あっけらかんと麻雀を楽しんでいた夫のことを。

 相手が誰であろうと、相変わらず負けん気で頑張る私のこと笑っているかな。

 クリスマスの晩餐は買い出しから献立まで婿さんがやってくれるとのこと、一人で

台所にたち鶏を焼いたり、私の知らない料理が出てきて若者三人特に息子はおいしいと

一番沢山食べていました。
 
 しめはやっぱりコーヒーとケーキだと、私もお腹パンパンです。

 翌日は誰もいない部屋で、最終的なお掃除の仕上げ。私も疲れも取れて元気です。

そして二回目のデートは彼女がマンションに来てくれて、食事もお茶もお喋りも二人です。

 また来年ね。良いお年を! とお別れしました。

 今日は一人の私。久し振りのブログでした。今年も後五日です。

 一年間有難うございました。

 来年もよろしくお願いいたします。

 
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青春 人生花の時 回想  2 [エッセイ]

  三人娘もいつしか人生のうちで一番大変だけれど、そう花の時を迎えました。

それぞれ結婚して、家庭の事情は違っても一生懸命に生きていました。

私とМさんは当地に留まりHさんは遠く首都圏に居を構えました。子供も同学年で

二人づつ申合わせたようだと三人で笑いました。

 同じ街に住む私とМさんは幼稚園までは同じで、暇を見つけてはお互いの家を行き来

して、子育ての話などいい相談相手でした。

遠くのHさんとはたまに手紙のやり取りはあっても、会うことはできませんでした。

 高度成長期の日本の国がどんどんと発展し世界に進出していた頃でした。

 家庭の事情は違ってもそれなりに頑張って、私とHさんは下の子供が中学生になった時

 フルタイムの仕事に就きました。

それからは本当によく働きました。二人の子供が大学を出るまでの間、三人とも必死でした。

 人生花の時とは言いながら、三人で会ったのは数回で十余年の月日が流れていました。

ある時誰からともなく、私たち随分頑張って考えてみたらもう人生折り返し地点は過ぎたよ。

 この辺でまた昔に戻って三人旅の続きをしょうじゃないの、ということになりました。

そうなるとまあ実行に移すこと早い早い。旅の計画と旅行記は私の担当。写真はHさん

 社交家のМさんが、タクシードライバーさんや宿の女将さんの話相手です。


 そして三人旅第一回は若き日に三人で初めて旅した思い出の京都からと決まりました。


 それから毎年一回三人で二泊三日の旅はつづきました。

 木曽路妻籠から馬籠まで歩きました。恵那峡の赤い大橋がホテルからよく見えました。

 六甲山の山頂美しい夜景を堪能した半年後阪神大震災がありました。忘れられない旅でした。

 妙義山から、小諸 千曲川、軽井沢など憧れの信濃路はなんと素晴らしく人生観が変わった

くらいの感動でした。

 関西空港で待ち合わせ和歌山城から白浜、熊野古道を少し歩いて熊野本宮に参拝。

 奥の細道の雰囲気を味いたいと山中温泉、那谷寺、永平寺東尋坊から気比の松原まで。

 Tシャツにパンツで颯爽と自転車で巡った飛鳥路。


 合計七回、十回目はハワイ。などと楽しみにしていた矢先Мさんの病気がわかりました。

 残念でしたが、三人旅はここまで。

 一年頑張ったМさんが元気になり、二年過ぎた時、このままでは寂しい、旅の打ち上げを

しょうということになり、富士五湖へ、それぞれ違う姿の富士山に歓声をあげつつタクシーで

湖を巡りました。元気になったМさんと三人本当に楽しい旅でした。

 結構費用もかかったし、家も空ける主婦の旅、理解ある旦那様でよかったと感謝の気持ちを

毎日の生活でお返ししようと旅の終わりの夜三人で話したものです。


 あれから又十数年経ちました。先日Hさんのお兄さんが亡くなられHさんが実家へ帰って

きました。

 三人揃うのは何年ぶりかしら。食事をしてお茶を飲んで、話に花が咲きました。

中でもやっぱりあの楽しかった旅の話が....時間がいくらあっても足りません。

 私とHさんは一人になってしまったけれど、元気に明るくこれからも前を向いて行こうと

この友情を大切にと、しっかり手をとって誓いました。


 師走、新年私とHさんは東京で毎日でもデートしようと秘かに企んでいます。


 




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青春 人生花の時 そして回想 1 [エッセイ]

 私には中学二年から今に続く親愛なる友が二人います。自称三人娘?

結婚するまで働く職場は違っても、いつも行動を共にしていました。

 三人とも旅が好きで、年一回は二泊三日の旅を、季節ごとに花見、紅葉狩り

島巡り、時には凍った滝を震えながら見に行ったこともありました。

 そのころのエピソードで三人揃うと必ず出る話。

私は長女、Мさんは二人姉妹の姉、そしてHさんは末っ子。

 そのころ仕事が終わると誘い合わせてよく喫茶店に行きました。四十円の

コーヒー一杯で二時間はねばりました。

 映画や音楽の話、洋服や靴やバックなどを買う計画、職場のこと、話題は

尽きることはありません。

 そしていつか、いつも一緒に居たいという願望から、三人で暮らしたいと

思うようになりました。

 そこから夢のような話が具体的になり、そのころ出来たばかりの薄いピンクの

三階建てのアパートで同居しようということになりました。

 それから家賃はどうする、生活費は、家具は、カーテンは、三人の家事の分担はと

それぞれの家や、昼休みの公園で着々と計画は進んでいきました。

本当に嬉しくて楽しくて。 幸せいっぱい夢心地でした。

 そしてとうとう今夜はそれぞれの親の許可をもらって来るところまで漕ぎつけました。

 その夜私は得意満面、とうとうと私たちの計画を父母に話しました。

父が言いました。

 「貴女はこの家が嫌なのか、祖父母や弟妹たちとこんなに楽しく暮らしていると

いうのに。何か不満でもあるのかな。豊ではないけれど暖かくいい家庭だと私は

思うんだがなあ。」

 私は父の顔を真っすぐに見ました。笑っている優しい目の奥に厳しいもう一つの

目を見たような気がしました。

 私は何にも言えませんでした。照れ隠しに少し笑っていとも簡単にこの話を引っ込め

ました。

 翌日冴えない顔の三人が喫茶店に揃いました。

 Мさんはまず母親に話したら、全然本気で聞いてくれなくて

「お父さんには黙っていてあげるから馬鹿なこと考えるのは止めなさい。」

と軽くあしらわれたとべそをかいていました。

 Fさんはどうしても話出せなくて、一晩中もんもんとしたと。

 三人は顔を見合わせて笑ってしまいました。考えてみれば本当に他愛ない話で何故

あれほど熱中して夢のような夢を見たのだろうかと、少し恥ずかしい気さえしました。

 「机上の空論」まさしくそのもの。でもあんなに楽しいひと時はなかったと半世紀

以上過ぎた今も、三人寄るとこの話は必ず出て大笑いになるのです。

 
 恋をしたり、失恋したり、私以外は花嫁修業にも精出して結婚するまでの数年間は

本当に楽しく逞しく青春を謳歌した三人でした。

 

 




 




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十年ひと昔 [エッセイ]

 日暮れ時、東の空に白く十三夜の月が浮かんでいます。

暮れ残った青い空の月は美しいけれどはかなげにも見えます。

玄関先の秋明菊の夕風に少し揺れている風情にもふと寂しさを覚えます。


 今日で十年。四、五日前から私の頭はこのことでいっぱいでした。

彼と会えなくなって恨み言を言ったり、寂しがったり泣いたり、いえいえ感謝の

外に何がある、と思い直したり。

 そしてそして早くも十年の時が流れ去ったのです。

 あの時十年後の自分なんて想像もできませんでした。二年、三年、実際早く迎えに

来て、とそのことばかり考えていました。一人で生きることなどできるわけがない。

三年、七年、いつまでぐちぐち言ってるのと、はっきり言われたことも。

 でもひと昔とはよく言ったもので、ふと気が付いてみると確かに涙が出る回数は

減りました。一日とて彼のこと思わぬ日はないのに、悲しみや切なさの種類が少し

変わってきたのを実感しています。

 月命日にお墓詣りに行くときバイクで鼻歌を歌っている自分に気が付いてあれっと

おもったり。前が見えなくなるほど流れていた涙。墓石の前にしゃがみ込んで涙に

暮れていたのはついこの間だと思っていたのに。

 あれ以来バックに忍ばせて持ち歩いているお気に入りの二人の写真数枚。親しい

友に見せては、多分ひんしゅくをかっていたであろうのに、自分では満足して一人の

時、こっそり取り出してみては、あの時この時を思いよく泣いていたのに。


 あの頃と何が違ったのでしょう。

 時の流れ、そう自分の年齢も関係あるのではとやっと気付きました。

もうほろほろ泣いている年でもないんだと思うと笑えてきました。

 仏壇の前に座ると白い菊とカサブランカの影から私より十歳も若い彼の笑顔が見えます。

 
 十年ひと昔、姿はおばあさんになったけど、私の心は変わっていないこと彼に分かって

もらえるかなあ。

 私決めました。これからは自然に逆らわずに、しっかり前を向いて笑って生きようと。

そんな私を見ている方が彼だってきっと嬉しいに違いないのです。

 私が一生懸命に歩いて行けば、終着点ではきっと笑顔の彼が待っていてくれると

夢見る夢子さん信じています。

 とは言うものの次のひと昔、生きている私を想像せよと言ってもそれは無理なことです。

 


 


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家を売るということ [エッセイ]

 少し涼しくなったのでまた夕方のウォーキングをはじめました。

好きな時間に一人でぶらりと出かけます。こういうところは一人住いの気楽さ。

 二か月休んでいる間に季節は移り道端には野菊が揺れていて池には水鳥が

群れています。

 何も考えずにさっさと歩きます。ふと気が付くと私は小声で歌を歌っています。

好きな歌が次々に出てきます。童謡 抒情歌 流行歌 ロシア民謡だって。

 そして若き日に思いを馳せ、時には恋しい人を思いだすことも.....

好い気持ちで四十分、暮れかけた我が家近くに帰ってきて「えっ」足が止まりました。

 同じ班Yさん宅のブロック塀に「売り家」の看板がかかっているのです。

 半年くらい前一人暮らしのYさんを見かけなくなったなあとは思っていました。

キャリアウーマンで定年まで勤めて子供さんたちもいるのに。

 しばらくして施設に入られたと聞きました。

 ああ子供さんたちも独立されて、家はいらないのだ....と納得しつつも何故か寂しい

気持になりました。

 夜になって一人リビングに座っていると、つい最近姉とも思っている親友も家を

手放したことをつい考えてしまいました。

 彼女は夫に先立たれ子供もなく、仕事を辞めてからも本当に元気で、趣味に没頭し

旅行にもよく出かけていました。誘われた私がさあねえ~と躊躇するとさっさと一人で

行ってしまいます。

 それが八十三歳になってふとした病気から床に就き、施設に入ることになりました。

 もともと明るい性格で半年ほどで元気になり、ここを終の棲家に決めたとあっけらかん

と言いました。

 市内の一等地に立派な家もあって、私は内心家にいればいいのにと思いましたが

一度一人の生活以外を体験すると特に夜など心細く感じるのだと彼女らしからぬ言葉に

自分のことも考え併せて私もそうだなあと、納得したのです。

 しばらくして家を売ろうと思うと相談された時も、経済的にも余裕があるのだし

 そう急がなくてもと言いつつ、もう帰ることもないのだから、それも一つの方法だと

あえて反対はしませんでした。

 結婚してからずっと夫と二人住んだ家。彼女の人生の歴史。思い出の殆どが詰まった家。

こんなに簡単に手放せるものなのか。

 二か月もしないうちに「家売れたよ」と明るい声で電話がきました。

 私は飛んでいきました。「もう帰る処もなくなったよ」一瞬だけ寂しそうな顔をして

それでも信じられないくらい、すっきりとした顔をしていました。

 どんな人が買っていくらで売れたかまで詳しく話してくれる彼女に「高く売れてよかったね

でも誰にでもそんなに詳しく話したら駄目よ。」私は事務的にいいました。

 夜になって一人で彼女のことを考えていると涙が出てきました。

 若い時から何度も何度も訪ねた家。この間まで俳句の仲間や生花の生徒たちの笑い声が

絶えるなかった家。

 あの家にはもう二度と帰ることはないのだ。愛着がないはずはないではないか。やっぱり

売るのはまだ早いと忠告した方がよかったのではないか。

 明るい笑顔に隠された彼女の寂しさに気がついていたら、もっと他にかける言葉があった

のではないかと私は自分の思いやりのなさに、すっかり落ち込んでしまいました。


 みんな年を取ると思ってもみなかったことに直面することがあるのだと、自分のことも

考えつつ私は絶対に家は売らないぞ! と思ってにやり。

 とにかく元気でなければ、誰だって住み慣れた我が家で思い出に包まれて人生を全うする

のが一番幸せなのだから。

 我が家の玄関先には私たちの大好きな白い秋明菊が、季節外れの暑い日差しにもまけず

秋の匂いだけはする涼しい風に吹かれています。

 明日からまた元気を出して頑張らなくては、秘かな私の決心です。



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